店長力 > 2007年01月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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明確に伝える
このように、指導スタイルを使い分けることができれば、それぞれの指導が効率的、効果的に行えるばかりではなく、各スタッフさんが次の段階に進むための「過程」が明確になり、むしろ最も効果の高いメッセージを与えられます。

そこでもし、こういった方法を使おうと思う場合、特に大切なことは、要所、要所で、本人が今どの段階とみなされ、したがって何を優先的に求められているのか、ということをはっきり告げることです。これがないと、スタイルの差が不公平感や不安につながりやすくなるだけでなく、一つひとつの指導が何を目的に行われており、ゴールがどこにあるのかが想像できません。

たとえば、権威的→放任的、または、放任的→共有的、というように指導スタイルが変化する時点では、

「今まではこうでした、そして、これからはこうです」

というように、きっちり宣言することです。すると、相手は非常に安心なのです。

また、こういうふうに、働いている過程で区切りとなるようなものがあったほうが、長期的なモチベーション維持にも効果的だと私は思います。常に同じ指導スタイル一辺倒だとむしろ維持しにくいともいえます。

人間は、区切り区切りで、今自分がいる地点を知りたいと思うものなのです。

スタイルの問題だけではなく、指導というのはたいてい「終わり方が肝心」なのです。たとえば、もう終わったのに、「終わり」と宣言してくれない上司は非常に嫌がられます。また、

「まだ不十分だけど、時間がないから、もう終わる」

というのも、本人にとって非常に不本意でしょう。こういう言い方をついしてしまうことがクセなっている指導者というのが、たまにいます。指導する側の余計な一言が、予想以上に本人の気持ちに影響を与えることを知っておくべきでしょう。

後でまた述べますが、この段階で、指導のコツというのがあるとすれば、それはむしろ、

○ 言わなくていいことは言わない

ということです。たいてい、まずは「消去法」で考えたほうがうまくいきます。すると、逆に「何を言うべきか」「何を伝えておくべきか」も見えてくるというものです。
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通過儀礼を作る
できれば、指導スタイルが大幅に変更になる場面では、終了試験のようなものを形式的に行って、修了証書でも出してあげるくらいの工夫があってもよいでしょう。今の若いスタッフさんは、あまり儀礼的なものを好まないと思うかもしれませんが、表面的には無関心を装っていても、レベルアップしたことをきっぱり告げられて、ほめられたらイヤな気持ちになる人はまずいません。こういった、少し大げさな通過儀礼で気分を盛り上げてあげることもできます。あるいは、時給に反映してもよいでしょう。

会社やFC本部でも、ある役職につける前には「研修終了証」というようなものを発行する場合がありますが、これは何も、全体として管理上必要だから発行しているというばかりではなく、受けた本人にとっても非常に意味あるものです。

終了テストのようなものもそうです。理解度や達成度を測るという主な目的以外に、終了テストにおいて、合格ラインの点数を取らせることによって、形式的に評価を確定させる意味があります。極端に言うと、判断材料というよりもむしろ、お墨付きを与えるためにテストするわけですね。

または、肩書きを与えることもできます。店長、マネージャーという以外に、お店内部でいくつかの役職を設定することはできます。こういったものは、本人にある種の優越感とともに、一定の自覚を与えるものです。期待を表明すると、人間はその期待にこたえるように行動する傾向があるのです。

「これがウチのやり方だ、わかってるだろう」

とばかり、指導する側だけがそのつもりになって、どんどん指導を進めても、相手に伝わっているかどうかは疑わしいですし、場合によっては、まったく別の意図を感じ取ってしまう場合があります。単に好き嫌いや気まぐれで行動していると受け取られてしまう可能性もあります。ここに限った話ではないのですが、いつもこちらの思惑が正しく、相手も理解しているべきだなどと一方的に考えているとスタッフさんたちの心はすぐに離れていきます。
いわゆる、職人の世界のOJT
私は今、典型的な指導スタイルの推移として

権威的 → 放任的 → 共有的

という順番を想定して述べてきましたが、慣れてきたら応用的にもっと使い分けを工夫する余地も生まれてくるでしょう。

一例ですが、たとえば、大工さんとか板前さんの世界だと、

「仕事は見て、盗んで覚えるもんだ」

といった観念がしばしば見られます。いわゆる職人気質ですね。もちろん、仕事というものにはそういう側面もありますし、何でもかんでも教えてもらおうという安易な態度でも困りますから一概に否定できません。

ただし、もしこれを額面どおりに捉えて、常にこういった方法論だけで仕事を覚えるように、というとすれば、それは非常に偏っており、効果も薄いと考えられるでしょう。

あえて言い換えると、職人的な指導方法とは、先に言った「放任的指導スタイル」を極端に表現したものだと考えられます。しかし、いくら昔気質の、職人さんの世界だ、といっても、現実にはすべてを盗んで覚えるわけではないでしょうし、叱られたり怒鳴られたりしながらも、どんな業種であれ、実際には適時説明や指導は受けているはずです。実際には別に100%放任的、というわけではないのですね。

あえて当てはめて言うなら、職人的な指導の方法論というのは、ごく大まかに言えば

放任的 → 権威的 → 共有的

というふうに移行するわけで、前で述べた指導スタイルの移行順序とは「放任的」と「権威的」が逆になっているところがミソなわけです。

指導スタイルの推移順序は、このように

何をどう伝えたいのか

によって変わってくる面があります。自分なり、そのお店なりの方法論を作り上げればいいと思います。
指導スタイルの移行順序を考える
必ずしも職人というような世界でなくとも、あえて最初に放任的なスタイルを採るような職場、業界はありえます。その主な意図は、

○ 本人の意思を確かめる、または、固めさせる
○ 指導をしてほしい、という欲求を起こさせる
○ 少々の我慢は必要だということを体感させる


といった点にあるように思います。これはこれで、意図があるからそうなっているわけです。

仮にですが、あなたのお店が超人気店で、「働きたい」という希望者があふれるほどにやってくるという状況であれば、最初は放任的指導スタイルを選ぶ、という作戦も大いにあり得ます。

また、最初からある程度「選抜」を必要とするような場合、たとえば、店長さんを育てなければならないとか、正社員を増やすときとか、そういう場合には有効かもしれません。

逆に、最初からごく共有的な指導スタイルを取って、その後思い切って権限と責任を与えるという手も考えられます。多少現場的な摩擦なども考えられますが、事業を急速に拡大したい時などには、そのほうが手っ取り早いかもしれません。

このように、3つの指導スタイルは、どれか1つ、でもなければ、必ずこの順番、でもないわけです。お店の置かれた状況、また、各々のスタッフさんの素質などに最も適したスタイルを選択できるわけですね。ぜひあなたのお店、また、今後の事業展開にふさわしい指導スタイルの使い分けを会得してください。
役割の変化をサイクルで考える
お店に存在するスタッフさんは、それぞれが特定の役割を持っていると思います。役割というのは、明確な業務の分担や作業の到達度などもありますが、他に、

「雰囲気を明るくしてほしい」
「みんな気がつかない点を教えてほしい」

というような、資質や性格に依存したもの、または、

「特定のお客様の面倒を見てほしい」
「叱られ役になってほしい」

なんてものもあります。

また、それはお店で働いている間に、少しずつ変わってゆくものです。もちろん、遂行できる作業は増え、スキルも蓄積され、理想的に言えば、心構えや方針なども深く理解してくれて、お店に貢献する度合いが大きくなっていきます。

細かく見ると、特定の役割を提供していたスタッフさんが退職すると、それとまったく同じようにその役割をこなせる人がいなくなることがあります。その場合、ひとつには、いわゆる後継者として誰かを当てはめるか、もうひとつには、その役割自体をなくす、つまり、現状に人に合わせてチーム全体のシステムを更新する、という選択が必要になります。

ですから、ひとつには業務の分担や、お店の人員体制を

「絶対こうでないといけない」

というふうに固定的に考えずに、ある程度柔軟性を持った見方が出来ることと、一方で、なるべく人の性格や資質に依存しない役割、分担を設定するよう心がけることも必要だと思います。

ところで今、簡単に、新人さん、初級、中級、上級、とスタッフさんのレベルが上がってゆくとします。すると、お店全体で見ると、常にすべての段階のスタッフさんが存在し続けるのが通常というか、それが理想形で、その各段階で、主に望まれる役割は変わってきます。

もちろん、上級に至らないまま退職していってしまう、ということも起こり得ます。また、長く勤務してくれているベテランスタッフさんだからといって、その方が業務的に「上級」と言えるかというと、そうでもありません。

店長さんが、今いる全員を上級にしようと考えてしまう場合もあります。これも非現実的です。普通の会社などでも長い目で見れば同じことですが、特にお店の場合、スタッフさんは短期間で入れ替わりやすいので、全員が上級に至ることはそもそもあり得ませんし、あったとしても一時的なものと考えるべきでしょう。

このように、スタッフさんの成長過程にはひとつの方向があって、同時に、全体を俯瞰すると、各レベルの分布が、いつも大体同じ比率になっている、というのがいいわけです。私はこれを「人員サイクル」と呼んでいます。
指導とは継続業務
一人ひとりのスタッフさんを個別にどう指導するか、という問題と同時に、お店では、この全体の人員サイクルをいかに適正に保ち続けるか、が大切なわけです。

指導とか育成、というものを、場面、場面で単発的に行うものと考えていると、かえって難しくなります。そうではなくて、ある特定の人に対する「指導」というものを、働いている間ずっと続く一種の「体系」であるというように理解すべきで、指導段階とか、人員の入れ替わりとか、そういう面も含めて「指導」というのは長期的に続く

継続的業務である

と認識しておくことです。そうなると、対応はより定型的に行うことができ、全体を俯瞰すれば、ある程度基本的なパターンがあることが分かります。

そのように考えるからこそ、その人が今いる段階に応じて、指導スタイルを区別するということも可能になってくるわけです。全体を想定していればこそ、そのある特定の期間とかタイミングのときに、特定の指導スタイルが有効だということになるのです。

人員サイクルに沿って指導過程を俯瞰すれば、実際に行われているOJTその他の指導内容がそれぞれにどういう相関性を持って位置づけられるべきかが割合はっきり見えてきます。

そして、お店で必要な「役割」にはどのようなものがあるのか、それは、どのタイミングで誰に割り振るのが妥当か、ということも具体的に見えるようになりやすいのです。

大げさに言えば、一人のスタッフさんが入ってきて、ある期間お店で働いてもらって、いつか、退職していきますが、その、退職する日まで「指導」は続きます。で、たいてい、その終わりのほうへ行けばいくほど指導の内容というのはあいまいになってゆくわけですが、これは、第一に全体を想定していないからでしょう。

お店で一番問題になりやすいのは、むしろ、中級レベル以上のスタッフさんを常に確保することです。また、中級以降の指導が行き届いていればこそ、新人さんが入ってきてもスムーズに働きやすい環境が生まれるわけで、結局、人員不足もそこからきている、という場合があるわけです。

だから、新人さんの初期研修ばかり熱心にやっていても、それ以後の継続的な指導について念頭においていなかったら、お店は、どうしても初級レベルのスタッフさんばかりになってしまうのです。そういう状況では、指導スタイルも単一になるのは当然です。そして、その状況で新たに人を採用しても、指導もしにくいし、それ以前にたいてい手が回らないということになります。
「指導」の段階を考える
一般的な例ですが、個別の指導段階というのは、たとえば、

1 入店時
2 初期研修(=試用期間)
3 本採用
4 初級オペレーション
5 分担、役割の確定
6 役割獲得のための指導(中級オペレーション)
7 雇用契約の延長
8 より高度な役割のための意思確認
9 役割に見合った姿勢、認識の共有
10 上級オペレーション(本人の意思により選択)
11 場合によって、管理的立場になる、社員になる、店長候補になるなど
12 管理的業務、運営全般への参加、または委譲

というくらいに区分して考えられると思います。必ずしも全員が12のレベルまで到達するわけではなく、どの段階で退職するかはそれぞれですが、少なくとも想定しておけば、実際そうなる可能性が生まれます。

逆に言って、全員が2~4くらいまでしか到達しないとすれば、それはお店の運営は大変になるのも当然でしょう。初期研修だけは熱心に行うけど、あとはほったらかしで

「やりながら覚えてゆく」
「その都度聞く」

という習慣になっていると、つまり5から先の道筋が目に見える形で存在しない、ということに他なりませんから、実質的には

「5以上は、やらなくていいんです」

と先に断ってしまったような格好になります。

バイト感覚、としばしば言いますが、バイト感覚に陥る温床を作り出しているのはむしろ、お店側のこういったあいまいな人員計画や指導過程なのではないでしょうか。
成長段階と指導の重点
先に述べたような指導スタイルの変化もそうですが、それぞれのスタッフさんに期待する役割とその成長過程に合わせて、どういう点を重視すべきかも変わってきます。

まず、仮採用期間を通過し、晴れてスタッフさんとして正式に仲間入りしたとして、でもまだまだ、右も左も分からない・・・これを、初級スタッフさん、と考えるとすると、まず何をおいても必要な指導とは、

○ 正しく行える作業の種類を増やす
○ 一定のスピードで作業をこなせるようにする
○ ごく典型的なお客様対応が無事にできる


というようなことになると思います。

この段階で特に重視することとして、私は

「動作ディテール」

という点を強調したいと思います。動作ディテールというのは、一つひとつの、細かい動きのことです。コンビニで言えば、

○ 商品を、袋に入れる時の、袋の持ち方
○ 紙幣の数え方
○ 重い商品の、持ち上げ方
○ バックヤードから売り場に出るときの、扉の開け閉め

とか、そういったもろもろの動作です。

他には、お店での規則、通念の理解といったことも実際には必要になりますが、これも指導といえば指導ですが、あえて言えば、それはそもそも最低限の採用条件に近い問題ですから、初めから理解し、遵守しているのが本来です。これから教えてゆく事柄というより、最初の段階ですでに提示と合意があり、あとは継続的に確認してゆくもの、と考えることもできるでしょう。
意識よりまず動作
拙著でも触れましたが、たいてい店長さんは指導と言うと、まずスタッフさんの「意識」を変えようとします。経験談をいろいろ話して聞かせたり、自分の哲学のようなことを、ことあるごとに繰り返したりします。

「商売というものは・・・」
「お客様っていうのは・・・」
「商品というのは・・・」
「仕事ってモンは・・・」

それも、まったく無意味とまでは言いませんが、少なくとも、それは初級のスタッフさんにとって、優先的な問題ではないように思います。

仮に同じ時間を当てるのだったら、まず

「そうやって袋を持つと、持ち手が曲がってお客様が持ちにくい」
「そこで紙幣を数えると、自分は見えるがお客様から見えない」
「その位置で重い商品を持ち上げようとすると、余計な力がかかる」
「そうやって扉を閉めると、音がうるさいし、移動も遅くなる」

といったことを指導したほうがいい、ということです。見て分かるように、これらはまず、その場で、実際の動きを見た上で指摘しなければなりません。そして、言えばすぐ修正できることばかりです。こういう一つひとつのことを、動作ディテールと言うわけです。

こういう指導は、第一に、即効性があります。気持ちとか考え方とかに介入しなくても、比較的すぐに行動を変えられるわけです。第二に、こういう類の指摘は、まだ慣れていないうちであれば素直に修正しやすいのですが、ある程度時間がたつと、

「いちいち、うるせーな」

ということになってしまいがちだから、早くしたほうがいいのです。第三に、そうは言っても、こういった動作に対する問題意識は、結局のところ、後々

「商売というものは・・・」
「お客様っていうのは・・・」

という理屈にすべてつながっていくものです。つまり順番の問題なのです。先に実際の動作を知ってから、意味や目的を話すほうが理解しやすいと思います。
躾の問題にするな
学生アルバイトさんなど、若いスタッフさんを教育する際には、しばしば

「最近の人は、躾がなってない」
「仕事の前に、最低限の常識がない」

といった声が聞かれます。ですから、いわゆる躾教育を重視するお店は多いでしょう。

○ 出勤時、先に働いているスタッフさんにあいさつをする
○ 時間ぎりぎりでなく、少し早めに出勤して、準備する
○ 手が空いていたら、自分ですべきことを見つける
○ 私物を仕事のじゃまにならないように保管する
○ 自分が休憩中だからといって、むやみに話しかけない

など、言い出したら切りがないくらい出てきますが、これらについても、相手の「意識」とか、働く上で当たり前の「常識」の問題だと考えてしまうと、妙に説教くさくなってしまいます。

まず、本来これらの前提的な問題は、いちいちその場で指摘しなくても済むように、あらかじめルール化しておくべき部分が含まれていると思いますが、仮に口頭で注意する場合にしても、「躾」と思わずに、あくまで動作ディテールとして指摘するのがよいと思います。

躾や常識の問題だと考えていると、必ず過剰な「口頭説明」が発生します。そうではなく、極端に言うと、本人の気持ちどうこう、ではなく今はその動作さえ修正すればいいのです。

確かに、スタッフさんからは、しばしば

「ちゃんと意味を教えてくれない」
「分かるように説明してくれない」

といった不満が聞かれますね。しかし、私の実感では、こういう声が上がってくるのは

○ まったく説明を加えない場合、よりもむしろ
○ 一方的に余計な説明ばかりしている場合


と考えられます。つまり「ちゃんと説明してほしい」とスタッフさんが訴えるとすれば、それは、

こちらが聞きたいと思っていることを、きちんと言ってほしい」

という意味ではないでしょうか。それを、一方的に聞きたくもない抽象論、精神論ばかり押し付けようとするから、相手は聞きたいことを質問する気にもなれないで、早々にコミュニケーションをあきらめてしまうわけです。いったんこのような拒絶反応が出てしまうと、それを回復するのは非常に難しくなります。

また、どうしてもこの手の問題は、

「親御さんの躾がなってない」
「まともな教育を受けてない」
「育った環境が良くない」

というような連想が起こりやすく、つい口走ってしまうことがあります。当然こういう言い方は避けるべきでしょう。たとえそれが本当だったとしても、少なくとも、この手の言葉には何の指導効果もないですから。
上手な説明のしかた
実際には、動作に的を絞ってOJTを行おうとすると、必然的に、精神論や経験談をゆっくり聞かせている時間などほとんどなくなるはずです。実際かなりの手間や時間がかかると思います。

しかし、裏を返せば、説教したり、語って聞かせたりすることが「指導」だと思っているとすれば、おそらくOJTは相当に不十分なはずです。

ところで、あんまり細かいことばかり指摘すると不満を持つのではないか、イヤになるんじゃないか・・・と心配になるかもしれません。もちろん、ほとんど仕事するつもりがない人だったら、その可能性はあります。

が、ごくふつうは、最初の段階でこういった指導に耐えることはそれほど辛いことではありません。かえって、いきなり訳の分からない説教を聞かされたり、ほうっておかれたりするほうがよほど辛いはずです。

ただ、もし、動作ディテールの修正に対して不服そうな態度を表すとすれば、必要十分な説明してあげる必要も生じます。ところが、そういう時すぐに教えているほうは、

「仕事というものがわかってない」
「社会人としての理解が足りない」

と考えてしまうわけです。確かにそれはそうなのかもしれません。しかし、少なくとも、おそらく、本人が今知りたいと思っていることは、その動作ディテールがなぜ必要かという直接的な意味だけです。

たいてい、一言で、ごく単純に、はっきりと言ってくれれば、何も不満に思うことはないのです。

ところが、その場合には、

「商売なんだから・・・」
「仕事なんだから・・・」

という話は、ピンときません。たとえば、

○ 出勤時、先に働いているスタッフさんにあいさつをする

ということを動作として指摘したいとします。そのとき、

「仕事なんだから → 仲間にあいさつする」

というのは、実は素直に読むとむしろ意味不明です。つまり、話が一足飛びに飛躍しすぎているのです。管理者や経験者なら、当然に関連性があると思っている事柄でも、スタッフさんからすれば、

「私は今そんなことを質問しているのではない」

と思って拒絶したくなるのです。

だから「非常に大きすぎる概念」といきなり結び付けて言わない、というのがコツです。

ですから、たとえばですが、

「最初に言葉をかけ合っておくと、勤務中も気軽に連携しやすいから → 仲間にあいさつする」

というふうに、もっと動作に直結した、限定的な理由付けを提示してあげるのが上手な説明です。もちろん、あいさつの意味はそれだけではないでしょう。しかし、今それは相手が求めている情報ではないわけです。
どの程度できるべきか
仮に、今教えるべき内容は決まっているとして、それぞれの作業について、どの程度の完成度に達したとき「OK」になるのでしょうか。これがまた、ひとつ難しい問題です。

あるレベル、いわゆる達成基準を想定しておかないといけませんが、現場的にはOJTというのは、つい

時間の許す限り練習させる

ということになりがちです。しかし、これではせっかく指導しても、できているか、できていないのかは結果論みたいになってしまいます。指導する場合には、あらかじめ到達すべき基準を想定しておかないといけません。

ところで、私は、基本的には、たとえばいくつかの作業を70%くらいできるようになることよりも、たった1つの作業でも100%できるようにするほうが優先されるべきだ、と思っています。

しかし、ここで100%と言ってはいますが、では何をもって100%と言えるのか、その条件をはっきり特定するのが案外難しいことですね。それで、結局は中途半端になるか、または、逆に言って、できる人の場合には

本人ができるところまで要求する

ということになりがちです。しかし、これは

「できる人ほどもっとできるように言われる」
「できなければできないでいい」

ということで、非常におかしな話です。
何をもって100%なのか
他のところで私は、そもそもお店の仕事、特にお客様の接遇といった仕事では、100%、絶対大丈夫、という考えがそもそもよくない、と述べました。だから、特に接客にかかわる作業の評価は、あいまいになりがちです。見た感じで良さそうだと

「お店の仕事に向いている」
「接客が得意そうだから心配ない」

ということで済まされ、そうでないと、

「向いていない」
「やる気がない」

ということになるのです。しかし、こういう評価の付け方は、一応指導はするけど成果は本人任せというのと同じです。こういう評価で終わらせると、もし、今の時点で「良さそう」と思っても、ほうっておくと、だんだん感じが変わってきて、結局他のスタッフさんと同じような、良くも悪くもないレベルに落ち着くことになります。これは、基準があいまいだからです。

表現がややこしくて申し訳ありませんが、今言っているのは、お店での仕事として100%という話ではなく

今指導する側が想定している特定の基準に対して100%

という意味です。指導する際には、その達成基準に対して100%というのは厳然と規定することができるはずです。つまり、指導した結果についての予測と、ある種の責任が必要だということですね。
動作ディテールを基準にする
それで、達成基準を明確にするには、まさに動作ディテールをポイントとして観察したほうがいいのです。たとえば、作業の結果だけ見て

「よし、できてる」

というような中途半端なOJTをどんどん進めてゆくと、後で修正しにくくなります。相当期間お店で働いていて、まあそれなりに一生懸命仕事しているんだけど、見ていて

「な~んか、気に入らない」

ということにもなるのです。でも、どこがどうダメなんだか分からない。言うまでもありませんが、こうなるとお客様を相手にする仕事の場合致命的です。

こうなるのは本人に

「接客のセンスがない」
「仕事の意欲がない」

からではありません。指導する側が、動作ディテールの重要性を自覚して、ポイントとなる動きについて、あらかじめリストアップしておき、必要だと思う点は重箱の隅をつつくかのように鋭く観察して、早期に指摘してあげれば、ほとんどの場合修正できたはずなのです。

「それくらい、人それぞれでいいじゃん」

と思っているから後々になって修正が困難になるのです。そして、そうなるとたいてい、いわば後付けで本人の「意識」「意欲」にケチを付けざるを得なくなるのです。
だんだんできるようになる?
いわゆる心構えとか、サービスについての哲学、精神論のようなことであれば、時とともにその意味をだんだん深く理解できてゆく、という流れも十分に想定できますが、OJTの対象となるような実際の作業、動作に関して言えば、たとえば「70%」の積み重ねでは、なんら確実なスキルにはなりませんし、業務上も常に支障が出てくる可能性のほうが大きいと私は思います。

これは、万年新人を生み出すもとです。もっと言えば、そんな指導を受け続けてきたスタッフさんは、いつまでたっても業務を任せておけない中途半端な立場になってしまいやすいのです。

ですから、原則は、指導する側が想定する基準に到達しない限り、絶対に次に進まないことです。結果的に、後々うまくできるようになることもありますが、これはむしろ相当ラッキーな場合と考えたほうがいいと思います。それは、指導の結果ではなくて、本人の自助努力やもともと持っていたスキルに頼っているだけです。

ところで、基準に到達しないのに、次の内容に進まざるを得ないということは、逆に考えれば、指導する手順、内容がおかしいということも考えられます。または、それを習得する期限に無理があるか、期限があるということを、本人が知らないのかもしれません。

本人のせいにするのは簡単ですが、指導する側の、

「基準に到達させるための準備、努力、配慮・・・」

といったものも大きく影響することになります。同じ人でも、働く環境が変われば発揮する能力や成長度合いも大きく変化するでしょう。これは想像に難くありません。

あるいは、最初に紹介された指導担当者の人が何か言わない限り、勝手に自分で作業を覚えたり、練習したりしてはいけないのだ、とか変に思い込んでいるかもしれません。

こういった、おかしな誤解や行き違いはしばしば発生するものです。そういった点で認識のずれがないか、きちんと確認し、一つひとつ確実に習得するほうが効果が高いと思われます。

「だんだんできるようになるだろう」

という考え方は、ある意味で指導側の逃げ口上、問題の先延ばしに過ぎないとさえ言えるでしょう。しかし、今とにかくお店を回さなければならない、人員不足を早急に何とかしなければならない・・・といった都合ばかり先に考えていると、結果的にそういう話になりがちです。
必ず「満点評価」する
特定の業務を習得する場合、指導が終了したら、ある一定の評価を与えることが必要になると思いますが、前の話からすれば、そこで与える評価は、

「必ず満点である」

のが望ましい、ということになります。つまり、これはある意味で、前に述べたように一種の通過儀礼としての評価、という側面もあるわけですが、だからと言って、まったく形式的に「OK」を出せばよいということではもちろんありません。満点としても遜色ない程度に、達成基準を満たした動作が現実にできていなければならないのです。

評価というのは、いったん与えてしまうと既成事実を作ることにもなります。いったん通してしまったものは後から取り消せないわけです。

もちろん、いったん満点の評価を出したからといって、万事OKという意味ではありません。それは、今とりあえず「できるようになった」というだけであって、その後も実践での練習や確認が必要ですし、そのためのOJTは続いていきます。

しかし、それでも今「習得」した時点で認められた、という事実は必要なわけです。できてる、とも、できてない、とも言われないままどんどんOJTが進んでいくのは、習っているほうが疲れます。そうかと言って

「これ、まだぜんぜんダメ・・・だけど、時間がないから次にいく」

などと、問題があるのにそのまま進めたら問題だらけになります。

ひとつの指導項目が終わったら、必ず満点をつける。満点をあげられないのであれば、絶対次に進まない・・・という姿勢を習慣にすると、スタッフさんの後々の成長にも大変よい影響を及ぼすと思います。
「わかる」と「できる」
中級者と言えるようなスタッフさんへの指導の話に移ります。もちろん、初級者と同じようなポイントも引き続き配慮することになるとは思いますが、ここでは、特にこの段階で初級者とは一線を画して、メリハリを付けたほうがよいと思う部分について考えたいと思います。

ところで、スタッフさんは、どういう過程で仕事というものを理解してゆくのでしょうか。一般に、人が何かの作業内容などを「分かった」という時には、「言語的な理解」と「非言語的な理解」の2つの意味があると思います。言語的というのは、

「これは、これこれこういう作業である。やり方は、まずこうして、次にこうして、結局、こうなるようにするのである・・・」

ということを聞いたり読んだりして、意味的に理解できる、ということです。

これに対して、非言語的な理解というのは、一般に手続き記憶とか自動的処理と呼ばれるようなタイプのもので、

○ 動作として実際にできる
○ 何度も同じように繰り返しできる
○ 多少異なる状況でも同じ結果になるように制御できる

そして、

○ いちいち考えなくてもごく自然にできる

といったことがポイントで、「分かる」というより「身に付ける」と言ったほうが近いかもしれません。よく言う、

「体で覚える」

ということです。お店では作業の習得、特にOJTと言えば、ごくふつうに、こちらが重視されるだろうと思います。

しばしば言ってきたように、初期指導では、意識を変えることよりも、動作を習得、修正することのほうが先です。つまり、初級者の場合は「体で覚える」という面を優先して習得させたほうがいいと思うわけですが、ここで、中級者になった場合には、同時に「わかる」という面を考え始める必要が出てきます。実際には、「意味的、言語的理解」と「手続き的、非言語的理解」は車の両輪なのです。
意識に触れるとき
実は、誰でも最初、人が言うことを聞いたり、マニュアルを読んだりした上で作業を覚えてきたのですから、すでに

意味的にわかる → 動作としてできる

という流れが発生しているはずです。しかし、もちろんふつうスタッフさんは、別に「言語的理解」「非言語的理解」の両方が必要だ、などということ自体を考えていませんから、言葉による説明は、実際の動きを会得してしまえば不要になる、というように思っています(というか、それ自体別に意識していませんが)。だから、いったんできるようになってしまえば、

○ どういう説明を受けて、理解に至ったのか
○ その説明内容を再現できるか

といったことなど気にしません。

しかし、今度は、たとえば今の段階で「できる」ようになった作業について、あらためて「わかる」ようにしてあげる必要があります。つまり、非言語的理解に偏っているものを、もう一度言語化するという、逆の流れが必要なのです。

これによって初めて

○ 作業の内容を口頭で再現できる
○ 作業の目的や手順の意味を理解できる
○ 作業内容を他の人に説明できる

といったことも可能になってきます。たとえば、中級者が、今入ってきたばかりの新人スタッフさんに対してある作業のOJTを行うという場合、その中級者自身は、OJTによって教えようとする作業を、その時点でもう一度言語化しなければなりません。これは、慣れていないと案外難しいことです。

といっても、この行為は、特に他人に教えるために必要、というだけではありません。それよりも、あらためて言語化することで、自分のやっている作業の内容を再認識する、または、自分が選択した動作の意味や理由を意識するようになることが直接的なメリットなのです。これは端的に言って、

「スタッフさんの意識を変える」

ことに直結します。意識の向上とは、店長さんの方針とか、仕事について精神論みたいなことを一方的に聞かせるだけでは実現しません。むしろ、それらは単にそれだけを提示すると、言語的理解のみにとどまる可能性が高いのです。すると、意味的に理解した抽象的な情報と、実際に身に付けた動作などとの結びつきが不十分なまま、何となくわかっているような気になってしまいます。意識を変えたいのならば、

できる → わかる

という流れを想定して、行動や動作に直結した論理や意味付けを蓄積することを伴って初めて有効なのではないかと思います。
いかにして問題意識を持たせるか
「問題意識を持て」

としばしば言います。しかし、この言葉は往々にして一方的で強引な気がします。

たいてい、店長さんとか、いつも「問題意識が大切だ」と言っている本人でも、

「じゃあ、今、私にとって問題ってたとえば何ですか?」

と聞かれたら案外答えに窮するのではないでしょうか。これでは、自分ができないことを他人に要求しているような格好になります。

私は、スタッフさんに問題意識を持たせるには、まず、

具体的な問題自体を繰り返し提示する

ことが必要なのではないかと思います。実際やろうとすると、これを本人の現状に合わせて明確に示すことは、業務に精通している人であってもけっこう難しいことです。と言うか、精通しているがゆえに余計難しいといえるかも知れません。

店長さんは、もちろん自分の立場における問題意識は常に持っているかと思います。しかし、自分は問題意識を持っている、と思うなら、今度は、相手の立場から見た具体的な問題を示して、それをどういうふうに明確な課題として設定し、どう解決するか・・・といった流れそのものを、見せて、教えてやらなければならないのです。

それによって、スタッフさんはだんだん、

問題の発見 → 設定 → 分析 → 解決行動

という流れが「存在すること」に気がつき、その流れを体感できるようになります。

ところが、何が難しいかと言って、何となく自分ではできていると思っていますが、その行為が自動的処理に近くなっているので、その事柄をあらためて言語化するのが難しいわけです。

と考えると、スタッフさんに問題意識を持たせるためには、まず店長さん自身が

「問題意識を持つにはどうしたらいいか」

という事柄について

できる → わかる

という流れを先に知っておく必要があります。そして、それを言語的にも、非言語的にも、両方によって示すことができるようにしておかなければならないわけです。
方略の言語化
昨日言ったのと同じことですが、問題意識を持て、と言っている店長さんなどは、たとえば

問題の発見 → 設定 → 分析 → 解決行動

というような流れがあることをたいてい「非言語的に」理解しています。だから、

「自然にできるようになるもの」
「意識、意欲さえあれば誰でもできるもの」

と考え、ともすると

「それそのものを言葉で説明することはできない」
(または、言葉で言ってもしょうがない)


などと感じています。他にも、仕事にはいろんなレベルでコツのようなものがあります。そういったものを、言葉で説明する必要はない、また、説明したところで、その通りにできるものではない、と考えている人が少なくありません。

しかし、私が思うに、それはスタッフさんが特定の作業を

「自分で行うことはできるけど、人に教えることは難しい」

と言って、後輩スタッフさんの面倒を見ようとしない場合と同じことだと思うのです。

ある作業をどうやって習得したらいいか、または、ある課題をどんな手順で解決したらよいか、といった判断のことを一般に「方略」と呼びます。

中級者に対する指導で、初級者と決定的に異なるのは、この「方略」というものの存在を意識させ、常に方略を考えることに集中させること、そして、それを言語化することです。

たとえば、

「いかに、問題意識を持つか」

という課題にも、

「そのためには何を、どういうふうに、どういう順番で、どんな点に注意しながら、やったら良いか」

という方略が存在するわけです。方略というものは、それ自体を教え、蓄積させることができますし、自分で考えさせることもできますし、言語化することもできるはずなのです。

と考えると、決まった作業内容や手順だけを教えておいて、あとは

「やる気の問題」
「本人の意識の問題」

・・・こういった言い方は、逃げ口上に聞こえます。
マニュアル作成によるOJT
作業の習得状況、理解度を確認するために、また、たとえば新人さんの研修を担当させる前段階での訓練のひとつとして、

マニュアルの存在意義を教えて、実際に特定の作業のマニュアルを作成させるのは有効な方法のひとつだと思います。そこで作ったマニュアルを、本人が実際に指導を担当する際に利用してもよいですが、仮に利用しないとしても、マニュアルというのは「作る」という行為そのものに教育的な意味があります。

ですから、書式や形式にあまりこだわる必要はありません。ここでは「マニュアル」といっても、手書きの図や、箇条書きでも十分に効果はあります。

それよりも、こういったものを書くには、その対象となっている作業の手順や禁止動作そのものを知っている必要もありますが、それと同時に、作業内容を再言語化することが必要になりますし、知識を体制化する、つまりその全体像をひとつのまとまった体系として捉え直す必要が生じます。これ自体が勉強になるわけです。

そして、より有意義なマニュアルを作ろうと思えば、そこには作業手順や動作などに付随する、より抽象的、普遍的な方略が適切に含まれて表記されるべきだということに気が付くようになります。例えば、ごく日常的なルーチンワークを説明するためのものでも、それは

「お客様のことを考えながら」とか、
「漫然と行うのではなく、問題意識を持って」

とか、そういうことが一緒に示されたほうが効果が高いだろう、と理解するようになります。この意味で、実は、お店に存在するマニュアルというのは、今そのお店で最も典型的で、最良だと考えられる「方略」を書き連ねたものでもあるわけです。

考えてみると、初級者のうち、マニュアル通りに作業をこなすことは、つまり方略そのものはすでに与えられいる状態で作業を覚えてきたのです。しかし、実際には、お店では常にマニュアルに書いてない事柄も起こりますし、典型から外れた方略を選ぶ場合もありえます。中級者になって、考え方を切り替えなければならないのは、まさにこの点です。つまり、

方略というのは、与えられ続けるのが当たり前なのではなく、本来、自分で常に考えなければならないもの、また、考えてよいものだということです。

ところで、マニュアルと作るという行為と、人に作業を教えるという作業は共通点が多々あります。つまり、どちらも

○ 自分の動作を言語で表現する
○ 既有の知識を整理する
○ 方略を決定し、「手順」「項目」として示す
○ 各項目に付随するポイントを階層的に関連付ける

という行為なのです。指導やOJTとなると、ここに、さらに態度や表情、コミュニケーションといった問題も付加されてきますので、その分複雑な行為に見えますが、まず、上で述べたようなことを先にクリアしていれば、実際に誰かを指導する時には、教えることそのものに集中できますから、ずいぶん楽になります。

逆に、これを先に分かっておかないと、いくら熱心に、思いやりをもって指導しても、どうしても支離滅裂になりがちで、思ったような効果が得られません。
メモをカテゴライズする
ところで、新人さんでも、たいていOJTを受けるときには「メモ」を持っているでしょう。ただ、最初のうちは、おそらく、聞いたことをそのまま記録するためにメモしています。忘れないように、次に確認できるようにするためです。

多くの場合、スタッフさんは最初のうちは熱心にメモを取っているのですが、ある程度覚えて慣れてくると、いつの間にかメモすることをやめてしまいます。せっかく今まで記録したものも、覚えてしまうと見なくなり、たいてい紛失します。

今の話にこじつけて言えば、それは

「お店では、言語的理解を要求される場面はほとんどないんだ」

ということを悟って、メモに残す必要性を感じなくなるからです。

実は、中級者にこそメモを活用させるべきだと思うのです。

ところで、このときにひとつコツがあります。たいてい、ノートなどにメモしたものは、ごく自然に

教えられた順、覚えた順

になっていると思います。日付順、つまりそれは「時系列」です。これを、中級者の場合には

カテゴリーごとに分類する

ように指導します。さらに、今までメモしたものも含めて、カテゴリーを自分で考えさせます。今まで習ったこと、覚えた事柄をどのように分類するのが一番分かりやすく、意味があるのかを考えさせます。すると、たとえば

1 仕事の準備
2 レジの操作
3 レジ内の作業
4 それ以外の作業

といった作業の種類による分け方が考えられます。ただ、人によっては業務単位でなく

1 研修で習ったこと
2 店長に言われたこと
3 自分で気がついたこと
4 疑問に思うこと

といった分類を想定するかも知れません。他にもいくつか考えられ、人によって差があります。

これはいわば、自分のメモノートの目次みたいなものです。つまり、この方法であれば、自分の頭の中で自分の仕事を体制化し、常に整理して理解する習慣ができるわけです。

新しく知った作業や、その都度指摘された注意点なども、その目次に従って適切な場所に追記していきます。要求されるレベルが高くなると、カテゴライズそのものを修正する必要に気がつくかもしれません。それは、仕事の全体像をより広く、的確に捉え直す行為に他なりません。このように、メモというのは単に「忘れないため」に使う、というだけのものではなく、使い方によってはより効果を高めることができます。
中級者への集中
初期研修は、ある程度作業についての知識があれば可能ですから、割と形式も決めやすく、通常どこのお店でもしっかり行われています。問題はその後です。多くのお店では、中級者以降の研修というものは明確に想定していません。結果的に育ってきた人間に、特定の業務を与える時だけ指導が入る、といった感じです。

中級者となると、まず指導する内容そのものがあいまいになってきます。単なる作業項目ではなく、先に述べた方略とか、意識といった面も含まれてくるからです。

しかし、私が思うに、お店にとって、むしろ重要なのは中級者教育です。ですから、まずは、中級者をほったらかしにしない雰囲気を作ってください。

ごくふつうに、まんべんなく指導しようとすると、たいていおろそかになりますから、むしろお店が全体として、中級者教育を意識的に優先して行おうという気持ちがないといけません。

おそらく、意識的に中級者教育を始めようとすると、店長さんでさえ、確固とした指導方針や、その方法論を持ち合わせていない場合が少なくありません。また、この辺りになると、指導力の問題も多少出てきます。誰がやってもあまり変わらない、とは言えなくなってきます。

この場合、むしろ店長さんは、初級者教育に割く労力を圧縮する必要が生じます。そうでないと、中級者に目を向ける余裕が生まれないからです。

同時に、別の担当者に初級者教育を任せてみることで、他人が指導という業務をどう考え、どう実行しているかを見ることができます。ハタで見ているといろいろ指摘したくなってくると思いますが、まずは、自分自身が学ぶつもりでじっくりと指導者の姿を観察すること自体が勉強になります。ですから、最初のうちは、指導している人にあまりくどくど言わないで、自分が学ぶつもりで黙って見ておくことも必要かと思います。

言い方は悪いですが、仮に指導に多少不服があっても、相手は新人さんです。まあお店にとって、ダメージは最小なのです。お店全体の指導力、そして、何より店長さん自身の指導力を向上するメリットのほうが大きいと考えて、初級者指導はできるだけ思い切って他のスタッフさんに任せてみることです。

一見遠回りとも感じるでしょうが、こういう努力を避けて、すぐに自分の経験に依存したお説教ばかりしたり、または、すでに慣れている「新人さん教育」ばかり自ら繰り返して悦に入っていたり・・・店長さんがそういう態度だと、いつまでたってもスタッフさんは初級程度のレベルから引き上げられることがなく、

「いい人が来ない、いい人が来ない」

と嘆く状況が続きます。まあ、昨今、いい人が来ないのはある意味で事実なのですが、これでは、仮にいい人が来たとしても、お店は変わりません。
上級者の確保
さて、となると、最後に上級者の扱いが問題になりますが、まず、そもそもお店では、

店長がいて、マネージャーや副店長もいて、あと、どうして上級者が必要なの?

という気持ちがあるかもしれません。また、上級、と言っても

○ 発注とか、精算業務ができるスタッフさん
○ 新人さんの面倒を見られるスタッフさん

などが数人いれば十分じゃないか、と思えるかもしれませんが、私はそれだけでは少し足りない気がします。

私がイメージしている「上級者」というのは、端的に言って、お店が提供しようとする業務の規準を自ら満たすことができるような人を指します。たとえば、発注業務を上手にできるようになったって、それは上級者というのと少し違うように思うのです。

もう少し単純に言うと、上級者というのは、お店で、店長さんが突発的に不在になった場合でも、店長自らが管理しているのとほとんど変わらない状態を維持できるようなスタッフさん、というのが近い表現かもしれません。ですからそれは、少なくとも、たとえば

「何かあったら自分で判断できずにすぐ店長さんに電話をかけてくる」

ようなスタッフさんではない、ということになります。また、逆に言って、

「対処すべき問題に気がつかないで、対応もせず、報告もしない」

ようなスタッフさんでもないです。

○ 必要な業務を一通りこなせる
○ 他のスタッフさんに指示、指導ができる
○ 突発的な状況にも対応できる

といった点はもちろん含まれますが、それだけではダメで、その判断や対応の方法が、店長さんがやった場合と比べても遜色ない、というレベルでないといけません。

こう言うと、

「そんな人材、いるわけないじゃん・・・」

と思うかもしれません。そうです。実際あまりいません。

しかし、先に述べたように中級者教育を中心に考えて、継続的に指導をしていれば、そのうちの何人かのスタッフさんが上級者になってくれる可能性も生まれてくるわけです。

逆に言って、上級者に至る道を想定しておくことが、中級者や初級者の指導効果にも影響してくるでしょう。まず想定していないから実現しないのではないでしょうか。
肩書きを作る
たとえば、上級者を表すような「肩書き」を考えて、少なくともお店での制度として発表してみる、というのはどうでしょうか。今の時点で、仮に該当者がいないとしても、それを既成事実として知らしめておくだけで、その条件に当てはまる人材が入ってくるかもしれないし、育ってくる可能性も出てきます。

私のお店の場合ですが、「トレーナー」「アシスタント」といったものと同時に、それより上位の地位を表す肩書きとして「オペレーションマネージャー」という名称を用いて、肩書きにも一応の「上下関係」を作っています。入ったばかりのスタッフさんから見たら、オペレーションマネージャーさんは、かなり偉い立場の人なんだ、という見せ方をします。

その代わり、私のお店の場合だと、通常コンビニだと必ず存在する、いわゆる「マネージャーさん」がいません。(いません、と言っても、FC加盟契約上は必要ですから名義人は存在していますが、内部的にその名称を使ってない、ということです・・・)

これは一例ですが、このように、まず枠組みを決めて、たとえ勤務時間が限定されたアルバイトスタッフさんでも、一定の条件を満たせばかなり上の立場になれる、という仕組みを作るわけです。

他店の例でも、たとえば、「アルバイトリーダー」とか、「時間帯リーダー」などの名称を用いているところが多くあります。これらは必ずしも上級者と位置付けられているかどうか分かりませんが、アルバイトさんの中でも一定の権限と地位を与えている例はたくさんあります。

今いるスタッフさんの中でも、そういう肩書きを公に示すことで

「どうしたら、それになれるんだろう・・・」
「どうせ働いてるんだったら、挑戦してみようかな」

と考える人が出てくるかもしれません。そういうタイプの人が現れれば、それだけでお店にとってプラスです。

まだ店長さんから見たらぜんぜん、そんなレベルじゃないと思うかもしれませんが、とりあえず肩書きを与えてしまうのも一策だと思います。前に言ったように、それなりの期待をかけると、それなりに行動しようとする傾向があります。実質的にはまだまだサポートが必要だとしても、お店全体としていったんその構図を作ってしまえば、時間とともに実が伴ってくるということもあります。

また、今現在当てはまる人が皆無だとしても、これらの枠組みを考える過程で、

「実際、スタッフさんにどんな役割を期待するのか」
「どういう指導を行うべきなのか」

といったことがだんだんはっきりしてくる、という意味もあると思います。
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