店長力 > 2007年07月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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ヒエラルキー願望
第二が、指導する立場に立った人が、

自分なりの指導の目的、方針、または、具体的な方略を相手に教えることを避けたい

という心理が強い場合です。

先にコーチングの話で言ったように、

「コーチングしてあげるけど」
「コーチングそのものは教えたくない」

というような気持ちがある場合です。

ふつうに考えると、教えられている本人が、それなりの疑問や欲求を持っていることが明らかな場合には、指導する側が想定しているゴール、または、どういう方法で指導しようとしているのか、という方略や、方法論の意図、こういったものを隠しておく必要などありません。

もちろん無理に納得させる必要もないわけですが、逆に言って、

「私はこうやって、こういうことを教えようとしている」

ということを言ってはいけない、などいう根拠はありません。むしろそれは、指導者自身が、

「あの人は教え方が上手い」
「あの人がさすがだ」

というふうに思われたい、相対的に能力が高いと思われたい、というような願望からそうしている場合があります。単純に言えば、自分のノウハウを自分だけのものとして隠しておきたいわけです。

もっと言えばそれは、相手との関係を

「自分は教える側、君は教えられる側」

というように固定しておきたいという心理の表れなのです。

「オレは店長、お前は販売員」
「俺は社員、お前はバイト」

お店に限らず、会社などでも、かなり多くの人が内心でこのような心理を持っているように思います。

ある場合には権威的、または威圧的にふるまうことも必要かと思いますが、それは特定の指導効果を狙って、または管理的な判断から「ふるまい」として選択した結果であるべきで、教える人の勝手な願望からそうなってしまってはいけないだろうと思います。

もし、自分の威厳を確立したいとか、人間的に認められたい、評価されたいと思うなら、むしろそんなやり方は逆効果です。ふつうにきちんと指導、管理できるほうがよほど評価されるはずですし、そもそも、そんなことは管理的指導という業務を使って実現することではないのです。
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スタッフさんの本音
余談かもしれませんが、一見、お店のスタッフさんみんなに慕われて、信頼もされ、仕事についても一目置かれている店長さん・・・(と思わせるようにスタッフさんたちのほうがパフォーマンスしている)・・・がいます。

ところが、店長さんの目の届かないところでは、スタッフさんたちは、手のひらを返したように批判的な目で見ていたりします。

店長さんは、心の奥底では、たとえば

「お前にはまだ理解できないことがいっぱいあるんだ」
「そんなことはまだ知らなくていい。俺の言ったとおりに動いてればいいんだ」

さらには、

「言うとおりやっていればいい、どうせ後は俺がやるんだから」

というような、自負というか、驕りみたいな感覚を少なからず持っていることがあって、ひどい時にはこれに近いことを面と向かってしゃあしゃあとスタッフさんに言ってしまうことさえあります。

確率は低いですが、そういうタイプの人に強く魅かれる心理傾向の人もたまにいると思います。しかし、その他大勢のスタッフさんにとっては、こんな言い方はなんというか、何重にも傲慢さと誤謬が折り重なったような、きわめて不快な言い方にしか聞こえませんので、聞いているスタッフさんのほうは

「ふざけんな」

とストレートに感じるか、または

「そっちがそういう態度なら、こちらもそれなりの働き方をさせてもらうよ」

と静かに心を閉ざすか、どちらかでしょう。

たとえアルバイトでも、スタッフさんは最初、案外素直でまじめな心を持って働き始める人が多いと思います。それが、こういう態度や言動にさらされることによって、いわゆる「アルバイト感覚」に陥ってゆくのでしょう。言い換えれば、そういう心理にさせているのは、そのお店であり、店長さんなのだと思います。
人の上に立つと
もちろん、表面的には、スタッフさんたちは

「店長すご~い」
「頼りになります~」

とか言うでしょう。というか、ヒエラルキー願望の強い店長さんというのは、ある意味では実際、非常に頼りになる、ともいえます。それを、あえて言葉にすれば、

「勝手に頑張ってるから、ま、やらせておけばいいんじゃない?」

ってことなわけです。つまり、ひとりで全部抱え込んでくれるので、実質的にスタッフさんたちはある意味非常に楽なわけです。

ただ、これはスタッフさんたちがずる賢くて、不真面目だから、とか、そういうわけではありません。むしろ、スタッフさんの立場から見ると、そういうタイプの店長さんの下では、表面を繕ってやり過ごすしか選択肢がないのです。

特に、ふだん何となく、働く人たちが表裏を使い分けているフシがある、または、なんでも店長さんに押し付けて、自分たちで責任を負おうとしない傾向がある、という場合には、自分自身がそういう雰囲気を出している可能性が強いので、あれこれ言う前にまず我が身を振り返ることが有効です。

ただ、人間であれば誰でも、少しはそのような願望を持っているのでしょう。これは、個々人の性格とかいうよりも、人の上に立つと、誰もが多かれ少なかれ自然にそういった心理になってしまうのかもしれません。それは仕方ないとさえいえます。私自身、頭で分かっていてもついそういう態度になってしまうことがあると自分でも思います。

「もしかして、ウチのスタッフさんたちもそう思っているのではないか」

と、ふと心配になります。これは、相手を疑ってかかるといった意味のことではなく、

「自分はだいじょうぶ」

とタカをくくってはいけない、という意味です。

むしろ、スタッフさんとの関係が一見順調なときほど心配になります。こういった、心の深いところにある願望や欲求と言ったものは、自分ではほとんど発見できませんので、これはもう「ある」という前提で、常に忘れず警戒しておかなければならないだろうと思うのです。
スタッフさんの仕事は「代理」
指導者として偏った考え方に陥らないために、もし最大の特効薬を挙げるとすれば、それはやはり

「感謝の気持ち」を持つこと

です。学校のように、教えることそのものが主たる業務であるような場合と違って、お店など職場における指導というのは、結局は、教えられている本人に、より早く大きく「貢献」してもらうためにこそ行うのですから、それは、なんと言っても指導を受ける本人次第でどうにでもなります。

あえて極端に言うと、指導ではない、それ以外の業務については、とにかく、あなたが一人でがんばれば何とかなるかもしれません。しかし、「指導」についてだけは、最終的に「ありがとう」という気持ちがないと、長い目で見てうまくいきません。

「管理」「マネージメント」というと、イメージとして「動かす」「やらせる」「コントロールする」といった言葉が思い浮かびます。

しかし、日々スタッフさんが行っている作業、また、それぞれのスタッフさんが担っている役割、こういったものは、ある意味ではお店の店長さん、あるいは経営者が行うべき仕事を「代わりに行っている」という考え方もできます。

自分がすべき業務を、代わりにやってもらっている

と考えれば、「動かす」「やらせる」「コントロールする」といったニュアンスではなく、たとえば

「お願いする」
「協力してもらう」
「共に達成する」

といった、ふさわしい言葉が想起されると私は思います。そして、そのためにこそ「指導」するわけです。

だから、根本的な考え方として

○ 指導してやっている、のではなく
○ 指導を受け入れて、やってもらう


のであり、そう思えば自然に「ありがとう」という気持ちになります。
指導者の資質
私は、指導力などというものは、特殊な才能や素質みたいなものではなく、今まで述べたようなことを踏まえて知識や経験を積み重ね、自分なりの方略を構築してゆくことで、誰でも向上できるものだと考えています。だからこそ、スタッフさんにも参加してもらい、みんなが指導力なるものを身に付けることも不可能ではないと思っているのです。

しかし、特にひとつだけ、もし指導者として好ましい「資質」のようなものを挙げよと言われたら、私は1つ目に

「粘り強さ」

と言いたいと思います。

職場ではよく、指導されている側のモチベーションについては話題になりますが、もっと大切なのは、実は、指導する側のモチベーションを維持することです。

なんでも自分の思う通りにはならない、と分かっているつもりでも、初めて人を指導する立場になったときには、たいてい一度は、

「他人というのは、こうも思い通りに動かないものか」

ということにあらためて直面し、愕然とするものです。それでも、すぐあきらめてしまっては指導などできません。難しい面は多々あるけれども、

「もっとうまく指導できるように、経験を積もう」
「少しでも、相手の気持ちを察してあげよう」
「そもそも、そんなに思い通りになるはずがないんだ」

と何度も思い直し、より相手に配慮し、少しでも効果的な指導が達成できるように想像以上に相手に神経を使い、熱意を持って指導に当たろうとするのが普通です。

もちろん、指導される立場の人も不安はありますし、指導者の言動に敏感にもなるでしょう。しかし、それは指導する側も同じなのです。当然、指導している相手の、何げない一言、ちょっとした動きや表情というものに、とても敏感になっていきます。それどころか、熱心な指導者ほど、何倍も敏感に相手の心理を察知し、それに沿ってより効果的な方法を取ろうと努力するはずです。

こういう意味で、まずある程度の精神的な強さ、つまり「粘り」が必要です。
指導の大敵、疲れと飽き
ところで、別の面で、人に何か教えるというのは肉体的にも非常に疲れるものです。まず指導する側はどうしても、たいてい、ほとんどしゃべりっぱなしです。

だから、慣れてくるにしたがって、どうしても、現場で動作をしながらのOJTよりも、椅子にどっかりと腰を下ろして、だらだら説教することを選んでしまいやすいのです。これは、ある意味では体が楽だから、という面もあると思います(私の年齢の問題かもしれませんけど・・・)。

その、しゃべることというのは、もちろん自分にとっては、すでに分かりきっている内容であり、しかも、指導するたびに同じ事を繰り返し、繰り返し言わなければなりません。でも、自分自身が疲れたり、飽きたりしている素振りを見せてはいけません。

と同時に、相手が話についてきているか、疑問を持っていないか、誤解していないか、と神経を尖らせながら、しかもその教えるべき動作を正しく行いながら説明しなければなりません。

さらに、特にOJTの場合、今指導しているからといって、それだけに専念できることはむしろ稀で、現場では、指導する立場の人は同時に管理者であったり、特定の担当業務を持っていたりします。それらにも目を配り、お客様の視線も感じながら、しかし、相手に気が散っていると思われないように、相手の気分的な波にまで配慮しながら、ゆっくりと根気よく、ひとつひとつ指導してゆくわけです。

このように、人に指導をするというのは、実際にやってみると、想像以上に重労働です。いくら明るく元気で、社交的でコミュニケーションに長けていて・・・とは言っても、それ以前にこういった負荷に耐えられるだけの強さが必要です。

ですから、第一印象や表面的な条件で、

「トレーナーに向いてる、向いてない」

と判断してしまうのはやめたほうがいいと思うのです。また、小手先のテクニックだけではなく、

指導力を伸ばすことは、粘り強さを伸ばすことと同義

くらいに思って、周囲の人と互いに補い、励ましながら取り組むのが一番だろうと思うのです。
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