店長力 > 2012年04月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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効率を追求する動機
具体的に、より効率よく仕事をするための方法論について云々する以前に大切だと思うのは、そもそも「効率よく」する必要性を本人が認識しているかどうかを問うことだと思います。

おそらく、効率的に仕事を進めるべきだ、とか、生産性をあげるには? と考えるのは、店長さんなどの立場からすればごく当たり前の発想に思えるのではないでしょうか?

しかし、だれもがそのように前提的に考えているとは限りません。もちろん個人差はありますが、大まかな傾向としては明らかに、たとえばアルバイトさんなどは多くの場合、効率などには無頓着だというイメージがあります。

これは、一般的にすぐ思い付く理由としては給与計算が時給だから、また、店舗全体の売り上げや利益が給与に直接反映されないとか、そういうことを考えがちですが、実際によく観察すると決して一概にそうは言えないような気がします。

むしろ、こういう形式上の理由よりも、私は本人の「そういうものだ」みたいな思い込みのほうが強いように思います。

なぜなら、効率や生産性を上げることをどれほど強く意識しているかというのは、別にアルバイトさんじゃなくても、社員でも、店長などの管理者でも、それどころか経営者でも大きな差があるからです。

たとえば、ふつう店長さんは、アルバイトを効率よく使う、という意味での効率や生産性は非常に気にします。つまり、アルバイトさんがやっている作業レベルでの効率は口やかましく言うわけです。

でも、一方で、自分自身のやっている業務とか、あるいはもっと別の視点で、今後のお店の運営戦略とか、経営上これからどんな展開をしていけばよいかとか、そういう目的から考えた場合の日々の自分の仕事の生産性とか効率についていつも考えているかというと、必ずしも考えていないのではないでしょうか。

自分は時給計算でもなく、別に業務上の権限が限定されているわけでもなく、むしろ自分の動き方や考え方が利益や所得に、直接に大きく反映することが明らかな立場なのに、自分自身のことになると振り返るのが億劫になる。

こう考えると、つまり仕事に効率とか生産性という観点を持ち込むかどうかは、本人の立場や、条件や環境によるのだとは言えない面があると私は思うのです。
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立場や環境のせいではない
逆に言えば、アルバイトさんでも自分自身の業務の範囲内で、いわば勝手に効率を追求しようとするタイプの人もけっこういます。ただし、その場合は本人なりの目的意識でそれを行うので、実際のところうまくコントロールしないとお店側が意図しない変な行動パターンを身に付けてしまったりする場合もあって厄介なのですが。

しかし、それでも「効率」という面に意識が行くという点では変わりありません。

時給計算で、仕事の効率を多少上げたところで昇給も何もない、という環境下にあっても、それでも、いわば「効率的に仕事しないと気持ち悪い」というような感覚の人が、アルバイトさんの中にも少なからずいるのです。

つまり、それは立場や役職によらず、ほとんどその人のもともと持っている習性というか、習慣のようなものだと思います。ただし、それは単純に言えばそれを発見する機会があったからそうなわけで、別にそれだから真面目だとか、優秀だとかいう問題でもないような気がします。

私の考えでは、全員ではないけれども、多くの人は仕事やその他の活動を通して、どこかの段階で「効率」や「生産性」を向上することが役に立つとか、良いことだとか、あるいは良い評価を受けやすいとか、何かそういうことを自分なりに発見する機会に恵まれるタイミングがあると思うのですね。

それで、そう経験があれば、今度は何に付けそういう観点で自分のやっている事柄を測定しようとする習慣が身に付き、いったん身に付くとそれはもう当然のことのように感じるようになると思うのです。

だから、自ら仕事の効率を考えるようになってもらうには、単純には、そういう行為が「良いことだ」と思うきっかけをあげればいいと思うんです。そうすれば、たとえ若い人でも、仕事に慣れていない人でもそれを意識することは実はそんなに難しいことではないように思います。
成功体験が必要
たとえばですが、その人がちょっと要領よく仕事をこなせたところをたまたま見たとします。そういう時に

「お、うまいこと考えたね」とか
「お前頭いいなあ」とか、

あるいは

「そうやって、仕事の効率を上げる意識を持ってくれる人がいると、とても助かるよ」とか、

ある意味大げさに取り立てて誉めてあげたとします。本人がそれに素直に好感を持ってくれれば、その人にとっては「効率を追求する=誉められる、周囲が喜んでくれる」という図式が現れます。

そうすると、別に頭で「もっと誉められたい~」とか意識的に考えるわけではないでしょうけれども、何か機会があるごとにもっと効率よい順番やタイミング、あるいは、もっと労力や時間を省けるところ、ということに注意が向く可能性が高くなります。

その繰り返しで、そういう面を追求すると仕事がはかどったり、有効な改善が見られたり、周囲に感謝されたり、というような「良い結果」が得られるという体感が蓄積されて、それが、

「仕事は効率が重要、生産性を考えるのは当たり前」

という認識につながっていくと思うのです。

おそらくですが、「生産性の追求は、仕事上の義務だから」とか「仕事なんだからクオリティを上げるのは当然でしょ」とか、そういう理由付けは後から考えるもので、それをそのまま押し付けても、もっと単純な意味での成功体験がない人には通じないと思うのです。
どこで転換するか
ただし、先に述べましたが、入って間もない新人さんとか、まだ作業レベルで未完成の人とか、そういう段階の人に

「自分で工夫しろ」
「頭を使って仕事しろ」

とか、そういうふうに誘導するのは良くないと思います。ですから、私の基本的なスタンスとしては、最初のうち、ある程度のレベルに達したと認められる程度までは、自分の考えとか、工夫といったものは一切認めません。

指導要綱でも、ここまでの部分では、自分で何か考えてとか、自分なりにやれ、というような方向付けは一切行いません。むしろ、言われたことを、言われたとおりにやる。聞くべきことを聞き、正しいと言われたことを理解して、そのまま身に付けるように、いわば「押し付け」をします。これは、あえてそういう段階を踏んでいるのです。

もちろん、新しい発見や、外部の知識を取り込んだり、または、現状の問題に気が付いたり常識を疑ったり、そういうことは当然大切なんですが、それを、まだ未熟な人にまで要求するのは逆効果だと考えるからです。

実際に、お店でもよくある光景だと思いますが、そういう人が思いつきで言った意見や提案は、実際のところたいてい却下されます。なぜかというと、まだ作業の内容全体、況やその理由とか背景とか位置付けとか、そういうことを把握していない段階では、それらをまったく度外視して自分の知る範囲内だけで考えてしまうことになるからです。

また、仮にそういう人が自分なりに考えた工夫や改善の方法について「そのどこが間違っているか、どこが不足しているのか」といったことを口頭だけで短時間に説明するのは非常に難しいです。説明したとしても、その効果があるかどうかはなはだ疑問です。たとえ本人によく分かるように細かく説明しても、それはあまり有効でなく、本人は

「何か提案したところで、聞いてもらえないんだ」

という認識しか残らないと思います。それも、本人が前提的な知識や技術がないからそういう認識になるという面があるのです。

ただし、だからと言って、あらかじめ何の説明もなく単に「押し付け」的な指導だけを行うと、本人はそれが永遠に続いてしまうという風に思い込んでしまう可能性があります。それは危険です。

ですから、初めから「ある一定の段階に至らないと、意見や提案はできない。でも、その段階に到達したら、今度はそういう点が大いに必要になるぞ」という提示の仕方のほうが納得しやすく、達成意欲にもつながりやすいと思うのです。
転換のチャンスを残す
このように、私は効率とか、または仕事の成果や質に関心を持つという傾向は、本来もっと多くの人が共有できる感覚のはずだと考えています。

ただ、実際には、いわゆる「アルバイト感覚」というのでしょうか。典型的には

・時間から時間までお店にいて
・何か言われればやろうとするけど、言われなければ何もせず
・やったとしてもその結果にきわめて無頓着

といった感覚で仕事することに慣れてしまった人というのも、かなりの割合で存在することは実際を見れば明らかに分かります。

そうなってしまう理由も私はある意味さっきと同じだと思うのです。つまり、そういう人は端的に言えば、さっきとは逆の意味で、そういう感覚が強化されてしまった人なのです。

今までにどこかで「そういう考えでいたほうが得だ」と思うきっかけがあったと思うのですね。当然、仕事というもの全般をそういう視点でずっと見ていれば、たぶんそういう感覚のほうがふつうで、そのほうが楽で、そのほうが自分にとって得で、という考えが強化されてしまうのはむしろ当然かもしれません。

一度強化されてしまった感覚というのを覆すことは根本的には難しいことかもしれませんが、しかし、まったく不可能というわけでもないと私は思っています。

なぜなら、上のような意味で「アルバイト感覚」に陥っている人は、たいてい、当然ですがそういう考えのために今まで良い評価を得られず、現実にいろいろ不利益を被ってきたはずだからです。

なので、あるきっかけで、そうではない別の考えに気が付かせて、しかも、そうなれば今までとは全然違う評価や、周囲との関係や、何よりも自分自身の感じる心地よさとか充実感とか、そういうものが付いてくるということが分かれば、一転して考え方を改める可能性はあります。

もちろん全員を確実にこのように方向付けられると考えれば非現実的でしょうが、簡単に「こいつは、こういう奴なんだ」とレッテルを貼り過ぎるのももったいないという気がします。
自分にとって最良でも
生産性とか効率といった問題に取り組もうとするとき、ふつうはどうしても「より要領の良い手順」とか「もっと斬新な方法」というように、主に「考える」ことによってそれを追求しようとすると思います。

もちろん、それ自体は正しいと思うのですが、一方で、そのように「より良い方法」を身に付けようとすれば、当然、それを行うに堪えうる体の動きというか、身のこなしというような点、また、それなりの知識とか技術といった点も同時に向上して行かないといけなくなります。

おそらく、他の業種でもある程度同じことが言えるとは思いますが、特に店舗で勤務する場合には、何でも結局は実際の細かい動作に反映されなければたいした意味を持ちませんので、よりそういう面が大切になるような気がします。

たとえば、長年そのお店で仕事をしている店長さんにとっては、特定の作業の「最も効率的なやり方」というのはすでに自明のことのように確立していることが多いと思います。つまり、自分がその作業をしようとするときには別にあらためて考えもせず、すんなりとこなすと思います。

しかし、じゃあ、それをそのままスタッフさんたちにも「やれ」と言えるかというと、多くの場合それは無理だということになります。なぜなら、その手順や方法を「知って理解しているかどうか」ということとは別に「そのやり方に耐えられる動作の要領や、そもそもの体力や背格好や腕力、それに前提となる知識や経験則といったものが、だれにでも期待できるものではないからです。

それで、たいていの場合、前提として「未だ業務についてまったく知らない、経験もない」人がいきなり行う場合でも耐えられるような「やり方」を別で用意する必要があったりします。もちろん、アルバイトさんも含めた全体としてのあり方はそれでいいのだと思います。
動作を洗練する必要性
逆に言えば、店長さんなど慣れている人にとっては、お店で標準化された業務手順とか作業動作はある意味で「無駄の多い、余計な部分が含まれたやり方」に感じられる、という場合はあり得ます。

要するに単に方法論として効率よい、早い、要領の良い、そういうやり方を頭で考えても、それは、その人が持っている身体的な能力に見合ったものでなければ実行できない。または、そもそもその人の能力に見合った程度の「良さ」という範囲でしか改善し得ないということです。

このため、特に接客業や店舗業では「動作の洗練」という観点での向上が重要だと思います。

特定の作業について、単に決まった手順を覚えて、その通りやって、結果が一定の状態に至っているからといって、その蓄積のみでは「本人の力が向上した」ことと直接には結びつかない面があるわけです。

これを踏まえて、店長候補さんという立場の人には、ただ「結果的にちゃんとできてるか」という点だけでなくて、それに至る一つひとつの動作が期待通りになっているか、今出来ていなくても、時間とともに、そうなるような方向で訓練しているか、というような点をチェックしなければなりません。

そのために基本的な作業に付随する細かな動作ディテールを念入りにチェックする必要があります。また、特に店長とか、長期的に主力となることが期待される人については、「今その作業ができるようになること」よりも、「最終的に最良の動作が身に付くこと」を優先的な目的と考えて指導しなければならないと思います。

ただ一口に最良と言っても、それはおそらく今後も適時改善されてゆくものですし、最終的には本人にとっての最良が、教えている方があらかじめ考えているのと個人差があるかもしれません。しかし、それでも、こういう特定の人に対しては「教えている側が想定している最も良い動作」を最初に教え込む必要があります。本人なりの工夫を加えるのはそのずっと後です。

少なくとも、ただ一般的なマニュアルに記載されている程度の「大まかな手順」と「結果」だけを提示して、それで「できた」ということにするのは得策ではありません。細かな部分で「変なやり方」を繰り返しているうちに身に付けてしまえば、本人にとっては、その変なやり方が一番やりやすいやり方になってしまうからです。それを後から修正するのは苦労があります。
作業以前の基本的な動作
仮に、店長候補さんが「少し変なやり方(動き)」をしているとして、それでも、今その作業を遂行するという点だけで考えれば、そんなに目くじら立てなくても問題ないだろう、と考えてしまうかもしれません。

しかし、そういう部分が散見される場合、たいていの場合、それは一つひとつ作業知識や熟練度ではなくて、もっと根本的なその人の習慣的な動作の方法に欠点があるということの現れです。

仕事上の動作というよりも、たとえば「立ち方」「座り方」「歩き方」「物の持ち方」というような、いわば子供の頃からその人に染みついている無意識な動きです。そういう点をそのままにして具体的な仕事上の動作をその上に積み重ねるようにして身に付けていくわけですから、たとえ今習得しようとしている一つの作業について大きな問題が出ないとしても、それは今後すべての作業について同じように現れる可能性があります。

だから、むしろその根本的な動作のほうを早いうちに問題視して、できる限り修正してあげるほうが長期的には効率的でしょう。

ただ、これは現実にはなかなか困難な指導です。というのは、この手の細かい指摘を受けるのは、たいていの人にとって決して楽しいことではないからです。

たとえば、特に目的意識を持たないアルバイトさんなら、こういう指摘は「口うるさい」「細かい」「どうでもいいことをネチネチと」というふうに感じがちではないでしょうか。だから、指導する側としても妥協し得る部分はあえて指摘せず「まあ、ここは仕方ないか」と考える場合も多くありますし、標準化された業務手順でも、そういう点までは決めずに置いておく、ということにもなります。

しかし、店長候補さんの場合には、こういう細かい点の指導を避ける傾向があればそれは結局どこかの段階で支障が出ることになります。

実は、店長候補さんが最初の内はどんどん作業を覚えて、能力も向上しているように見えるのに、途中から伸び止まってしまったり、期待されるレベルの業務スピードや、業務の密度に付いていけなくなるという症状が出てしまう理由の一つはこれです。

先ほど言った、もっと根本的な、無意識的な基本動作に難点があるままに具体的な作業を覚えて蓄積したからです。

ですから、こういった指導は最初のうち、早い段階から鋭くチェックして行うことが必要であるのと同時に、指導要領の中でもっと前のほうに出てくることですが、本人に、そういった指導の必要性、そして、そういう指導を受けられることを「よかった」と思えるような説明と意識付けがどうしても必要です。
自分本位で考える
店長候補さんの中にもいろいろな性格の方がいて、ある意味貪欲に、悪く言えば一見すごく自分勝手というか、利己的というか、とにかく自分が早く認められて店長になろうというようなタイプの人と、逆に、現状の立場の中で周囲の仲間と仲良く、うまく付き合って行こうとするようなタイプの人がいると思います。

これは、どちらがより優れているとかいう問題ではなくて、実際には店長という立場になればどちらも必要な面があるのですが、ごくふつうのレベルの店長候補さんを考えた場合には、方向付けとしては「まず個人能力、その後で周囲との協調」というような順番が大切だと思います。

つまり、感覚としては自分の未熟さを置いておいて、今みんなと協調性を持って、みんなで頑張りましょう、みたいな考えは一見良いことのようで実はよくないということです。そうではなく「まず、とにかく自分自身の知識や技術を、期待されるレベルまで早急に引き上げないと話にならない」というような観点で、習得や向上に集中してもらいたいと考えます。

特に、周囲はアルバイトさんばかりという環境では、自然に流れればそういった人たちの意識や、実際の動きなどに影響を受けます。自分にとっての、自分のための強い目的意識と達成意欲を持っていなければ、飛躍的に向上することはできません。

逆に言えば、周りのアルバイトさんとかと同程度の業務内容で、同程度の質しか提供できない、同じような習得スピードで足りると思っている、とか、そんな意識では、いつになったら店長になれるのか分かりません。

もちろん、後の段階では単に自分のことだけ考えて作業に集中しているわけにはいかなくなります。しかし、今その時期ではありません。むしろ、店長候補さん自身が期待される一定の個人能力を身に付けて、そのレベルの視点で周囲を見られるようにならないと、本来あるべき周囲との協調とか、全体としての効率とか、あるいは、ゆくゆく他のスタッフさんを管理するような立場になるとか、そういう前提ができません。

自分の能力が十分でないということは、たとえば店舗全体のあるべき姿についての認識も十分でないということになります。また、自分の能力というのは、結果的に「他人にどこまで要求できるか」とか「他人のやっている作業や行動をどう評価するか」といった場合の基準にもなります。

例えばですが、お店をそれなりに運営するには、結局は自分一人だけがただ一生懸命やっていれば足りるという認識ではもちろんいけませんが、では、いっしょに働いている他のスタッフさんとの関係や、全体としての仕事の流れやクオリティを考えるときに、もし自分の業務能力自体が低ければ、それ以上のことを他人に要求することはできないですし、周囲に潜在的に能力を持っている人がいても、そもそも自分が無理だったら、その人の力を引き出すとか、そんなこともほとんどできなくなります。

なので、むしろ自分自身の能力の向上が結果的に全体としても質の向上や、全体の効率の上でも要になるという認識で、ある意味利己的に、貪欲にまずそれを追求する時期が必要なのだと私は思います。
「今のテーマ」を明確にする
お店ではたいてい、何時頃何をやるかという作業スケジュールが決まっていて、店長候補さんも特段指示等がない場合、たいていは「やるべき作業」を時間通りにこなしてゆくことに終始すると思います。あるいは、一部特殊な業務を担当したり、指導を受ける時間を与えられたりする場合でも、それはだいたい「何時頃作業スケジュール的に時間が取れるから」という理由でそこに当てはめて行うことになると思います。

まあ特に誤った考えとも言えませんが、私は、できればこういった意味での、つまり今与えられている、やるべき業務という観点ではなくて、もっと別の視点で「今日何をするか」ということを事前に考えて、勤務に入ってほしいと思います。つまり「テーマ」です。

それがないと、結局毎日あらかじめ形として存在する作業の羅列という感覚から抜け出ることが難しいからです。

指導要領でも、以前に「反省する」という点を挙げていますが、そこでは単に「振り返りの習慣を付ける」ということだけに力点が置かれています。実は、それだけでは不十分です。

たとえば、漫然と作業スケジュールをこなして「今日はスムーズに行ったな」とか「今日は時間的に押してしまった」というように結果を反省するのは言われれば誰でも一応やりますが、見ているとその反省というのは人によってはかなりおざなりで、必ずしも行かされていません。

多くの場合その手の「反省」は、その時には行ったとしても、では次に勤務するときにどうなるのかというと疑わしいです。要するに一つの問題点に対する意識の継続性が薄いので、ただ結果を振り返ってみる、というだけになりがちです。

たとえば、同じ問題点について何度も意識して、スムーズだった場合と、そうでなかった場合があるとして、では「どんな時にスムーズで」「どんな状況ではスムーズではないのか」という理由を考える人はあまりいません。

客数が通常より多くて時間通り終わらなかった、というような「理由」なら誰でも言えますが、そのような状況で時間通りに終わらなかったということが、それだけで「スムーズでなかった」ということになるのか? あるいは、そのような状況下では「誰がやっても時間通り終わらないのか?」とか。他の人なら終わっていたはずなのに、自分がやった場合だけ終わらないことがあるとしたら、それは「客数が多い」せいではありません。
何事もない一日を作らない
何というか「表面的な、おざなりな」反省しかしないのなら、実際には今日一日で何かを学んだということにはならないのではないでしょうか。だから、勤務が終わってから「今日はどうだった」というのは、最初の段階の話では許されるかもしれませんが、ここまで指導を進めてきた段になってそういう意識のままでは進展がありません。そうなってしまうのは、要するにテーマが絞れていないまま勤務しているからです。

特に店長候補さんがこの段階ですべきなのは、「今日は何を学ぶのか」「何を知るのか」あるいは「何を意識的に練習するか」というようなことです。

しかも、それが一日単位で思いつきのように変わるのではなく、あるいは、そのときたまたま指摘されたような点にだけ意識が行くのではなく、指導する側の意図も踏まえた上で自分なりにある程度の継続性というか、一貫性を持つようなテーマとして認識されることが大切だと思います。

それは、その事柄自体の習得という面からももちろん大切ですが、そうすることによってお店での仕事が「単に繰り返される流れ」とか「作業の羅列」であるというような感覚から脱することができるという点がより大切です。

たとえば、そういう認識がないからこそ、都度の「今日はこんなことがあった」「今日はスムーズに行かなかった」というような反省点しか思いつかないわけです。むしろ、一日勤務していて、何の引っ掛かりもなくスムーズに作業がこなせた、というのは指導上で言えば良いことでもなんでもなくて、この段階では一日の中で、意識的に質を追求するために特定の「この作業だけはいつもより時間をかけて行おう」といった観点が必要です。

それをあらかじめ考えていたとすれば、他の作業をいつもより手際よく済ませて、もっと言えば他の作業を多少端折ってでも、その特定の業務のためにより多くの時間を確保する必要があります。

「今日はこれをマスターするぞ」とか「今日はこれに付いて納得いくまで聞いておくぞ」とか、事前の心づもりを持っていれば、いつもより時間がかかっても念入りに行うべき事柄が見えてくるわけです。
指導機会を優先する
日頃の業務のスケジュールや段取りについて、もう1点考えてほしいことがあります。それは、できるだけ「指導を受ける機会を得ることを優先する」ということです。

たとえば、普通なら店長さんとかですが、指導を乞える立場の人がお店にいて、その下で店長候補さんが勤務しているとします。すると、指導という面から言えば、店長候補さんは「いつでも質問したり、相談したり、教わったりできる」環境にいることになります。

まず、それが「当たり前の状況」だと考えているようではいけません。少なくとも、「いつでも教えてもらえる状況」にいるということが非常に特殊な状況だと自覚してもらわないと困ります。

次に、そういう場面で、その店長候補さんが「いつも通り、漫然といつもの作業を繰り返している」としたら、非常にもったいないことです。その恵まれた状況下では、いつも通りつつがなく作業を進めることなんかよりも、何か一つでも二つでも「学んでおく」ことを優先しなければなりません。しかし、実際のところ、そういう自覚を持てる店長候補さんは多くありません。

多くの場合、そういう人は作業を普通に進めていける限りは何のコミュニケートもせず淡々と作業を繰り返します。もちろん、自分なりには何か考えながらやっているのでしょうが、それは自分が今理解している程度の視点でしかないので、たいてい指導する側から見たら、そんな範囲での自己学習だけでは期待されている程度には達しようがないという印象になります。それに気が付くべきです。

そして、多くの人は何か問題が発生したときや、何か作業の進捗に支障をきたすような事柄が発生したときに、初めて「指導を乞う」ような態度になります。でも、これでは厳密に言えば「指導を求めている」のではなくて、ただ今自分が作業上で困っているから何とかしてほしいだけに見えます。

このレベルの認識で「指導を受けている」と思っている人が多いと思いますが、それは店長候補というような立場であればまったく認識不足です。つまり、「学習ありき」であるべき店長候補さんが、事実上、「作業ありき」で過ごしているその時間は、いつまでも続かないということを自覚すべきなのです。
何を聞いたらいいのか
多くの人は、そうは言っても具体的にそういう事柄が発生しないと「何を聞いたらよいのか」「何を学べと期待されているのか」すらよく分からないので、質問も相談もできずにいるのです。

これは、おそらく指導要領を用いた場合でも同じです。指導要領は実際の作業やお客様対応などの行為と結びつけて習得しなければ、本人から見ると単なる読み物というか、ただ精神論みたいなことを並べて書いてあるだけのように感じても不思議ではありません。実際の仕事や、指導を行う中で常にそれと結びつけて考える習慣を付けさせないと、結局あまり意味がありません。

で、そういう場合、本人にとってみれば、あえて「指導」の時間を割かれるのは一種恐怖というか、それよりは、いつも通りの作業を繰り返しているうちに勤務が終わったほうが気が楽です。この、つい目先の楽さに流れてしまうというのも問題です。

そこで、できるとすれば、とにかく「指導をしてくれる立場の人」が同じ現場にいる間は、まずその人が今何をしているか、たとえば自身の行うべき業務に今追われているか、それとも、それほど緊急でない業務をゆっくりと進めているか、あるいは、自身は何もすることがないにもかかわらず「あなたを指導するために」お店に残ってくれているのではないか、とか、気にしてよく観察することです。

指導する側の立場で言うなら、店長候補さんが繰り返し作業に没頭して勤務時間を費やしているだけ、という状況に気が付いたら、すぐにそれを断ち切ることが必要です。

極端に言えば、通常の作業などはさっさと片付けて、あるいは、他の人に任せられる作業だったら思い切って任せてしまって、指導してくれる人のそばについて座っているだけでも、マシです。もちろん、本当にそれだけでは無策に過ぎますが、でも、それくらいの認識が必要だということです。それすらなく、指導機会を回避して毎日の作業を繰り返しているのは、いわば「最悪」です。

アルバイトさんなら、短期的にはそれだけでも繰り返しによる慣れによって多少作業効率は上がり、誉められるかもしれませんが、店長になろうという人がそんな状況では、期待されるレベルには到底辿りつくことはありません。

とにかく、少しでも学べる状況を作るには、自分がどう動いたら良いかという視点をもって勤務することが大切だと思います。
毎日の段取りは必要か
店舗だと、一定レベルに達するまでは、そもそも段取りがどうという以前に、時間によって作業スケジュールがあらかじめ決まっているので、自分で「今日何をやって」というような意味での段取り自体あまりしませんね。

しかし、それはアルバイトさんとかそういう範囲での話です。もちろん、店長さんとかは毎日ある程度の予定を考えておかないと仕事にならない面があるでしょう。

それで、指導する際にもたぶん「優先順位を考えて、一日の仕事の流れをちゃんと先に考えておけ」という類の指示を与えるのではないでしょうか。ふつうの会社などでもよく「朝、出勤したらまず今日一日の段取りをして……」というような指導を受けると思います。

ところが、これは私の経験からくる感覚なので、必ずしも一般的とは言えないかもしれませんが、実際のところこの「毎日の段取り」というものが仕事の効率や、本人への指導効果として役立っているのかと考えると、疑わしいような気がします。

私としては、段取りしてから仕事に取り掛かるほうがいい、という話は何だか建前的な話に思えてしまう面があるのです。

たとえば私自身を振り返っても、もちろん何時に来客があるとか、決まった時刻に何をしなければならないといったことを「忘れないために」一日の予定を確認しておく、というような意味では段取り的なことを考えますが、毎日必ずしも「今日はこれをやって、これをやって、次にこれをやって」というふうに考えてから仕事に取り掛かるというわけではありません。

何と言うか、最初にすべて段取りして、それを確認しながらその通りに一つひとつ進めてゆく、と言うやり方は、場合によっては非常にまどろっこしいことに思えてくるからです。

それより、とりあえず流れのままに進めつつ、お店の中を見回して、都度気が付いたことをどんどんやってゆく、というほうが「通常は」うまくいくし、しかも気楽だという感覚が私自身にも実際あります。
「段取り」が必要な人ほど「段取り」できない
周囲でもそつなく業務をこなせるような人を見ていて、初めに几帳面にスケジュールとか、今日やることのリストとかを作ったりしている人があまりいないように見えます。それに、だいたいのところ、実際そんなことをしていなくても何の問題もなく日々の業務は遂行されるように思えます。

それがなぜかというと、おそらく、日常的に繰り返し行うようなことは、順番やタイミングも含めてすでに体に染みついているような感覚があるので、それをいちいちあらためて書き出したり、頭の中で反芻したりするというような行為に時間を割くこと自体がムダで、さっさと目先の作業に着手するほうが「効率的」だと。

そのように考えている人も実は多いのではないでしょうか。

翻って、たとえば店長候補さんがいて、その人に何も言わなかったら、おそらく同じように「段取りしてから仕事を始める」という気持ちにはなりにくいと思います。

その理由の一つは、上で言ったことと同じで、他人から見ればまだまだ未熟に見えるとしても、本人が「自分はすでにそれなりに仕事で来ているんだ」というように考えている場合は、いちいち段取りなんてまどろっこしいことしなくても……と、同じように考える可能性は大いにあります。

しかしもう一つ、店長候補さんなどに特有の問題として、そもそも、それなりに有効な段取りのためには自分がする仕事の全体像とか、優先順位とか、周りとの関係とかが先に分かっていなければ困難だということです。

指導を受ける立場だということは、仕事の掌握や完成度が未熟だということです。単純に言って、それでもうまく段取りできるくらいだったら苦労はないんですね。

それで、つまり通常に考えて「段取り」というのは

・仕事をすでに習得している人にとってはムダに見える
・仕事を習得していない人にとってはそもそも不可能


という面があり、それでどちらにしろあまり役に立たないように思えてしまうのではないか、と私は思います。
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