店長力 > 2007年05月
いらっしゃいませ(^^)
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OJTとお客様の目
お店の場合、OJTは、原則実際のお客様の目にさらされた状態で行われます。ですから、それなりの動作上の注意点があります。そこで配慮すべきポイントは、もちろん指導項目として提示する必要もありますが、実際にそれを指導しているトレーナー本人が習得できていなければ整合性がありません。

まず、当たり前のことですが、

OJTの最中に、大声を出さない

ことです。指導中、意気投合し、盛り上がってくると、周囲の状況が見えなくなって、ついトレーニーと2人で話が盛り上がったり、大声で笑いあったりするようなことが起こります。

逆に、思わず大きな声で咎めたり、ひどい時には言い争ってしまうこともあります。話し合うことは必要な場合がありますが、つい感情的になって、その場で声を荒げるとお客様がびっくりします。

もし、そういった状況が予想される場合には速やかにIJTに切り替え、また、周囲の仲間もすぐに応援の手を差し伸べるといった機転がほしいところです。

また、たとえば、トレーニーに説明を与えている時の声の大きさと、指導を中断して接客やお声かけをする時の声の大きさが同じではいけません。トレーナーが、OJTを進めながらも常にお客様の動きに意識を向けながら、状況に応じて臨機応変に態度や表情を使い分けることができていれば(または、そうしようと常に努力している姿を見せれば)、その意味は、トレーニーにも伝わります。

特に、トレーニーのほうは、慣れない職場で今自分は指導を受けているという認識ですから、意識のほとんど全部をトレーナーに向けているはずです。逆に、それくらい集中していないとスムーズに作業を習得できないでしょう。いくら言葉で

「お客様の目を気にして動きなさい」

と言われても、実際には難しい状況にあります。

しかし、トレーナーのほうは、それではいけません。むしろ、トレーニーが目の行き届かない部分をしっかり支えてあげる必要があります。

こうした経験があって、やっとトレーニーは

「お客様の目」

というものを体感できるようになり、パフォーマンス性を習得してゆくわけです。
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指導が先か、対応が先か
OJTは作業と指導が同時に行われますが、指導というのはお店の内部的な業務のひとつであり、今しているその作業のほうはお客様のための作業です。だとすると、お客様から見ると作業そのもののほうが常に優先されるべきである、ということは明らかで、お客様の目に触れている限り、OJTは作業優先、お客様優先が徹底されているのが原則ということになります。

店内での、すべての作業中の行動、動作についてその意識が常に働いていることが理想ですが、特に、明らかにそれと分かるのはレジなどでのOJT中のお客様対応の瞬間です。

今まで述べたような工夫をもってしても、この前提がある限り、お店における実際のOJTはまさに中断、中断・・・の連続になります。そもそも、それがOJT本来の姿なのです。

頭ではこのように理解していても、実際の動作がそれに伴っていないという場合は多々見られます。

今あなたがトレーナーとなって、熱心に説明をしていて、後1秒で説明が終わる、としましょう。その瞬間に、お客様に対応しなければならない場面になったらどうしますか?多くのトレーナーさんは、その1秒をお客様への対応準備にではなく、今している説明を終えることに費やします。そうすると、それはつまり、「一瞬テンポが遅れた」対応になってしまいます。

それを見ていたトレーニーは、当然

「ちょっ・・・とだけなら自分の都合でお客様を待たせてもよい」

ということを、まさに確認します。つまり、今度から、お客様がレジに来ても、売り場で呼び止められても「1秒」は自分の都合で動作を続けます。

慣れてきたら、それが2秒、3秒、もうちょっと、切れのいいところまで・・・となります。

「お店では常にお客様優先だよ」

というしらじらしい口頭説明だけしていても、こういう部分は慣れてしまうと修正が困難になるのです。
その場で説明しない
トレーニーの動作を見ていて、注意点に気がついたとします。それを説明し始めたとき、少しでも、

「あ、これは少し長くなりそうだな」

と思ったら、すぐにIJTに切り替えるようにします。つまり、その場で思いついたことを口で説明しすぎるのを避けます。それは、たくさんの作業を一気に「習得」すべき時点では大きなメリットになるのです。同時に、指示、指導内容が明確になります。

指導を受ける側の立場で考えてみても、こうすることによって、まず、実際に本人がお客様の目の前で作業をしている時間を短くしてあげることができます。

それだけでなく、OJTのために実際にやっている作業が、今度一人で行うときの状態に近く、実践的になります。OJTのひとつのコツは、

できるだけ、自分ひとりでやる時の状態でやらせる

ことだと思います。

たとえば、「やらせている」ようでいて、指導者が途中で何度もあれこれと手も口も出してしまうため、ある部分が抜け落ちてしまうとか、流れが習得されていない、とかいうことがよく起こります。

また、指導と称してだらだら、雑談などを交えながら和気藹々と作業を覚えたら、今度自分ひとりでその作業をするときもそのように行おうとする傾向があります。ふつうに考えて、習得の段階で20分かけて行った動作は、特に指摘しなければ次も20分かけて行おうとします。さらに悪いことには、こちらはそうは思っていなくても、トレーナーに対して

仲間としゃべりながら作業してよい

という認識を与えてしまいます。すると、接客中やレジ対応中の仲間に声をかけたり、分からないことをお客様の対応をしながらその場で聞いたりすることも「躊躇なく平気で」できるようになります。こういう対応は、お客様のほうから見ると非常に違和感がありますが、本人はそのように教わったのだから悪いともなんとも思っていないわけです。

このように、今は「指導中」だからといって、特別な条件下で作業を覚えることは、デメリットにもなりやすいわけです。本来は、動作そのものはなるべく実践と同じように行ってもらうほうがいいのです。

OJTの効果を上げるには、周到な準備と、詳細な説明が「先に」「途中に」「後に」と各場面で必要になることが多いでしょう。ですから、そういった部分を、一緒くたにしてしまわないでIJTによって行うことを習慣にするのです。
返事をさせる
トレーニーが、一応話は聞いているけど、あまりしっかり返事をしないタイプの人だったら、どうしますか。

「おとなしい性格なんだな」
「最初だから緊張してるんだろう」

と思って、見過ごしてあげますか。それはいけません。

もちろん、今特定の作業を教える、ということだけを考えれば、上手に返事できなくても、

「分かっているふうな表情」

を確認すれば事足りるかもしれません。さらに、実際にやらせてみれば、できてるかどうかは一目瞭然です。だから、返事の仕方はその人自身の態度の問題だし、今トレーナーは作業のやり方を教えればいいんだから・・・と考えてしまうことがあります。

しかし、面接の話でも言いましたが、返事がちゃんとできるかどうかは、仕事の根本的なレベルを表すと私は考えています。ですから、とりあえず「返事をきちんとする」ということそのものを初期の指導項目としてはっきり位置づけるべきですし、初期のOJTでは、その全体を通して「返事」という動作ディテールを徹底して学んでもらう必要があると思います。

OJTの途中で、トレーニーは何回返事をし、相づちを打つのでしょう。5回や10回ではないでしょう。もし、その時に、トレーニーの返事がちょっとでも思わしくない印象を与えると思ったら、すぐに中断して、

まず、返事をしっかりすること

を明確に指示しましょう。その後も、お客様を初め、すべからく誰に対しても返事はし続けてゆかなければならないわけですから、そのたびに悪い印象を与えることになります。最初に修正できなければ、そのまま悪印象を垂れ流し続けるということになりますから、お客様だけでなく、一緒に働く仲間にとっても良くありません。

何も、「はい!はい!」といちいち体育会系のノリで、大声で返事しろというのではありません。ごくふつうに返事が出来れていればいいんです。たとえば、見るからにおとなしい性格の人であっても、仕事中にきちんと返事をすることができないなどということはあり得ません。ですが、たとえば

○ 当然返事をするべきタイミングに、時々返事が抜ける
○ うなずいているだけで、返事を発声しない
○ 薄ら笑いを浮かべたり、おかしな表情で返事をする

こういった点が、聞いていて気に障る程度に現れるということは、私の経験からいえば、その後何らかの仕事上の問題が起こるシグナルだと考えてほとんど間違いありません。もし、注意しても一向に直らないとか、

「別に、いいじゃないですか」

というようにその注意そのものに不満を表すようであれば、OJTを中止し、すぐに店長さんなどに報告して、採用取り消しにしてもらうこと。それくらいの対応でいいと思います。

・・・と私は思います。
指導の終了を宣言する
作業の習得であれば、はっきり言わなくても事実上指導が終わったことは何となく分かるでしょう。しかし、たとえば先に言った「返事の仕方」と言った類の項目は、ともすると、いつまで続くのか分からない継続指導になってしまいがちです。

働いている間に変化することはあるかもしれません。都度注意を与える場面はありえます。ただし、「習得」そのものがずっと続くと言うことはあり得ません。

ですから、最初に言ったように、全体のスケジュールを先に明示しておくことと同時に、一つひとつの指導項目が終わったら、

「はい、できてます」とか、
「これは、終わりです」

というようなトレーナーの明確な宣言が大切になります。ある意味、細かく、デジタルに区切って、その都度「これはもう終わった」ということを伝えるようにします。

そのためには細かい指導項目のチェックリストのようなものを作っておくことも有効です。ひとつ終わるたびにチェックを付けていくのです。

これは、本当にチェックする意味もありますが、トレーニーが

「あ、ひとつ終わった」

ということを感覚的に認識するために有効な面があるのです。それには、しばしば使われているような、大まかな作業項目単位のチェックリストよりも、もっと細かい動作ディテールにまで細分化されたリストのほうが効果的です。

ただし、前に言いましたが、この時につい「評価語」を言ってしまいやすいので注意します。

お店の仕事はマンネリに陥りやすい面があります。ですから、要所要所で、本人が今どの段階とみなされ、したがって何を優先的に求められているのか、ということをはっきり告げる必要があります。これがないと、不安になるだけでなく、一つひとつの指導が何を目的に行われており、ゴールがどこにあるのかが想像できません。

指導に限らず、仕事上のコミュニケーションというのはたいてい「終わり方が肝心」なのです。もう終わったのに、「終わり」と宣言してくれない上司は非常に嫌がられます。人間は、区切り区切りで、今自分がいる地点を知りたいと思うものなのでしょう。
大目に見ない
「できてます」

と言ってしまえば、それはもう「できてる」ということで、つまり、その項目に関しては習得を終了したということです。

だから、まず、内心

「もう少し、ここは直さないといけないなあ」

と思う部分が少しでもあれば、それは

「できてません」

というしかないはずです。トレーナーが達成すべき基準をはっきり意識していなかったり、基準は分かっていても、時間的に足りないから、という理由で、出来ていないにもかかわらず、とりあえず規定の内容を終わらせようと考えてしまうことによって、結果的に

できていないのに、できているということにしてしまう

場合が発生します。これを許してしまうと、トレーニーにも問題が残りますが、トレーナーのほうにも責任感がなくなってきます。

「決まったとおりに指導しました」
「言われたとおりにやりました」

で、後は評価する人の勝手ですから、私の関知するところではありません・・・という意識になりやすいわけです。お店のスタッフさんが成長する環境を作るうえで、こういう考え方は非常に危険です。

ただ、だからこそ、最初、あまり指導している側を責めないほうがいいのです。「できていない」のはトレーナーさんじゃなくて、あくまでトレーニーです。トレーナーは、単にOJTを早く進めて終わらせることよりも、一つひとつをきちんと消化させ、チェックすることに重点を置いてもらうほうがいいからです。

また、初期のOJTの意味や目的をきちんと伝えておくことも必要ですし、解決できない問題があればすぐに周囲のスタッフさんや、店長さんに相談出来る体制や雰囲気も必要です。

トレーニーが指導項目を習得できないのは、それ自体はトレーニーのせいかもしれませんが、それを見過ごして知らん顔するとすれば、それはトレーナーのせいです。しかし、結局、知らん顔せざるを得ないような環境を作っているのは誰でしょう。これは、トレーナーのせいではありません。そこに上級者や管理者の責任があるわけです。
コミュニケーションに執着しない
ところで、人によっては、OJTを通して、相手といろいろコミュニケーションすることに大きな意味があると考えていることがあります。つまり、指導のために、コミュニケーションする、というのではなく、この場合には、むしろ指導という状況を使って、コミュニケーションを深めようとする、という感じです。

このような考えも一理あるとは思いますが、だとしても、まず、相手がそれを強く望んでいるかどうか分かりません。次に、それは今直接指導を担当している人が行うのがベストかどうか分かりません。

かえって、指導中にコミュニケーションを取ろうとしても、それはどうしても表面的で、一方的になりがちな面があります。教えられているほうは、今、教えられている立場であるがゆえに、自分の好きなようにコミュニケートできない状態に置かれているのです。その状況を利用してできる情報伝達もあるわけですが、コミュニケーションというもの全体から考えると、その状況で行えるのはごく限定されたタイプのものだけで、トレーナー側が思っているほど相手は話せてもいないし、自分の意見も本音も出せないわけです。

ですから、むしろ指導と離れた場でコミュニケーションするほうがいい、という場面はいくらもあります。

この辺りは、最初のうちは店長さんなど上級者がうまく誘導してあげることも必要かと思います。OJTはトレーナーに任せておくとしても、適時上級者が様子を見てあげて、休憩を入れさせたり、休憩の間だけ、いっしょに雑談に参加したり、あるいは状況によっては、トレーナーとトレーニーをあえて別々に休ませてあげたり・・・という細かい配慮が有効でしょう。こういったことは、トレーニーに対するというよりも、むしろトレーナーに対する配慮という面もあります。

ところが、ややもすると店長さんでも、しばしばこういうタイプの人がいます。何かに付け「指導」という名目で、何か話せば常に説教じみているタイプです。生真面目で熱心な人なのかもしれませんが、指導という形でないとスタッフさんとうまくコミュニケートできないのではないか、という不安からそうしている場合もありえます。

こういう極端な傾向がある場合には、時々、あえて指導と言うスタンスを離れた「単なるコミュニケーション」を意識して混ぜたほうがいいのではないかと思うこともあります。

いずれにしろ、指導とコミュニケーションは別のことと考えたほうが効果的な気がするのです。
指導中のコミュニケーション
正確な定義は別として、ごくふつう、私たちが「コミュニケーション」と呼ぶ場合には、一方的な指示や指導の場面ではなく、それは単純に情報や互いの意思や感情の共有のために行う会話や接触のことを漠然と指すと思います。

そのような意味で言えば、OJTの最中、作業そのものを説明している時間は、こちらはコミュニケーションと考えていても、実はコミュニケーションとしての効果はほとんど期待できません。

たとえトレーナーさんが絶え間なくしゃべっていて、トレーニーのほうは素直にそれをずっと聞いていたとしても、これは通常言う「コミュニケーション」にはなっていないわけです。つまり、トレーナーがしゃべった量イコール、コミュニケーション量と単純にはいかないわけですね。

心象としては、それならむしろ、相手が自分で作業をしていて、トレーナーさんが黙って見てくれている状態のほうが、相手はコミュニケーションを意識します。たとえば、1時間説明を受けたことよりも、次の日、不意に

「よし、できてるね!」

と声をかけられたことのほうが、本人はコミュニケーション量が多いと感じる、というわけです。

さらに言えば、より蜜にコミュニケーションをとりたいなら、OJTよりむしろIJTに時間を割き、IJTの内容ややり方を工夫してその効果を高めることのほうが、よほど意味があります。

もちろん、スタッフさんの意識の方向付けや、モチベーション、モラールの向上など、お店において店長さん、また、スタッフさん同士のコミュニケーションは非常に重要なものですし、その絶対量が常に確保されていることは、円満な運営のためには不可欠だと私は思います。

ですが、つまり、OJTを通してコミュニケーションを図ることも可能ではありますが、逆に考えて、コミュニケーションを取る意味はもちろん「指導内容の伝達」のみではありませんし、またコミュニケーションをとる機会がOJTだけじゃなくてもいいわけで、もっと幅広く考えたほうが効果は高いと思うのです。
ほめ方、叱り方とか、別にいい
指導力や、部下の管理力を高めるノウハウ本などでは、

「叱り方」「ほめ方」

がよく取り上げられると思います。そういうものも、もちろん指導者の資質、スキルに無関係ではないと思います。しかし、私の実感としては、たいていの場合、お店で現に必要な指導力とは、そういう類のものではないような気がします。

言い方を換えると、そういう話は、言ってみれば、かなり部分的な話であって、多くのお店は、そんなことよりも、もっと先にしなければならないことがたくさんあるのではないか、と思います。

前に述べたとおり、そもそも、指導内容の確定とその順序付け、OJTの担当者を複数作ること、指導しやすい周囲の人的環境を作ること。さらに言えば、それ以前に、求人、募集体制、面接の方法論や雇用条件や評価基準の統一・・・

たとえば、こういった面での整備がまず必要で、そういう部分での不備を、うまくほめたり、叱ったりすることで補おうとするなら、それは発想がそもそもズレているような気がしてならないのですね。

そうでなくても、少なくとも、トレーナーさんが担当するOJTの範疇で、叱って効果がある場合というのは、たいていごく普通に注意を与えても効果があるときです。

特に意識的にほめたり、叱ったり、ということが指導のテクニックだとか思っていると、かえって基礎的な面がおろそかになって、独りよがりな指導者になってしまう危険性があると思います。
相手をコントロールしようとするな
ほめ方、叱り方も含めて、私は、

トレーニーの心理をコントロールすること

を指導テクニックだと思っているのがそもそも危険だと感じます。

比較的キャリアの長い経営者や店長さんにも、時折こういう傾向の人が見られます。本人は、それが自分の指導力が高いことの証拠だとか、管理する側の腕の見せ所だとか思っているので、こういう傾向は他人が指摘してもなかなか改善されません。ですから、たとえば、自分が評価的な態度をわざとらしく見せることで、相手が意図したとおりの反応をしてくれることを、

「相手が自分の考えに賛同してくれている」
「自分の威厳や力量を認めている」

などと思いこんでしまうわけです。そして、それすなわち、「指導力がある」ことだと思っているのです。

しかし、自分がトレーニーの立場になればすぐ分かりますが、

○ 相手の期待や心理を読んで反応すること、と
○ 相手の意見に賛同して従うこと

とは、ぜんぜん違います。ある意味、反応するだけなら簡単です。テストで、自分の意見とは無関係に正解を書くのと同じです。採点する先生が、生徒の答案を見て、その人の本心が書いてあるなどと考えないでしょう?

仕事上、自分より上位にある人物が、仮に相手をコントロールしようとして、わざと評価的な態度を取ったとします。その場合、相手は、

○ 相手の態度をストレートに信じて、反応する

というよりも、

○ 相手が「その態度を意図的に行っていること」の意図を感じ取って、それに迎合した反応を「わざと」する

ことが多いように思います。そのようにして研修を通過したとして、意図通りの行動が継続されるという保証はどこにもありませんし、例えば、店長さんが見ているときは期待に沿った動きを演じ、店長さんが見ていなければ、まったく、勝手気ままな動きを始める、ということも簡単にできます。

こういう関係が最初に構築されてしまうと、なんだか、お互いに疲れるだけであまり意味のない指導になってしまうように私には思えます。
ダブルストローク
伝えようとする内容そのものも明確であるべきですが、自分が本当に伝えたいことが、言葉、態度、表情といったすべての面で、ある程度一貫して伝わっているかどうか。知らず知らず、自分が意図していないメッセージを与えてしまっていないか。こういった配慮、客観的な視点が大切だと思います。

指導する側は、たいてい、自分が発言、説明した内容そのものを「教えている」と思っていますが、指導を受ける側は、実質的には、言われたこと、説明されたことだけではなく、むしろそれよりも、指導中の指導者の印象、態度、物腰、動作等から垣間見えるメッセージから多くの情報を得て、それをもとに情報を消化し、自分なりの解釈を加えて「学ぶ」のです。

すると、場合によっては、こちらが「教えてる」と思っていることはぜんぜん伝わっていなくて、むしろ、望ましくない方向へ勝手にどんどん学んでいっているかもしれないわけです。

発言している言葉そのものの内容と、その口調や表情といった副次的な情報とが矛盾していることを、ダブルストロークと言うそうです。

例えば、ルールとしてはっきり示さなければならない事柄なのに、ニヤニヤ笑いながら言えば、聞いているほうは

「あ、形だけだな」とか、
「この人、こう言ってるけど本気じゃない」

とか感じます。またたとえば、

「トレーナーの○○です。一生けんめい指導しますので、よろしくお願いします」

というあいさつをしたとします。こうやって、文字で書けば、ふつう、さわやかな、すがすがしい態度を想像します。でも、実際には低い声でボソボソっと、目も合わせず言ったらどうでしょうか。こういうのは極端な例ですが、しかし、実際の指導場面では、相手は同時に矛盾したあるメッセージを受け取っているから、その言葉が信用できない、ということがいくらでも起こります。

その時だけならまだいいのですが、それによって相手は同時に

「この人は、言ってることと、思っていることが違う」

というレッテルを貼ることにもなります。今後ずっとそう思いながら話を聞くわけです。

「自分はそんな説明はしていない」
「教えたとおりにやれ」

と相手を責める前に、自分の姿を確認したほうがいいかもしれません。
メッセージ性に配慮する
教えられている側もアホじゃないのです。表面的には、言ったとおりの動きをし、聞けば

「はい、分かりました」

と答えるに決まっています。それを聞いて、

自分の指導によって、相手が納得してくれた

と思ったら大間違いなわけです。「理解」することと「支持」することはまったく別のことです。

そもそも、他人の心理までコントロールすることはきわめて難しい行為です。ですから、特に、指導というものに慣れていない段階では、相手をコントロールしてやろう、と考えるより、

指導をしている自分の姿をコントロールすること

を重視したほうがトレーナーのスタンスとして望ましいと思うわけです。

たとえば、まずは

○ 必要な内容を過不足なく話せているか
○ 重要な点を適切に強調できているか
○ 余計な情報を過剰に与えていないか
○ 態度や動きがネガティブなメッセージを与えていないか
○ 矛盾したメッセージを同時に伝えていないか

というような、確認しやすい点から注意してみましょう。ここに挙げた点は、相手の問題ではなく、すべて

教えている側の問題

なのです。相手がどうであろうと、こういった点で遜色なく、ある程度確実に指導できる、ということが先に必要だと思うのです。

自分自身が担当する場合もそうですが、トレーナーに対する指導を行うときにも、

まずは自分で修正できる点から指摘してあげる

ようにすると、トレーナーさんを萎縮させたり、必要以上に緊張させたりせずに済みます。当たり前ですが、指導というのは相手があっての業務です。しかし、トレーナーさんに、いきなり「相手をコントロールすること」を望んでも無理があります。

そして、たいていの場合、トレーニーさんのほうも、そのように自省的な態度で粛々と指導しているトレーナーの意図も、もちろん感じ取ることができます。不慣れなために所どころ小さな不備はあったとしても、変に相手をコントロールしようとする態度よりは、よほど好意的に受け取るでしょう。
指導プロセスを記録する
さて、指導というものの全体像を俯瞰し、適切に意味や目的を分類してゆく作業が必要ですが、同時に必要なことは、

そのようにして把握したものを、目に見える形に表してゆく

ということです。そのためには、まず、日々話したことや、議論になった点などをとにかく

なるべくすべて記録してゆく

ということが非常に大切です。いつも熱心に

「指導とは・・・」
「仕事とは・・・」

と語り合っているお店もたくさんあると思いますが、私が思うのは、せっかくそういった話にみんなが参加できる環境が生まれているにもかかわらず、それらを記録しておくという意識がないために、いつも同じところで話が終わったり、堂々巡りになったり、話しているだけで、それが実際の業務に反映されなかったり・・・という段階で止まっていることです。これはとても、もったいないことなのです。

できる部分からでよいから、少しずつでも、指導の内容、そのあり方を定型化してゆくこと、都度生じた課題や問題点、思ったこと、ふと感じたこと、何でも共有し、蓄積しようという意識が必要かと思います。

たとえば、議論そのものが堂々巡りしていたとしても、その「堂々巡りしている状態」を記録しておくことが大切なのだと思います。

何かを決めたり、共有したりしても、もちろん、例外や変更はいつも発生します。いったん定型化した事柄も時間とともに崩れ、また更新を余儀なくされる場合があります。それでも、形として残しているからこそ、少なくとも

「あ、崩れた」
「あ、こりゃダメだ、変えよう」

ということも目に見えるようになってくるわけで、それが見えないと、たとえば、崩れた理由、それどころか崩れたという事実すら把握できません。その変更や修正が、いいのか、悪いのかを後から比較検討することも困難です。

店長さんなどは、時々文書化の必要性を感じて、そういう取り組みを始めることがあると思います。ところが、スタッフさんたちがごく一部しか反応してくれないとか、自分も時間がないときは書き忘れたりして、

「全部書いてゆくなんて不可能だ」

などと思ってやめてしまいます。

そもそも全部を書くことなど無理があります。それでも、少しずつでもランダムにでも継続して常に書き加えられていることのほうが大切で、書き加えられている限りそれは機能するわけです。

ところが、たいてい日々の記録というのは途中でやめたらゼロです。やめてしまうと、更新されないブログやホームページと同じで、誰も価値を感じなくなり、もし中には貴重な情報があっても、それまで書きためた情報はゴミになってしまうものです。
表と裏から見えるようにする
お店では、たいてい「連絡ノート」みたいなものが設置されていて、業務の引継ぎやオペレーションの変更等が常に確認できるようになっていると思います。仮に、新人さんがそこに何か書くとすれば、

「今日、これとこれを習いました」
「今日、これを初めて実際にやりました」

というような記述になるでしょう。

そこで、たとえば、今それが機能している状態にあるなら、それとは別に、「トレーナーノート」みたいなものを作って、主に「指導」に関する記録はそちらに付けてゆくように徹底したらどうでしょう。例えば、

○ トレーナーさんから見た、新人さんの研修の進み具合や問題点
○ 指導する時に気を付けていること、工夫していること
○ それに対する意見やアドバイス

などを書いてもらいます。

○ 仲間のOJTを見て、気がついて教えたこと
○ 今日、仲間に聞かれたこと

といった点が出てくればなおけっこうです。こうすることで、先ほど言ったようにトレーニーさんが

「今日、これとこれを習いました」
「今日、これを初めて実際にやりました」

というのと対応して、トレーナーさんは

「今日、これとこれを教えました」
「今日、これを初めて実際にやってもらいました」

という記述を残す「機会」ができます。つまり、指導という行為を表と裏から確認できるようになるわけです。

まずトレーニーから見た場合、それはトレーナーさんの意思や気持ちを率直に見る機会が得られるわけですから、とても有意義なことです。つまり指導というのは表と裏と、両方の視点から見なければ全体像が分かりにくいのであって、いつも

「指導を受ける側」

に立っていると、隠れた意図や目的、方針までは見えてきません。指導を裏から見る、というのは、つまり、指導する側の立場から考える、ということです。

同時に、それを記述するトレーナーさん自身も、これは通常の連絡ノートと違い、自然に

「指導する」

という立場から発言することが多くなるはずです。どこのお店でも、スタッフさんの意見や提案といったものは、ごくふつうに

「話してみなさい」

というと、自分の立場からの、希望や不満のような物ばかり出てくる傾向がありますが、このように形式を定めてあげるだけでも、スタッフさんは自然にそれに合わせて上手な表現や考え方をするようになります。このように視点を変えてもらうことが第二の目的です。
まずリストアップする
記録は続けることが大切ですが、次には作業内容や指導手順を「定型化」してゆくことも考えないといけません。

定型化された業務は、作業マニュアル、指導マニュアルといった形にまとまってゆくことになりますが、この作業は、やってみると案外骨が折れるものです。構成や編集を考えることもそうですが、何より、単純に文書にするだけで相当な作業量になります。やり始めると、時間がいくら合っても足りないように感じてきます。しかも、現場の状況に合わせて考えを進めていくと、作った先から修正点、変更点がどんどん出てきて、とても追いつかないと感じてしまいます。

それで、たいてい途中でやめてしまうことになります。

いきなり、すべてを入れ込んだ、ご立派なマニュアルを作って、それを徹底させようとしても必ず無理が生じます。スタッフさんからの反発も食らいます。

簡単なコツですが、もし、定型化しようと思ったときは、まず「項目のリスト」だけを作ります。スタッフさんたちに伝えたいこと、作業場の細かい注意点など、店長さんからすれば、言いたいことはいくらでもあるでしょう。しかし、ぐっとこらえて、内容はまだ置いといて、とりあえずの「見出し」だけどんどん挙げるつもりでリストアップします。

それを並べれば、項目リストが出来上がります。そうしたら、それをスタッフさんたちに見せて、実際に運用してしまうのです。チェック欄だけ作って、とにかく、みんなに配るなり、壁に貼るなりします。

これだけなら、たいした作業ではありません。そして、スタッフさんには、このリストを使って、仕事や、実務上のポイントを知り、共有していきましょう、といった感じでアプローチしておきます。

すると、最初はポツポツでしょうが、各項目の内容について、疑問なり、意見なりが出てくるはずです。そうしたら、それを先ほど言った「トレーナーノート」みたいなものに反映していきます。結果的に、各項目の説明みたいなものが蓄積されていきます。また、内容は流動的なので、未決でも暫定でもいいし、決定したとしても都度変更、修正できます。もちろん、項目リストを追加、変更するのも簡単にできます。
リストそのものに時間をかける
リストアップするというのは、内容は別として、まず、その項目がとにかく「ある」ということを確認した、ということです。それ自体がけっこう大切なことだと思います。逆に、あえてリストから外す、という場合も考えられます。つまり、最初はおそらく、リストアップする項目そのものが議論の対象になるはずです。

最初から細かい内容に触れてゆくと、項目について誰も気にしなくなります。または、

「そんなことより、そもそも・・・」
「もっと、こういう点も考えないと・・・」

というように不満を持つスタッフさんが発生することになります。本部などから送られてくるマニュアル類もそうでしょう?

「なんだか、ポイントがずれてるなー」
「一番必要なところが抜けてるんだよなー」

と感じてしまいがちです。すると、現場の人はそれを「役に立たない」と思ってしまうわけです。

ただし、まだオープンして間もないとか、日々の作業自体がまだバラバラで、ほとんど店長さんがひとりでコントロールしているとか、そういった場合に必要となる「マニュアル」は少し趣旨が違います。こういう場合には、店長さんなどが自分の考えや、今言いたいことをストレートにマニュアル化したほうが効果的です。とにかく、こういうふうにやってくれ、的なマニュアルでいいのです。それは言わば、「通達的なマニュアル化」とよぶことができるでしょう。

しかし、今述べているように、指導という業務に多くのスタッフさんが関わり、ある程度、継続的に人が育ってゆく環境ができつつある場合、できるだけ最初の段階からスタッフさんを巻き込んで作ったほうが取り組みやすいはずです。あえて名付ければ、これは「議事録的なマニュアル」とでも言えるでしょうか。

ある程度全員が納得している項目リストができていれば、大枠について共通認識を持った上でスムーズに各論に入れます。今何を議論しているかが明確になるのです。そこまで進むのにすでにある程度の期間が必要なわけです。

ですから、細かく作りこむ前に、相当期間こういう形で運用しておいて、お店の中でだいたいの共通認識が出来上がってきたな、と思った部分から、少しずつ内容に入って行けばいいわけです。
分かりきったことから定型化する
お店などで、自作のマニュアルを使って業務を遂行する際、そのコツは、

○ 理想的なマニュアルを作ってから、みんなに徹底する、のではなくて
○ 現実的にすでにほぼ徹底されている事柄をマニュアル化する

ことです。ところが、考えようによっては、すでに自明と思えるほどに、全員が共有している知識や、すでに徹底されている作業内容や項目であれば、何もわざわざ文書化する必要も、マニュアルにする必要もないではないか、と思うかもしれません。

しかし、実はこれが長期的には非常に有効なのです。また、そうであればこそ、長期に継続して使えるものになります。

思い出してください。開店以来、常に今のような指導体制だったわけではないでしょう。実は、今述べているような業務のマニュアル化に着手しようとするタイミングというのは、ある意味で、お店の管理や人員の状況が非常に順調なときです。もちろん、当事者は

「まだまだ問題だらけだ」

と感じていると思いますが、ハタから見れば、もっと問題だらけで、指導業務やOJTの内容について定型化する作業など手が付けられない、という場合だって多いのです。そして、そういう状況の時に、現実と乖離したマニュアルを作ってから急に当てはめて立て直そうとしても役に立たないことが多いわけです。

繰り返し言いますが、お店の人的環境は、きわめて流動的なのです。例えば半年後、今いるメンバーはほとんど残っていないかもしれないのです。その時、すでに運用実績のある定型作業、指導項目が少しでも多く存在することは、どれほど助けになるか分かりません。

また、すでに共通認識があって、みんなが知っている事柄であれば、何も店長さんが一人で全部文書化しなくても、作成できるスタッフさんが出てくる可能性もあります。前に述べたように、マニュアルを作らせてみることが、スタッフさんの能力向上にも役立ちます。ただし、これは、すでにほぼ徹底されている事柄だからこそ任せやすいわけです。

また、作業に付随している心構えや考え方といった部分でも、前で言った「トレーナーノート」があれば、集積された情報を整理していけば、店内的にはすでにある形に意見が集約されている部分が多いわけですから、その作業を店長さんがわざわざ独り占めしなくてもいいわけです。もし気に入らなければ都度修正すればいいわけですが、それでも、ある程度共通した認識を土台にして修正すればスムーズですし、作った本人も、全面的に否定されるわけではありませんので納得しやすいでしょう。
店長の習慣
もちろん、まず管理者自身が、自分が日々思いついた事柄や、頭の中にある漠然としたイメージのようなものを常に「書く」ようにすることは大切です。そして、できればこれを、みんなに公開すること、共有しようとする意識が大切です。

そういう意味では、たとえば、ブログというのは非常に有力なツールだと思います。とりあえず、ノートなどに手書きで書くより早くて楽です。それに、誰でも気軽な気持ちで読み進めることができます。ネット上であれば、お店にいないときでも、家でもどこでも全員が好きな時に見られる、というメリットもあります。

別に一般に公開しなくても、お店の仲間だけで見られるようにパスワードをかけ、定期的に変更さえすれば気兼ねなく使えます。

といっても、ネット上に置くのは心配だ、とか、スタッフさん全員がパソコンを扱うのは難しい、となると、不定期にでも「店長ニュース」とか言って文書を配布する、というのもいいですし、「店長の日記」「店長ノート」とかいうのがお店にさりげなく置いてあるというのもいいですね。

これらのツールは、もちろん、スタッフさんたちが自由に見る、という前提ですからむやみに書けない事柄もあり、また、あまりに話題が逸脱しないようにコントロールすることなども必要ですが、業務に直結しない、しかし、日頃店長さんが感じていること、考えていること・・・きっとスタッフさんたちも非常に興味があると思います。ふだん、

「何でも気軽に言ってきてください」とか、あるいは
「報告、連絡、相談を徹底しろ」

とか指示している店長さん。しかし、同じことが店長さん自身にも当てはまります。店長さんは、自分自身が有力な「情報発信者」でなければならない、という自覚が必要です。お店にいるすべてのスタッフさんに対して、自分が何でも気軽に話し、よい情報はすぐに共有する、という姿勢の人でなければ、誰も一方的に情報をフィードバックしようなどとは思いません。

いずれにしろ、こういう手はコミュニケーション手段としても有効なものですが、それとは別に、管理者が

「物事を記録する習慣を持っていること」

をスタッフさんたちに示すことが非常に有意義なのです。書く習慣は上のヒトが実践すれば下の人に伝染します。お店の全員が

「物事を記録する習慣を作る」

というところから始めるとしても十分意味はあります。ぜひ試してみてください。
雇用契約とは、指導契約
「どうして、そんなに意欲がないのか」
「なぜ、そこまで他力本願なのか」

あるいは、

「仕事以前の常識だろう」
「社会に出たら、当たり前のことだろう」

自分が少し上の立場に立つと、部下やスタッフさんを見て情けなく思うことがあるでしょう。

「おいおい、こんなことまで指導しなくちゃいけないのか」

などと、まったく、面倒見る気持ちもなくなってしまうような人を、それでも指導しなければならないときのイライラ、これほどイヤな仕事はないのではないか、とさえ思えてきます。

ただ、別に弁護するつもりはないのですが、

「では、なぜ雇ったのでしょう?」

雇用したということは、指導するという意思表示をしたということに他なりません。よく、

「そんなんじゃ、どこに行っても通用しないよ」

と口走ることがありますよね。しかし、すでに、雇用された時点で

「通用しちゃってるんです」

しかも、他ならぬ、あなたのお店でです!

この点、たとえば普通の会社であれば、採用担当者と、配属されてから実際に面倒を見る人は異なるのが当然ですから、まだ理解できるとして、お店の場合、ほとんどの場合、店長さんが一存で採用して、その当人が上に挙げたような言葉を漏らすとしたら、それはハタから見たらとてもおかしいことでしょう。

確かに、雇用契約上の義務であるとか、必ずしもそういう意味での問題ではないかもしれませんが、雇用しておいて、指導したくないというのは、少なくとも象徴的に言えば、これはもう明確にこちら側の業務放棄なのです。はっきり言って、そんなこと言っているあなたのほうが

「そんなんじゃ、どこに行っても通用しないよ」

という話なのです。
パワーハラスメント
雇用した限りは、指導しなければなりません。ところが、逆に言って、「指導」という名前をつけさえすれば何をどういうふうにやってもいい、ということにもなりません。

パワハラ、という言葉が認知され始めたのは最近のことですね。パワハラ(パワーハラスメント)とは、「力がある人が、強制力を持って下位の人を肉体的、精神的に虐待したり、追い詰めたりすること」で、仕事上でいえば、要するに上司や先輩が行う部下いじめのこと、と言えるでしょう。

いわゆる「セクハラ」を除けば、こういった行為は、今現在でも事実上まだまだ必要悪として容認されているような一面があります。そして、こうした行為は、ほぼ必ずと言っていいほど「指導」という話とつながってきます。いわく

「厳しくしないと成長しない」
「叱ることも必要だ」
「口で言っても分からない」

一方では、一理あるようにも感じます。悪意がある場合、そんなつもりはまったくない場合、どちらにしろ、もし

「それは、パワハラです」

と言われたら、返す言葉はたいていの場合、

「いや、あくまで指導のつもりで・・・」

ということになるに違いありません。逆に言うと、熱意を持って一生けんめい教えれば教えるほど、パワハラ扱いされるのではないか、と心配になります。

「パワーハラスメントなどという言葉が一般的になったら、おちおち指導などしていられなくなるではないか・・・」

と思っている人は実際たくさんいるはずです。それほど、根深いというか、表面化しにくい問題であると同時に、対処の難しい問題でもあります。

悪意を持って故意にパワハラしている人がもしいたら、それは論外ですが、そうでなく、真に「指導」のつもりで行っているにもかかわらず、パワハラがなぜ問題として浮上するかと言うと、端的に言えば、それは

教えてる側と、教えられてる側が、共通認識を持っていないから

ということになると思います。この点では、セクハラもまったく同じですし、学校でのいじめの問題とも似たようなところがあります。つまり、やっている側がどう思って行っているにしろ、相手がそう感じるとすれば、いくら弁解したところで、それはもう問題なわけです。
パワハラ回避策
そこで、今まで述べてきたようなポイント、それはそのまま、いわば、指導する立場の人にとっての

「パワハラ回避策」

にもなるのではないでしょうか。つまり、たとえば、

○ ひとりで抱え込まない
○ 評価者と指導担当者を分離する
○ 指導スタイルを使い分ける
○ 評価語に注意する
○ 指導の終了を宣言する
○ 相手をコントロールしようとしない

このような点を振り返ることは、指導の成果を高めるためだけでなく、その過程で不必要に相手を傷つけたり、お互いがおかしなストレスをため込んだりするのを防ぐためにも有効だと思います。

正しい姿勢で指導する気持ちと、それを正しく表現するための知識や技術があれば、そうそうパワハラ、セクハラといった問題を過剰に恐れる必要もないのだと思います。ごく自然体で指導という業務に当たることができるようになるのではないでしょうか。
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