店長力 > 2012年01月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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反省を繰り返す
想定される指導内容

□ 自省書の提出

※ 1日1項目、自分で反省点を記録して提出してもらいます。これは後に期限とか報告の仕方とかを習得する際の準備的な意味もあります。

※ オペレーションに付随した反省点を挙げてくることが多いので、だんだんと指導内容を踏まえた反省ができるように誘導します。つまり指導内容を積極的に進めること自体が今行うべき仕事であり、優先度も高いということを認識させます。

※ 具体的には、最初からここまでの内容について、再度自発的に自分なりに理解を深め、その上で「それを踏まえた行動が取れたか」ということを反省するようになればOKです。その様子が見られたら毎日の提出は中止してよいでしょう。
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時間を守る
想定される指導内容

※ ここで行うことは、もちろん実際に遅刻や欠勤をしないように伏線を張る意味もありますが、それよりも指導としては「時間」についての本人の見方を修正することに重点を置きます。

※ 店舗業というのは一般に、ともすると休日も少なく拘束時間がやたら長くなる傾向がありますが、店長になればそれ自体を自分で管理しなければならなくなります。人件費や原価の管理を当然行わなければならないのと同じように、自分の勤務時間とか業務密度とか、こういったもの自体管理対象であるという認識がないと、現場の状況にただ合わせて単に長時間勤務に耐えることが自分の役割のように感じてしまいますが、これは心得違いです。

※ 具体的な方法論などはこの段階ではまだ必要ないと思いますが、そもそも時間に関する認識が「管理される側」的な発想に留まっていると店長になってから問題が生じるだけでなく、今の時点での指導自体も進めにくいので、この段階での提示が必要だと私は考えています。
期限を守る
想定される指導内容

□ 期限を設定させる

※ 期限を守るかどうかより以前に、そもそも期限というのを上から与えられるものと考えている人が多いため、自分の業務に自分で期限を設定させる習慣づけを行います。単純には現場的な作業に時間設定を設けるようなことから始めますが、結局は今ここで言っているような指導内容について各段階で習得期限を設定してそれを目標に積極的に習得を進めるというような意思が本人の中で芽生えるようになれば有効です。

※ ただし、これが実際に習慣づけられる人はむしろ稀です。ほとんどの場合、仮にここで指導を受けている間はうまくできるようになっても、しばらくしてほとぼりが冷めると自発的に期限を設けて動くことをやめてしまうと思います。結局は、その会社なり店舗なりが、全体としてそもそも期限設定を行う社風があるかどうかに左右されることになるでしょう。

※ しかし、最終的に店長候補たる本人が、実際に「店長になる」ことに期限を付けることができれば、ここでの指導上はOKと思います。


□ 期限を守れない理由を見つける

※ 期限を設定したのに守れない理由は、ほとんどがいくつかのパターンに集約されます。そういう典型的な障害要因を回避するためにはどうすればいいのかを考え、実体験させます。結局のところ、そういった障害が発生するのは、まさにここで指導を受けているような基礎的な実務上の知識や技術がおろそかだからだ、ということに気が付ければ最も有意義だと思います。
約束を守る
想定される指導内容

※ お店にあるルールなどを自主的に守るのは当然ですが、単にルールだから守る、という態度だけでは十分ではありません。店長候補さんはいずれルールを作ったり、配下のスタッフさんに遵守させたりしなければならない立場にあります。ですから、そのルールの意味、妥当性などに考えが至らなければなりません。

※ ただし、本人が自分なりの解釈で「このルールは変えたほうがいい」とか「前職ではこうしていたから、このほうがいいと思う」とか批判的な言動をする場合もあります。運営方針や現場的なルール決めについて店長さんに一任するような経営スタイルの場合は良いのですが、たいていチェーン展開しているお店では店長さんにそこまで権限を丸投げしませんので、「自分の意見と会社の方針などにズレがある場合」の解決方法についてもあらかじめ考慮しておく必要があります。
指導内容と指導意図
少し話が横道にそれてしまう気がするので申し訳ないのですが、

他のことも同じなのですが、オペレーションにしても何にしても、まず「黙ってても相手が勝手に面倒見てくれる」と思っているとお話になりませんよね。

というか、ハタから見てそのように感じてしまう人というのは、たぶん「そのようにすら」思っていない、言い方は悪いですが、正直言って「何も考えていない」ことが多いと思います。

だから、オペレーションの出来不出来以前に、自分が覚えようという意思表示をしない限り誰も教えてくれないんだよ、ということを教えてあげる必要がしばしば生じます。

これは一見矛盾しているように聞こえます。なぜなら、誰も教えてくれないぞ、と言いながら実は、「自分から覚えようとしなければ教える人も教えにくいのだから、そのつもりでやりなさい」と、教えていることになるからです。そういうこと自体を、本人の意思表示なしに勝手に教えてあげるわけです。

しかし、そういうことは本人が気づいたり発見したりして、行動に移すのが当たり前だろう、と考えることが多いので、その教え方はしばしば、たとえば、本人の手が空いているのにあえて何も指示せずに、手持無沙汰でいる心境を体験させておいてから、「そんなことでいいのか?」みたいな刺激を与えて本人に「自分がすべきことは何なんだろう」とか「自分から積極性に動かなきゃダメだ」と気付かせようとする、というようなやり方になります。

このように、指導する人というのは、しばしばこのように、きっかけだけを与えて、本人が自らその答えなりを発見し、自ら行動することを望みます。つまり指導する側は、たいていこちらなりの「指導意図」を持って、いろいろな指導手法を使うわけですが、それを全部教える側に開示するわけではありません。

つまり、本人に提示してやらせる部分の外側には、本人に直接言わないけれど、こういうふうに指導しよう、こういう方向へ本人を意識づけようとか、そういう部分を同時に意識しながら指導を進めていることになります。この、外側の部分は指導されている本人からは見えません。

(ただし、タイプ1の人は当然それを見抜いたうえで指導を受けていきます。実はこれは「良い学習者」の条件であり、実際には相手の立場や気持ちを推測すれば当然に気が付くべきこと、とも言えます)
指導意図は多重構造
それで、ふつうお店における指導というのは、たいていオペレーションそのものが「提示部分」であって、そこに含まれるコツとかノウハウとか、考え方とか意識といったものが「指導意図」というように、おおざっぱに言って2つに分類されるように思います。

だから、基本的にはオペレーションの習得が中心で進んでいくけれども、それを身に付けていけば、それに伴って姿勢や心構えといった精神的な面も成長していく、という前提で指導がなされているわけです。

しかし、指導要領ではある意味、あえてその「姿勢」とか「心構え」といった部分そのものを前提的な仕事上のスキルとしてあらかじめ提示してしまうわけです。つまり、この指導要領を用いる場合、このコツとかノウハウとか、考え方とか意識といった事柄も「提示部分」に含んでいるというイメージになると思います。

では、それが指導意図のすべてを開示していることになるかというと、当然そうではありません。その外側にさらに指導側がコントロールする「指導意図」が存在しているはずです。

少しややこしい言い方ですが、要するに、本人に露出している範囲が異なるということです。

私のイメージでは、このように、指導意図というのはたいてい多重構造のようになっており、そのどこまでを提示するのが最も有効か、ということは考慮に値します。たとえば、仮に可能ならばすべてを提示できればそのほうが効果が高いのか、と考えても、どうもそのようなことはないような気がします。どうしても、本人が自己発見する部分や体験を通して会得する部分がやはり必要だとは思います。

また、提示するにはそれ以前に内容が整理され、明示的に表現できるような準備が必要ですから、どこまでならきちんと提示することができるかという面も大切で、指導する側にとっては、指導手法を考えるときにこの点も重要な問題なわけです。
チェックを受ける
ところで、

「自分から仕事を覚えようという意思表示をしろ」
「積極的に学ぶ気持ちを持て」

とか言われたとき、

「はあ……」

などと言っていっこうにやろうとしない人だったらほとんど学ぶ意思そのものを疑った方がいいかもしれませんが、そういう人は実際あまりいなくて、たいていはまず単純に、

「これはどうやるんですか」
「これ何ですか?」

という感じで、とにかく知らないことを片っ端から質問してくるのがまあしばしばあり得る行動だと思います。

まずはそれでも自分が覚えようという意思表示をしようとしていることに違いないので、しないよりはマシだと思いますが、正直言って、これは最も稚拙なやり方であって、こうなると次には、自分が覚えようという意思表示を上手にするにはどうするのがよいのか、ということを提示してあげる必要があると思います。

つまり、単に思いつきでも、急にとにかくどんどん質問し始めるような人はたいてい「どうすればいいのか知らない」のだと思って間違いないでしょう。

で、その一つの方法が、自分が何か作業や対応をやった後に「チェックを受ける機会を増やすこと」だと思います。

たとえば、何かやったら「これやりました」「終わりました」のあとに「ちゃんとできていますか?」「これでいいんでしょうか?」「ちょっと見てもらえますか?」と言えるかどうかです。

これは指導機会を得るには非常に良いやり方ですから、店長候補さんに教えてあげるとよいと思います。

例えばこういった部分は、ふつうは自分で気が付いて勝手にそのような行動が取れるのが望ましいと考えるわけですが、あえてこういう具体的な「やり方」まで提示してあげれば、やりたいと思っているが、やり方が検討つかないというタイプの人も、実行可能になる可能性があります。
報告を指導のきっかけにする
たいてい、指導する側は、本当は店長候補さんに何かを指示する場面では、本人から申し出がある以前に、そのことについて詳しく教えてやろうと待ち構えているような感じだと思います。実際にはむしろ、今必要だから指示してやらせている、ということよりも、その事柄を教えたいがためにわざわざ指示を出して、やらせてあげている、という感じでしょう?

それなのに、指示された本人が、単に「やりましたー」というだけで、そそくさと持ち場へ戻ってしまったりすれば、せっかくウンチクのひとつも垂れようとしていた側はかなり白けてしまうものです。

それどころか「終わりました」という報告すらせずに、やりっぱなしでいつの間にか次の作業に移っていたりする。こちらから見るとまるで

「私は私なりにやるから、あなたの助言など不要です」

と言われているような気にすらなります。教えてあげようと思って指示したのに、こういう態度の人がいると非常に腹立たしくなってきます。また、そうなるとすぐに本人の「やる気」を疑いたくなるでしょう。

「そっちがその気なら、もう俺は知らん」

と見切りをつけたくなります。

もちろん、仮にですが、最初は自らそのようにうまく機会をとらえて指導を受けていた人がある時期から急にそれをしなくなった、というような場合には、仕事に対するモチベーションが下がっているとか、指導している側に不満があるとか、何か別の面での問題があることが少なくありません。つまりこれは「知らない」ためにそういう行動になったのと違いますから。

でも、ほとんどの場合そういう本人は別にあえてそうしているのではなく、単に「知らないだけ」なのだと思います。知らないし、考えたこともないので平気でそういう態度になるだけです。

ですから、指示されたことであろうと、そもそもルーチンとして決められている作業であろうと、本当はいつも何かやったら「ちょっと見てください」と言えるかどうかがポイントなんだよ、ということを教えてあげて、もう1回だけチャンスをあげる余裕が必要かもしれません。
よく考えて質問しなさい
もう一つは、「なるべく端的な質問を考えさせる」ことだと思います。よく「質問力」などと言いますが、なるほど、本人がどういう質問をするか、ということがすでにその人の知識や理解のレベルを表してしまう面があります。

つまり、たとえば見たものを見たまま、思い付いたことを思い付いたまま質問する、というのでは「そう言われたから仕方なくやっている」または「実際の対応場面で困っているから今聞いている」というだけの態度であって、それは本当は「自分から覚えようという意思」などほとんど持ち合わせていない、ということを表してしまっています。

または、自分では覚えようという意思があると思っているのだけれど、その方法が想像できなくて、仕方なく安易なやり方で対応している、という場合も考えられます。

その場合、質問すべき内容を熟慮するように指導すると効果があるかもしれません。

まず、質問する内容自体を端的にまとめられない場合が多いと思います。これは単純には言葉の使い方とか、コミュニケーションスキルの問題とも言えますが、この点でも指導は必要と思います。指導要領の中でも「言葉の問題」は後にあらためて取り上げています。

しかし、それとは別でいわゆる「姿勢」の問題もあります。

たとえば、マニュアルや掲示物を読んだら聞くまでもなく分かることを質問しないためには、当然そういうものを前もって確認する必要があります。

前に似たようなことで指導を受けたことがなかったか、思い出すこともできます。そのためには言われたことをメモやノートに残しておくべきだとか、自分なりに考えを整理して、一番重要だと思うことから質問しようとか、自分の中でそういう面をあれこれ考える習慣が付けば、それだけで業務能力は飛躍的に伸びることになります。

端的に質問できれば、短期に業務の習得を進めることが可能です。同時に、よく練られた質問であればあるほど、個別具体的な事柄だけではなく、たいてい本質的な部分が多く含まれるはずです。
オペレーションと同じように教える
このように、指導要領を用いる意図の一つは、本人に対して指導内容の提示範囲を大幅に増やすことだと思います。それによって、掬える人材を増やすということです。

「子供じゃあるまいし」と思うかもしれませんが、私が思うところ、タイプ2の店長候補さんはある意味では子供と同じです。まどろっこしい話ですが、こういった視点は実際必要だと思います。

ところで、考えてみれば、オペレーションを指導する場合には私たちはごくふつうにこういう方法で教えているのではないでしょうか? つまり、作業の目的や規準、作業内容を伝えた後に、必ず「手順」や「ポイント」や「禁止動作」を手取り足取り詳しく教えて、この通りにやればその作業の規準は達成できるんだ、そのやり方でやれ、そうじゃない、こうだよこう、よく見てろ……ときわめて細かく指導するでしょう。

なぜか、実際の作業を教えるときには私たちは

「子供じゃないんだから、そのマニュアル読んで自分で習得しとけよ」

というふうにはあまり言いません。

でもこれは同じことなのではないでしょうか?

ところが、私たちはこういう抽象的な、メンタリティに関する部分の指導となると、いわば通常の指導手順を思わず端折ってしまうわけです。

それは、やはり「こういう面の事柄は自分で気が付くべきだ」「やる気があれば当然それは分かるはずだ」という気持ちがあるからでしょう。

でもそういう前提で指導して、うまく行くのはタイプ1の人だけです。ここはあえて明確に区別して考えたほうがいいと思います。

前に言った通り、タイプ1の人だけを探していたら人員不足になる、だからタイプ2の人も集めている、ということは必然的に指導の前提条件を変えなければならない。指導側がこれをはっきり自覚して指導に当たれば、もっと多くの店長候補さんが目指すところに到達できる可能性があるのではないか、と私は思っています。
マニュアルを使いこなす
個店ごとにおいてあるマニュアル類は、正直言って

・古くて汚れている
・内容が古いままで現状に合っていない
・誰も見てない、使ってない
・指導された内容と違うことが書いてある

というように、決して最善の状態だとは言えないことも珍しくないでしょう。こんなものを使っていたら、余計にオペレーションの習得が遅れてしまうのではないか、と思うといっそのことマニュアルは「ない」ということにしたほうがいいんじゃないだろうか……と思いたくなります。

でも、これから店長候補さんを指導するという場合、現状がたとえそうだったとしても

「マニュアルを使う」

ことをお勧めします。

もちろん、こういう状態にあるマニュアル類をもっと整備する必要性もなくはないのですが、それとは別に店長候補さんは原則、

マニュアルを使って仕事を覚える

ということ自体が必要だからです。
マニュアルの扱いは「店舗業」における基本スキル
もちろん例外もあります。たとえば老舗の一子相伝みたいなお店で、そのノウハウをごく限られた特定の人だけに伝承するとか、または、今の店長さんやオーナーさんがカリスマ的な人で、そういう人の魅力で集まってきた人たちに対して考えを伝える場合……。そういう特殊な状況ではここでの話は当てはまりません。

ここで対象としているのは、典型的には、いわゆるチェーン店とか、これから2号店を出そうとか、あるいはオーナーが現場を離れて人に任せようとか、そういう場合の店長候補さんです。

余談ですが、私は、コンビニ、ファミレス、ファーストフードなどに代表されるような意味でのお店の仕事を「店舗業」と呼んでいます。これは、巷に存在するすべての店舗を指すわけではありません。概念的には

・経営者または経営本部と店舗の運営が分離している
・統一の物流、サービスを使ってチェーン化している
・アルバイトスタッフを常時雇用することが前提となっている

といった特徴を持つ店舗のことで、小売、飲食、ソリュージョンといった業種は考慮せずに、お店の運営の仕方に注目してカテゴライズできるのではないかと考えています。

それで、その「店舗業」の範囲で言うところの店長候補の場合には、私はぜひこれを習得すべき項目に加えてほしいと思います。つまり、

仕事を覚えるためにマニュアルを使う

のではなくて、

マニュアルを使って仕事することを覚える

ということです。この場合、むしろマニュアルを使えるということのほうが目的になるわけです。

もちろん、単に「マニュアル通りにできること」というようなレベルでマニュアルが必要だと言っているわけではありません。マニュアル通りにできることは、いわば最初の通過点に過ぎず、最終目的ではありません。

実際には店舗業における店長さんの仕事には、マニュアルを使って業務をコントロールすることが含まれていると思います。その中にはマニュアルを作成することや、現状との整合性を保つこと、それにマニュアルに則って指示や指導を行うことなどが含まれます。

この意味で、逆に「マニュアルなんて、いったん仕事を覚えちゃえば最終的には関係なくなるんだよ」というような意識でいるのがよくないと思うのです。
中途半端さをどうするか
指導要領では、ここで初めてオペレーションそのものに言及することになるわけですが、とは言えオペレーション自体の説明をするというよりも大切なことは、「できる」という状態の定義です。

仮に指導要領に基づいて継続的に指導を受けていたとしても、大半の人は一方で実際の日々のオペレーションも繰り返すことになるでしょうから、放っておいてもある程度作業が「できる」ようになると思います。しかし、それは指導する側から見るとたいてい「一応できている」というだけで、まだ不十分なところが多々あるように見えます。

しかし、本人がそれを自覚するのは難しいことです。あるいは、自覚していたとしても、それは意識的に習得するようなことはなくて、時間と繰り返しによって慣れていったら自然にできる、というふうに考えていることがあります。

つまり本人としては、もうだいたいにおいて「正しい手順なり、やり方は分かってきた」という認識です。しかし、教えている側から見ると、たいていの場合初心者の作業のやり方というのは、そもそも「全然正しくない」ように見えることが少なくありません。

「あいつは、まだ慣れていないので所どころ変なやり方になっている」

というふうに見えます。時間とともにできるようになるだろう……という問題ではなくて、教えている側から見れば、正しくない点が多々ある。そこを、細かく指摘して修正してあげるべきか、あるいは、本人にとっての優先順位や感情やモチベーションを考えて見過ごしておいてあげるか……というような問題なのです。

この認識のズレをそのままにしておくと、どの作業も中途半端な理解になり、習得も不十分な人が発生しやすくなります。そして時間が経つほどに修正が困難になります。実は、実際に店長候補さんを抱えている店舗で意外に問題になるのがこの点だと思います。つまり、姿勢とか考え方といったことをいったん置いといたとしても、そもそもオペレーションが「一応全部知っているようなのだが、どうも任せておけない、安心して見ていられない」という人が多いという点です。

こういう人だと、たいていお店で普通のアルバイトさんと同様に通常のオペレーションに入って作業している分には、何が問題なのかよく分からないです。ダメなときもあるけど、時には本人の「良い部分」も見えることがあって……だけど、では将来的に店長とか、管理業務が任せられるようになり得るかと考えると、「いやー、この人では無理だな」という話になってしまうのです。つまり「やらせて」もいいけど「任せて」おけないわけです。
「できる」の弊害
それで、一つには今まで述べてきたような意味で、オペレーションそのものよりも、そこに内在する意味や目的、また、それに伴う意識や考え方といった点を重視して、その視点から実際の作業や動作を評価するような感覚が必要になると思うのですが、仮にそう意識していても、この頃になると「本当にこういった学習が活かされているんだろうか?」というような疑問が出てくると思います。つまり、学習している内容と、日々の実際の作業との「乖離」が目に付くようになるのです。

たとえば、最初のほうでは一生懸命指導について行こうとしていた人も、この辺りに来ると息切れしてくるのか、習得意欲が薄れたように見えることがあります。

心構え的なことはちゃんと自覚しているように見えるのに、作業するときには、それはそれでまったく別のこと、というように自分勝手なやり方を続けている、とか。

また、指導要領は、今やっている1項目を習得したと認められない限り次に進まないことを原則としていますので、ともすると、途中で停滞したままで、それを指摘されずにいると本人も長期間無為に中断していつの間にか平気になっている場合もあり得ます。

はっきり言って、これは教えようとしている方から見るともう仕事の「放棄」に近いのですが、おそらく、指導の内容は別としても、この項目を学ぶ時期はちょうど「当初の意欲が薄れたり、指導効果について迷い出したりする時期」に当たるのではないでしょうか。

一方で、そうは言っても日常の作業を繰り返していると、そういった面は別として毎日繰り返しオペレーションを行っているうちに、本人の意識としては何となく「仕事は仕事としてふつうにやる」という感覚になってしまう、という面があります。

もちろん、お店というのは店長候補さんを指導するために存在しているわけではありません。ですから、いくら指導に熱を入れていると言っても、それは結局本来の業務を円滑に遂行している中で付随的に行われるのであって、たとえば日々の作業やお客様の対応を「店長候補さんを指導するために」ストップすることは通常できません。

それで、教えているほうの基準と関係なく、教えられている本人が「指導上どう思われていようが、そんなことは関係なく、もう実際は毎日この作業をやっているわけで……」というように、問題意識を持たなくなってしまうのです。つまり、とにかく今やれと言われている日々の作業を「こなし続ける」ことに埋没してしまっている。
「できる」を定義する
やはりどうしても意識付けを繰り返さないと、そのほうが本人にとって楽なのでしょうか、すぐに作業レベルの思考に埋没してしまう人が多いと思います。

とは言え、しばしばやってしまうように、単に「まだダメだ、お前はまだ全然ダメだ」と繰り返し言うと、本人がその状況に耐えられなくなってしまう危険性もあります。挫折した気持ちになってすごすごと退職届を出す人も実際少なくないし、それもできないで、もう「自分でもどうしていいか分からないまま」毎日同じことを繰り返す。これでは事実上単にアルバイトをしている状態と何ら変わりません。もう当初の目的である「店長候補」としての存在理由がなくなるということです。いったんこうなってしまうと、当初の目的やモチベーションを取り戻すのは至難の業です。

実は私が経験した中でも、このような状態に陥って実質指導が中断したまま、一定期間をただオペレーション要員として過ごす人が何人かいました。いったんこうなってしまうと、結局、店長という職に就くチャンスはなくなり、いつか退職していくしかありません。

こういう状況は、働いている中ではいつの時期でも起こり得ることではありますが、今までの人たちを見ると、多くがこの辺の段階でまず壁に当たるようです。それで、ある面ではこの壁を回避するためにちょっと目先を変えてやるというか、ここで具体的なオペレーションに直結する部分の話に持っていくことで、本人も「やはり今やっていることは仕事に効果がある」ということを実感する機会を持つことになると思います。この段階を突破すればかなり希望が持てます。

ここで、ある作業なりが「できる」という状態を、明確に定義することを指導することが必要だと思います。意識や心構え云々ではなく、ここではそのオペレーションそのものがどういう状態になったら、「できている」と言えるのかを、明確に本人に意識させるわけです。

逆に言えば、そうなっていない限り何も「できていない」ということなので結果は同じような気もしますが、おそらく本人の「感じ方」が違うと思います。できていない自分を責めるような気持ではなく、あくまで「できる」という状態に向かって継続的に努力していけばいいんだ、という姿勢に結び付きやすいからです。

もちろん、何をもってその作業が「できる」ということになるのかを考えさせることは、今述べたように少し停滞気味の人の場合だけでなく、当然順調に指導が続いている場合でも同じように有効です。

言ってみれば、放っておくとオペレーションに「埋没してしまう」タイミングで、これをあらかじめ回避するために、あえてオペレーションに「前向きに取り組む」ためのレールを敷いてやるんですね。
最初は「仕事が遅い」に決まってる
ある程度オペレーションに慣れてくると、ほとんどの場合において次に問題になるのが「スピード」です。おそらくお店で仕事をしている人の中で、今まで一回も「遅いよ!」とか「早くしろ!」と言われたことがないという人はいないのではないでしょうか?

しかし、私はかなり意識してこれを言わないように心がけています。

もちろん、指導要領の中でも「スピード」の重要性については触れていますが、日常レベルで実際の作業をしている場面では「遅い」とか「早くして」とは言いません。

なぜなら、これをそのまま言ってもほとんど無意味だと思うからです。

確かに、すでにかなり意識や理解が十分で、自律的に業務を進められるような段階でなら単刀直入に「スピードが不十分だ」とか「お前、遅いよ」とか言うことはあります。それは、その理由や意味を自分で考えられる下地がすでにあると思われるからです。

しかし、私が考えるに、まだその作業に慣れていない人や、意識的に一定レベル未満の人に対して現場的に「早くしろ」とか「仕事が遅い」とか言っても、まず自分が遅いということを自覚できない場合があります。当然自分では、自分ができ得る最速で作業しているつもりだからです。

そして、それでも遅いと言われれば、ふつう誰でも「もっと早くするにはどうしたらいいか」ということを自分で考え始めます。つまり工夫しようとしてしまうんですね。

しかし、その結果、教えている人が想定している「最速、最良」の手順や動作からむしろ遠ざかってしまう場合が多いと思います。つまり余計におかしなやり方を勝手に編み出してしまうのです。

ですから、むしろ、最初は単に「急がせる」ことはせずに、抽象的に「スピードの重要性を頭で理解させる」ことにとどめたほうが有効だと私は思っています。それと、そもそも教える側が思う「最速かつ最良」の手順を「正しく」教えることに注力すべきだと思います。

自分なりに最速を目指すことを指示するのではなく、むしろ今はゆっくりでもいいから、

想定される最速最良の手順、動作を「正しく」身に付ける

ことに集中させるほうがいいと思うのです。そして、それとは別次元で

スピードが必要である理由

についてしっかり頭に入れてあげれば、結果的に最も効率よくスピードが身に付くのではないかと思います。
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