店長力 > 2012年02月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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「自分なりの工夫」を否定する
私は、ある面では制約や弊害などがあり得ることも理解していますが、基本的には初期段階の指導においては本人の「自分なりの考え」とか「自分なりの工夫」とか「意見や提案」といったものはすべて否定します。

時々、そういうある意味「強制的」「威圧的」と思える教え方に反発や不満を感じる店長候補さんもいるのは事実です。しかし、意外かもしれませんが、実際にはそういう人の割合はあまり多くありません。だいたいの人は、もちろん最初の一定の時期においてですが、言われた通りをそのままやるということにむしろ抵抗がないように思います。

私はいつも指導上は、

「自分なりの考えとか、自分の頭を使って仕事するとか、それは、もうちょっとだけ後にとっておけ」

というふうに説明します。つまり、まずこちらとしては基本となる一定のフォームというか、仕事のスタイルを身に付けさせたいのです。はっきり言って、とりあえず土台となるものがないと「お話にならない」からです。

もちろん、最終的に「店長として」「管理者として」の仕事をする時点では大いに自分の工夫とか、自分のスタイルとかを発揮してもらいたいのはもちろんです。その芽を摘むようなことはできるだけ避けたいという気持ちもあります。

ただ、それは、今話題にしているような「作業の習得」とか「基本的な意識や考え方」といったことを習得する段階で必要なのではありません。むしろ、最初の段階で細かい点について自分の意見なり工夫なりを反映させたいという願望を持つ人は習得が遅くなります。

その上、そういったある意味で「短絡的な」思考そのものが、実際に管理する立場になったときにデメリットになりやすいという面もあるので、これ自体修正しないといけないと考えます
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指導もスピードが重要
それよりも、むしろ問題はどうやって「早く一定のフォームを身に付けるか」ということのほうです。内面的な成長にしろ、具体的な実務の熟達にしろ、私はこれは「初期の一定の期間」にある程度完成させておかなければならないと考えています。

鉄は熱いうちに……ではないですが、こういう指導は時間が経てばたつほど困難になるものだと思います。

その意図から、指導要領にもタイトル中に「80日で変わる」と入れました。これは、一つには80日くらいあれば全内容を習得できるだろうという期待も込めていますが、裏を返せば、この手の事柄は、80日くらいを目途にしていわば短期集中で意識的に習得しようとしないと、結局ずるずる引き延ばせば延ばすほど習得できるチャンスがなくなってしまうように思うから、という意味もあるのです。

もちろん、その後の成長を考えた場合、自分なりに「もっと幅を広げる」とか「もっと理解を深める」とか、動作的な事柄にしても「もっと洗練する」とか「もっと究める」といった次元のことは時間があればあるほど良いと思いますが、むしろそのために、最初の「型を作る」とか「基本を習得する」という部分はできるだけ時間的に短縮する必要があると私は考えています。
雑用にこそ習得度が現れる
お店では、いわゆるオペレーションは多くが標準化されていますから、たいてい最初に教えられるようなことは「そもそもやり方が決まっていること」です。また、店長候補がこの段階で日常行うほとんどの作業はルーチン的な作業で、必然的に毎回繰り返すことになるでしょう。このような状況では、実はその習得に関して本人の意識や理解度といったものが影響する度合いはあまり大きくありません。

つまり、今まで話したように、精神的な部分などの学習をあらかじめ別枠でなるべく明確に提示する、というような手法を取らない限りは、長期間の繰り返しによりだれでも、何となく、それなりに、できるようになるのが自然だからです。そもそも、店長候補とはいえ、やっている作業自体はたとえばごくふつうのアルバイトの学生さんでもできる作業ばかりなのですからむしろ当たり前です。

また別の面では、ルーチン作業というのは仮に誰かが中途半端なやり方で終わっても、繰り返しであるがゆえに他の人に引き継がれれば知らないうちに修正されるという面もあります。

これを逆に考えると、オペレーションの習熟度合いを見ることによっても、それだけでは本人の心理的、精神的な成長度合いや、より抽象度の高い一般的な意味での実務能力やスキルの向上具合が計りにくいということになります。

それで、それを図る有力な手段が「雑用」だと私は思っているのです。
雑用の特徴
通常のお客様対応やルーチン的な業務とは別で、お店ではいろいろと「雑用」が生じると思います。いわば、まともに業務とも思われていないような業務です。たとえば、ポスターを新しいのと取り換えるとか、机の上を片付けるとか、洗剤が切れたので買って来るとか……言い出せば結構あると思います。

実は、上記のような面を見るには、こういった雑用をちょっと与えてみるのがきわめて有効だと思います。あらためて言うまでもないかもしれませんが、雑用が雑用である所以は、

・詳しい説明なく簡単にできる程度の難易度
・しかし、定期的に繰り返し行うようなことでもない
・直接お客様に影響するとか、そういう意味での重要度があまり高くない
・ごく短時間で終わる

といった特徴があるからです。なので、まずこれには、業務の習熟度とか経験値とかによる差が出にくいです。それよりも、根本的な仕事観や姿勢、また、指導要領の中で出てくる習得すべき各項目についての意識などがそのまま反映される度合いが大きいと考えられます。

なので、むしろ雑用を指示するときこそ、その結果を評価し、指導に結び付ける良いチャンスとなることが少なくないと思います。単に必要に応じてその場その場で指示して、雑用であるがゆえに、多少結果に問題があっても「まあ、いいか。これは本筋の業務でもないから目くじら立てなくても……」というように中途半端な状態を容認しているのは、指導効果の面から見ればもったいないことになります。
整理整頓について
お店で働こうとする人の中に、整理整頓が苦手な人が必ず何割かいるものです。これを矯正するのは結構難しいものですね。たとえ口やかましく「きったねえなー」「整理整頓だよ!」と言ったとしても、まあ一応気を付けるかもしれませんが、根本的には「整理整頓できる人」にはなかなかなりません。

私は思うのですが、実は整理整頓というか、仕事振りがきれいな人というのは、おそらくいつも繰り返し行うような実務上の定型的な動作の中に、常に使っている場所を整理整頓するということが「含まれている」ように思います。言ってみれば、その人にとってはすでに身に付いている動きを無意識にすることで、自然に整理整頓ができてしまうというようなイメージです。

たとえば熟練の板前さんは、包丁を使って料理をするとき常にまな板はきれいです。しかし、素人や、駆け出しの新人さんだったら、料理自体がどうこうよりも前に、たぶんまな板がすごく汚れてしまうと思うのです。で、それを意識的に拭き取ろうとしたりすると、余計な動きが増えてしまい、周りから見ると「もたもたしている」ように見えてしまうわけです。

ということは、もちろんひとつには意識付けも重要だとは思いますが、それとは別に、そもそも「最良の手順や動作」をしっかり身に付けることが、そのまま「きれいに仕事できる」ことと直結しているような気がします。

もちろん、プライベートでのきれい、汚いまでは面倒見切れませんが、殊仕事における作業中の動作なら、きれいに仕事できるための動作のポイントをしっかり身に付けさせることができるなら、本人の意識はどうあれこういう面はかなり修正できる可能性があるように思うのです。
報連相は常識か
一般の会社などでは、常日頃から当然に報告、連絡、相談と口やかましく言われると思います。新入社員の間だけでなく、働いている限りずっと常に問題になることでもありますので、ふつうのサラリーマンなどであれば当然に意識すると思います。

この意識の仕方は、ふつうはおそらく「社会人として」あるいは「ビジネスパーソンとして」の基本スキル、あるいは当然の常識である、というように表現すると思います。

ところが、見たところお店というところでは、意外にもあまり「報連相」などという言葉は耳にしません。もちろん、日常的に

「なんでちゃんと言っといてくれないんですか!」

という声が上がったり、

「こういうことは他の人にも伝えないとダメじゃないか!」

と叱られたりする場面はしばしばあります。でも、それは何というか、実際に業務上支障が出た、今オペレーション上困る、という場合にだけ言われることであって、おそらくお店ではそういうのは「社会人として当然の基本スキルだ」というような感覚で語られることは少ないと思います。

だから、もちろん、たとえばお客様からの予約注文とか、作業の残りを引き継ぐとか、そういう「実際の必要」が生じたときには一応、これはきちんと伝えなければ、と感じてそうするのですが、特に

・別段、直接的にお客様対応に関わらない作業の進捗
・その場でもう済んでしまったこと
・お客様の声、耳にした情報(しかし、言わなくても特に支障が生じない情報)

といったものは、あえて「言え」と言わない限り報告しようとしない人のほうが多いように思います。雑談として「今日あったこと」とか「変わったお客さんがいた」とかいう話をすることは非常に多いのに、これを「情報として正式に報告する」という観念はないのです。
業務としての報告
私が思うにこれはたぶん、お店で働く人というのは、ともするとごくふつうに言われるような意味での「仕事上の常識」といったものにすごく無頓着な場合があるからだと思うのです。しかし、そういう部分が抜け落ちていることは、まだお店でオペレーションをこなすだけの立場だとなかなか見えにくいと思います。しかし、たいてい店長といった役職を与えられてから問題になることが少なくないのです。

他のところでも述べたと思いますが、店舗業における仕事をする上で、店長候補さんなどに気にしてほしいことは、実はこういった類の事柄です。いわゆる「仕事人として」「組織人として」の基本的なスキルやマナーの面です。

たとえば「報告」なら、それは個別具体的に「それは報告しなきゃダメじゃん」というような認識ではなくて、むしろ、「報告というのは一つの大切な業務であり、報告がきちんとできることは業務上必要なスキルの一つなのだ」という認識が先にあって、都度の個別具体的な場面にそれを反映しようとする、という流れが欲しいところです。

たとえばですが、お店で新たに社員さんを採用したときとか、アルバイトさんを店長候補として扱い始めるという段階で本をプレゼントするとしたら「お店の仕事とは」というような本ではなくて、むしろもっと一般的な「新入社員が読むビジネスマナー」みたいな本をあげたらいいと思います。要するに、たいていお店で店長候補さんになるような立場の人にとって、決定的な問題となりやすいのは「お店での仕事そのもの」というよりもまずそういう面です。

指導要領もそういう面を加味して作成していますが、結局、お店のオペレーションを基準にして評価するだけだと、どこかの段階で本人が自ら気が付いてそういった面を強く意識しない限りずっと無頓着なまま過ごすことになってしまいます。

ところが、実際のところ店長とか、それなりの立場になれるかどうかを判断する際には、むしろそういう面を問題にすることのほうが多い気がします。

ですから、たとえ日常の作業レベルで多少抜きんでていても、それは「他のふつうのアルバイトさんとの比較で、相対的に作業が上手い」だけという評価にしかなりません。それだけでは、大枠で言ってアルバイトレベル、という壁を越えられないのです。
なぜ「報告」は大切か
なぜ「報告」は大切かというと、まず

1 仕事の基本だから

という点を大前提にするべきだと思います。実際にどういう支障が出るとか言う前に、報告はそもそも仕事に含まれていると考えるべきだと教えたほうがいいと思います。

これを前提に、しかしあえて詳しく考えてみると、お店でも会社でも同じことですが、極端に言って仮に、自分一人の力で何らかの成果を上げていれば誰からも文句を言われないような仕事だった場合、報告の必要性は相対的に低くなると思います。しかし、多くの仕事は周囲の人との協力や分担、組織としての取り組みなどが必ず必要なので、報告やコミュニケーションの必要性はより高くなります。

たとえば、会社でも単に自分の営業ノルマを達成することに集中できる状況では、自分に自信のあるベテランの営業マンなら、特に問題が起こらない限り自分一人で動いて結果さえ出せばいい、というやり方も可能かもしれませんが、部署全体を挙げて大型案件の獲得のために動く、という場合には仮に自分の自信とか実務能力とかに関係なく常に報連相を欠かさず密にコミュニケーションしなければ仕事になりません。

この前者を「一人仕事」、後者を「集団仕事」と呼ぶとして、一般には、会社だといわゆる「一人仕事」の比率は非常に少ないのが普通です。組織として仕事を遂行するのが前提ですから当然のように「報連相」が基本スキルとして挙げられて違和感はないわけです。

そこでお店という職場での状況を考えてみると、飲食にしろ販売にしろ、一見するとお店というのは「みんなでいっしょに働いている」ようにイメージしやすいと思いますが、実際は、特に最近の「店舗業」では、まずお店では多くの作業が標準化、ルーチン化されているために、それさえ身に付ければその範囲内では自分一人でできるようになります。極端に言えば、いったん覚えてしまった日々のルーチンを繰り返すときに、いちいち上司や同僚とコミュニケートする必要は原則ないのです。むしろ都度の判断を省くためにルーチン化されているわけですから。

その意味では、イメージと違ってお店での仕事は「一人仕事」の面があるわけです。だから、意外にも「報連相」といったことを重要視する風潮が少ないのかもしれません。
関係を維持するために
仮にお店での仕事が「一人仕事」の比率が高いのだと仮定して、では報告を重要視する必要性はあまりないだろうと言えるかというと、当たり前のような話かもしれませんが、もちろんそうではありません。

まず、そもそも標準化された作業やルーチンワークをこなすという範囲に自分の仕事を限定しているからそう言えるわけで、たとえば店長候補さんが本来期待されている業務は当然そのような範疇のことに限りません。逆に言うと、店長候補さんが勝手にそういうイメージで仕事していたら、結果として報告の重要性も自覚しにくくなる、よって報連相がおろそかになる、というわけです。

これは言い換えれば「業務上の必要性」です。

次に、前に述べたように、特に店長候補さんという立場では

2 指導機会を得るため

という点が大きいです。これはあえて言い換えれば「学習上の必要性」です。

しかし、これと別の面からもっと根本的に考えると、私は

3 関係を維持するため

ということになると思います。つまり、仮に業務そのものは自分一人でつつがなく遂行できる力を付けたとして、そうなった場合に、では何も報告しないでいいかというと、そんなことはありません。日々の数値的な報告とか発生した事例の報告は必要です。ただし、この意味での報告は上司などに仕事の結果などを「知らせる」という目的に過ぎませんので、これは最初の「業務上の必要性」に含まれます。

では、それだけでいいか、もちろんそんなことはないのです。

なぜなら、仮に何の必要性もない場合であっても、経営者や、上司や、他の店舗で働いている仲間や……そういう人と「いっしょに仕事している」限り、そういう人との関係を維持しておく必要があるからです。

つまり、実は根本的にはこれが一番大切な気がしますが、「関係上の必要性」です。

そもそもコミュニケーションというのは、いっしょに働いている人同士や、また取引先なども含めた関係者との良好な関係を維持するために前提的に必要なものであって、何かなくても、何もなくてもいつも必要なものです。

もちろん、雑談的なコミュニケーションや単なる「顔つなぎ」でも有効なのですが、それよりも、店長候補さんのような立場で特に「上司に対するコミュニケーション」を考えた場合に、そのツールとして最も有効なのは「報告」です。つまり、そもそもしっかり報告する、ということは直属の上司などに対する最も有力なコミュニケーション手段にもなっているわけです。
報告頻度と自律性
ところで、たとえば、すごく有能な部下というのをイメージしてみてください。すると、おそらくその人は、ふだん上司に対していちいち細かい指示を仰いだりせずに、言ってみればある程度勝手に自分の判断でどんどん業務を遂行していきます。しかし、にもかかわらず「ここぞ」という時にはきっちりと必要十分な情報を上司に伝えるのではないかと想像されます。

まだ経験などが浅く、何事に付けても上司や先輩の助力が必要な部下は、事細かに指示を受け、いちいち報告を上げないといけません。

これは、本人の業務上の自立性が大きくなるほど、報連相の頻度は小さくなることを表しています。いわば自律性と報告頻度は反比例します。しかし、この関係を成り立たせるには、実はもう一つ別の要素が必要で、それは「信頼」です。前者のように最小限の報告で足りるのは、両者にそもそもしっかりとした信頼関係が維持されているからではないでしょうか。

この信頼関係がまだ未成熟な場合、たとえば上司から見て、特に必要のある場合だけ最低限の報告のみを入れてくる部下は、あまり可愛くありません。それに放っておくと「ちゃんとやってるのかな」「大丈夫かな」と不安になります。

かと言って、何から何までいちいち判断を仰いでくる部下は、上司から見ると「ひとりで仕事できないウザい部下」です。

すでに信頼関係があるから、ごく少ないコミュニケーションで足りるわけです。しかし、そうなるまでには、それまでに積み上げられた業務上の成果、それに加えて「報連相」や「コミュニケート」の実績が必要なのではないでしょうか。

おそらく、信頼関係について無視して、単に報告頻度を低くすると、実務上いろいろ問題が起きるか、または評価が下がります。それでは、本人がどう認識していようと現実には「自立的に」仕事などできていません。

ちゃんと報告スキルを身に付けて、報告した実績を積み上げた人は、結果的に「自立的に」仕事ができるようになり、かつ、その後の報告頻度は少なくて済みます。

逆だと、まずいつまでたっても「自立的に」仕事させてもらえないで、しかも、いつまでも多くの報告を求められます。

こういう関係が成り立つように思います。
「自立」を勘違いするな
そこで、仮にふだんから何かにつけ「報告」の不十分な店長候補さんがいるとします。すると、この人は、いつまでたっても信頼関係が成り立たないままなので、いつまでたっても多くの報告を強制的に求められることになります。同時に、いくら本人がより自立的に仕事したくても、させてもらえません。

この状態を打開しないと、店長候補さんはいつまでたっても「候補」のままです。しかも、本人がそういったことにまったく気が付かずに、注意されてもなお報告の重要性について無頓着でいるなら、最終的にはもう指導を放棄されます。要するに組織の中で自立的に仕事できる見込みがないと判断されることになるでしょう。

もちろん、信頼関係に基づいて自立的に仕事ができている状態と、指導が手詰まりになって放っておかれている状態とは天と地ほども違います。

報告が来るという信頼性が将来的にも期待できないと見做されると、おそらく「報告がなくても別段支障のない業務」以上のことをさせてもらえなくなります。お店で言えば、要するにルーチンの遂行を繰り返すという範囲にずっと留め置かれることになります。

これを、ふつうに表現すれば「アルバイト以上の仕事をさせてもらえない」ということです。よほど危機的な状態だと自覚しなければならない状況です。しかし、悲しいかな、そういう状況に陥ってしまう店長候補さんは、それだからこそなのか、その自らの危機的な状態に気が付くことも難しいです。

万が一、自分がもしこのような状況にいるのではないかと心当たりがある店長候補さんがいたら、もう一度この点をよく顧みてほしいと思います。ここでは「報告」という話に引き付けて書きましたが、それを含めて、おそらくこういう状況を打開するときに必要な視点は今やっている業務や店舗に特有の知識などよりも、ふつうに新卒の人が就職して、新入社員となった場合にすぐ教えられるような、いわゆる「ビジネス上の一般常識」「仕事のイロハ」と言われるような事柄の中に多くあります。そういう本でも買って読めばよほど役に立つと思います。
何を報告すべきか
ふつう、報告について指導、指示するときは

「こういうことは、ちゃんと報告しなくちゃダメじゃないか!」

というように、報告すべきなのに報告しなかった事例を発見して、指摘すると思います。

これはこれで効果はあるかもしれませんが、もっと重点的に指導を行おうとしたときには、
たとえば、報告するかどうかは別としてまず今日一日起こったことや、考えたこと、気が付いたことなどを全部挙げてみるように指示します。

たいてい、報告しろとだけ指示すると、店長候補さんは「今日は(報告に値するようなことが)何があったかなー」と考えます。すると、ごく少数の事柄しか浮かんできません。

なので、そうではなく、とりあえず報告する、しないに関わらず

「自分は今日何をやって、何を考えて、何を言って、言われたのだろう」

ということを思い出すようにします。この時点では報告というよりも単なる箇条書きの日記のようなものと考えてもいいでしょう。

その上で、まず本人なりに

「これは、もしかして報告することじゃないな。なぜなら……」

と考えるように誘導します。つまり、その事柄について認知していたのだけれど、自分なりに「理由があって」報告項目から外すほうが良いと判断する、という流れを作り、その全体を眺められるようにするのです。
報告しない理由を考えさせる
このやり方は実際かなり時間がかかって面倒くさいので、あまり長期間することは難しいですが、ちょうど「報告」について重点的に教えようというタイミングで一時的に集中して行うなら効果があると思います。

たとえば、ここでの指導用に特殊な「報告書」のようなものを用意します。それには前述の「やったこと」「考えたこと」を時系列ですべて書くことになっています。

それで、そのそれぞれにチェック欄があって、本人が「報告すべきでないこと」と思う場合だけチェックを入れます。チェックした場合、その横に「報告から外す理由」も書いてもらいます。

すると、まず別段理由が浮かばない項目はすべて報告することに入ります。これによって、少なくとも今の時点では「報告すべき事項」は想像以上に多いのだという認識ができます。

次に、報告項目から外す理由としては、ふつうたとえば

・報告したところで何ら意味や効果がない
・些末過ぎて聞く相手の負担だけが大きくなる
・すでに報告不要の場合の例として指摘されたものである

といったものが想起されますが、おそらく、この流れで思考していれば、たいてい

・これを報告すると自分の評価が下がる
・これを言うと余計な指示を受けそう

つまり短絡的な保身の心理から、または、藪蛇になるとか面倒が増えるとか、そういった感情的な理由からつい「報告したくない」と思ってしまう場合が多々起き得ることも経験できると思います。

もちろん、そんな理由は記入できないので本人は何も書きませんが、おそらく心の中では「こういった心理は、報告しない理由にはならない」ということは明らかに感じ取れるはずです。

こういう心理は業務上の報告にはつきものです。そういう気持ちに傾きそうになったとき、これをどうやって打破するか、克服するか、といった面の指導が実はかなり重要です。仮に、本人にとって「好ましくない報告項目」が、ちゃんと報告すべき報告として挙げられていたら、その点を強調して誉めてあげます。たとえば

「多くの者はこういう報告を自らすることを避けたくなるものだ。しかし、こういう報告がきちんとできるヤツは、評価が下がるどころかとても信頼できる人材なんだ」

というように。
書くことを習慣にする
ここでの指導だけに限りませんが、報告なり提案なり、何でも「書く」ようにすることを教えておいたほうがいいと思います。ともすると、報告書や業務日誌といったツールが設置されているにもかかわらず、その場に店長さんや仲間がいれば、口頭での報告や連絡で済むと思い込んでいる人がいます。

業務上は実際には口頭で伝えれば足りるような事柄も多くあるとは思いますが、それは「これは書いておくべきだ」「これはあえて書く必要はない」というふうに、その内容や意味から判断してこれを区別すべきでしょう。しかし、アルバイトさんや、店長候補さんは必ずしもそう考えているのではありません。

しばしば、もっと単純に、たとえば「今口頭で伝えられる状況なら口頭で伝え、今すぐに伝えることができないから、その場合は書いておく」という認識だったりします。

あるいは、たとえばシフト上で自分の後に勤務する人に引き継いでおくべき内容であれば、その人に対して書いて伝えるという流れが自然であるにもかかわらず、それを今いる店長などの管理者に口頭で伝えます。

これは、一面で「何でも管理者に伝えるべきだ」という面で無意味ではないですが、一方で、では本来伝えるべき人には「店長のほうから伝えておいてね」という意味になり、おかしいです。

書いておけば、その両方を満たすことができます。
書けば済むわけではない
ただし、書いておきなさいと言うと「じゃあ、書いておいたから、それをあえて口頭で言い直す必要もない」と考えて何も言わない、という態度になる人もしばしばいますが、これも一見正しいようでダメです。

本来、報告なり伝言なりというのは、最終的にちゃんと伝えるべき人に伝わったということを確認して初めて完了すべきものではないでしょうか?

書いたからと言って、その人が必ずそれを見るという保証はありません。もし見落としてもあまり支障のない情報なら、後日確認すれば済みますが、万が一、それが伝わらなかった場合に大きな問題が生じるということが想定できるのに、書きっぱなしで「見なかったほうが悪い。見ることに決まっているんだから」というような態度は当然ダメです。

きちんと伝える「責任がある」という自覚が必要なのです。そして、それだからこそ伝えたという事実を担保するためにも「書くこと」が必須なわけですし、書いて終わりでもいけないわけです。

情報の緊急性とか、重要性とかを全く考慮せず、単に、言えと言われたから言い、書けと言われたから書いた……そういう感覚の人が何割かはいると思います。店長候補という立場で言えば、そういう認識はもちろん業務上の問題に直結するということもありますが、それと同時に、自分がもし店長になった場合、配下のスタッフさんがそういう認識で仕事していた場合、どうなるか? という視点を持っていないことにもなります。

別の言い方をすれば、その人は、今その場で起こったことに反応する、という意味での作業しか頭にありません。仕事の全体の流れを想像してこれをきちんと成り立たせないといけないとか、業務全体をマネジメント、あるいはコントロールする必要があるとか、思っていません。

だから「やりっぱなし」で平気ではないことも平気でやりっぱなしにできるのです。

ただし私が思うに、これは、その人が「責任感が強いかどうか」とか「几帳面かどうか」というのとはちょっと異なる問題だと思います。お店の仕事では言い出せば些末な情報が無数に発生しますから、たとえば、どうでもいいことだったら、それほど几帳面になる必要はないのです。むしろ、何が今重要か、という感覚が大切で、何でも細かく几帳面に捉えようとしすぎると、たくさんのことを抱え過ぎて肝心の「これは」という点が抜けてしまったりすることもあり得ます。
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