店長力 > 2006年12月
いらっしゃいませ(^^)
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評価者の分離
評価という面で言うと、どうしても、

「指導される側にとって、厳しい」

と思われるような内容が出てきます。

もちろん、指導する側にとっても、早く新人さんが仕事を覚えて、お店の仲間として活躍してほしい、と願う気持ちがあるのは当然です。ただ、特に仮採用期間中の研修などでは、

○ 業務をスムーズに習得させる、という面と、
○ 想定通り習得できそうもない人員は、切る

という側面が同時に行われることになります。つまり、指導と評価は表裏一体なわけです。

評価する、という行為は時にある種の冷淡さが必要になります。少なからず、一方的、強制的に行う場合もありえます。しかし、指導そのものは、できれば、明るく、好意的に、そして、前向きに進めたいものです。

この意味で、実は、

評価者と指導担当者が分離していること

が機能的といえます。そのためには、店長さんとか、一部の人だけでなく、新人さんへの初期研修を担当できるスタッフさんが多くほしいわけです。
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新人さんの味方を作ってあげる
評価者としては、情や願望を持ち込むことは避けたいところですが、指導担当者はむしろ

新人さんの味方

として存在したほうが、指導そのものはスムーズに進みます。指導担当者は、

「何とか、早く仕事を覚えてもらおう」
「この人といっしょに働けるように、頑張ろう」

という気構えで指導するほうがいいわけです。こういう気持ちは、指導されているほうにも伝わるものです。新人さんからすると、こういう姿勢で指導してくれるなら

「いい先輩だなあ、しっかり教えてもらおう」
「この人といっしょに働きたいなあ」

と思う確率が高いです。

しかし、仮に指導担当と評価者が同じ人である場合、お互いに態度や受け答えが建前になりやすく、言動も差し障りなく表面的になりがちです。たとえば誰でも、店長さんには言えないけど、先輩スタッフさんになら気軽に聞けることは絶対あるし、同じことを言うにも緊張感も違うわけです。

だから、理想を言えば、指導担当者が別にいて、店長さんは、その「指導」を後ろから黙って見ていればいいわけです。そのほうが、評価もしやすいし、指導担当者の指導方法そのもののチェックもしやすいです。
管理者の目線
同時に、この状態であればこそ、指導担当者に対して、管理者としての指示や指導も与えやすくなります。店長さんは、

○ 今指導を受けている新人さんを指導する

のではなく、どちらかと言うと、

○ 今指導を行っている担当者、を指導する

ことに専念するほうが有効です。私は、お店にいるスタッフさんに、なるべく指導という業務に参加してもらうことが望ましいと考えていますが、それは単に、店長さんなどの負担を今減らす、ということを期待しているわけではありません。店長さんなどが、新人さんへの指導を単に他のスタッフさんに任せきっておいたのでは、スタッフさんの指導力の向上など期待できません。ということは、新人さんも育ちません。

よく言われる話ですが、魚を釣って与えるより、魚の釣り方を教えてあげるべきだ、というたとえ話があります。そうすると、今度からみんなが魚を釣れるようになるわけですね。

たとえば、新人さんが入ってくるたびに、専ら店長さんなどが研修を施している状態というのは、魚を与えている状態に近いものがあると思います。それより、

「指導する」という行為自体を指導する

ほうが、人的環境の向上には有利です。

また、指導担当者自身も、ある場合には雇用契約を解消する可能性もある、しかも、それは半分自分の責任でもある、という状況下でOJTを行います。その際、同時に自分が評価権限を持っていれば、自分自身に都合がいいような評価に傾くのは自然でしょう。

評価者が自分でない場合、指導担当者はある意味で新人さんと一蓮托生、とにかく全力で、いい評価が出るように指導を尽くすことに集中できるわけです。

これは、店長さんなど管理者自身が指導を行う場合でも同じことです。結果的にOJTがうまく進めば

「いいスタッフさん」

うまくいかなければ

「やる気がない」
「向いてない」

と言うことで済ませてしまいがちになりますが、これは非常に転嫁的な言い方ですし、心理的なバイアスが含まれやすくなります。それは判断や指導力そのものにも影響してくるわけです。
権威的指導スタイルとは
指導する側と、される側の関係をどう理解するか、といった意味で「指導スタイル」というものを想定してみたいと思います。まず、「権威的指導スタイル」というのを考えて見ましょう。

権威的、というのは、単純に言うと

○ 教える側の考えを絶対視する

というような意味と考えてください。ただし、これは別に、「厳しい口調で言う」とか「スパルタ教育」みたいな意味ではありません。前で述べたように、指導者は

心強い味方

であることが一番です。口調や態度のことではありません。ここでは、

○ 教える内容を教える側が一方的に決める
○ 教えられている側の意見とか考えといったものを原則取り入れない
○ 評価も一方的に行う

といった意味で「権威的」と言っています。つまり、簡単に言うと

「言われたとおりにやれ」

ってことですね。しかし、こう表現すると、これだけでも

「えー、そんなのイヤだ」

と思う人もいるかもしれませんね。そのほうが普通の感覚かもしれません。しかし、よく考えると、これはこれで利点があるのです。

ここで、「権威的スタイル」の有利な点は、第一に、主に内容的なものだけを問題にすることができるので、

誰が教えても結果が見えやすく、効果もあまり変わらない

という点です。原則的には、教えられる側の事情や、興味の持ち方とか心理的な状態などを考慮する必要があまりないわけです。だから、初期のスタッフさんに対して権威的指導スタイルを選ぶことは、単に効率的であるという面もありますが、それ以上に、第二点として

担当可能なスタッフさんが多くなる

というメリットもあるわけですね。権威的指導スタイルをとる限りにおいては特に、「指導力」なるもの問題視する必要がないわけです。あえて言えば、必要なのは、今教えようとする作業に関する一定の知識と、後はごくふつうの意味での説明能力だけです。変に

「指導って、いろいろ気を使うし、大変だー」

と思うからいけません。
初期は権威的スタイルで問題ない
指導と言うとき、また、OJTといった場合にも、単に作業そのものを習得させるという以外にいろいろな「含意」があることは事実ですが、私の考えではそういった点への配慮が必要になるのは、もっと後です。

ごく新人さんの初期研修とか、働き始めて間もない人への作業の「習得」を主に目的とするOJTの場合、指導の仕方、コミュニケーションのとり方といったものに過剰な不安を抱くことはあまり必要ありません。ごくふつうに、ごく自然に教えればいいのです。

もちろん、配慮しないよりはしたほうがいいとは思いますが、そういった配慮の不安があるからといって、他人へのOJTを避けてばかりいれば、既存の各スタッフさんは余計に指導経験の機会を失います。

また、もし新人さんの指導係を決めたとしても、もちろんOJTそのものはその人が中心になって進めるとしても、だからといって、その新人さんへの配慮、コミュニケーションといったもの、況や、それ以後の育ち方とか、働き具合など、すべてに責任があるわけでもありません。むしろ、そういう取り越し苦労をするから指導を任せられなくなるのです。

直接業務を習得させる役割はあるとしても、それ以外の部分は「一人の担当者の責任」でもないし、逆に

「ひとりで全部面倒見なければいけない」

などと考えると新人さんにもむしろ悪い影響を与えるかもしれません。自分がすべきOJTの内容、またその役割を過大に感じる必要などないのです。
変な気を使わなくていい
スタッフさん一人ひとりが、そうやって、十分に可能な部分からOJTというものを経験していけばいいのです。すると、結果的には、「指導」に含まれる他のさまざまな面も見えてくるようになるはずです。

「どうしたら、もっと有効な教え方ができるんだろう」
「どうしたら、新人さんに気分よく働いてもらえるんだろう」

といった点は、それからまた考えても遅くありません。

むしろ、ごく初期だからこそ、新人さんは

「迷わせること」
「疑問を残すこと」
「不十分な説明で中途半端になること」

これらは即、不安につながります。だから、明確さが必要であり、聞けばはっきり答えてくれる、という雰囲気が望ましいのです。それには、まだその業務を習得したばかりのスタッフさんのほうが、かえってOJTに向いているとさえ言えます。

ベテランのスタッフさんほどしばしばやってしまうと思いますが、

「でも、こういう場合もあるよ」
「本当は、こうやったほうがいいんだけど、まあ、最初だから」

といったことを追加したくなるでしょう。しかし、こういう話は、特定の作業を習得する上で、今の段階で先に示しても何ら効果のない情報です。余計な情報は必要ありませんし、こういう言い方はよくありません。例外が存在することは、後になれば自然に分かりますし、少なくとも今は関係ないことです。また、

「君はどう思う?」

みたいな質問ははっきり言って困るのです。変に気を使わなくていいのです。

むしろ、最初のうちは、ある程度やり方はピシッと決まっていて、その通りにやれば誰でも難なく業務が遂行できますよ、というイメージが大切になります。その場合、権威的指導スタイルが有利な面があるわけです。
指導している側を責めない
新人さんで、こちらの説明しようとすることに集中せず、あれこれ思いつきで質問してくるタイプの人って、たまにいませんか?

下手に、相手の気持ちを尊重して、まずコミュニケーションをとって・・・とか思って気を使っていると、かえって、それと知らず「今必要ない質問」をさせてしまうことがあります。まだ指導というものに慣れていないスタッフさんに新人研修を任せるような場合、相手のそういった質問にうまく答えようとして迷ってしまい、

「わー、私にはまだ、研修なんて無理だー」

と苦手意識を持ってしまうことがあります。そうやって相手に気を使っているうちに相手のペースに巻き込まれて、あらぬ方向へ話がそれ、最悪の場合議論になってしまい、仕方なく店長さんが仲裁に入ったり、

「私はもう、面倒見切れません!」

などと悲鳴を上げる指導係をみんなでなだめたり・・・ということもありますね。

こういった場合、ともすると指導する側が

○ 相手に対する配慮が足りなかった
○ 質問にきちんと答えられなかった

つまり「指導力が足りなかった」という話に向きがちですが、私が思うに、その手の問題点を取り上げて指導している側を責めるのは必ずしも効果的ではないです。

実は、それ以前に、教えられている側に的外れな疑問を抱かせること、また、そういう質問をさせる余地を与えてしまうこと自体が問題なのです。だから、たとえば、指導する側のスタッフさんには、

「権威的スタイルでよい」

ということをあらかじめ伝えておけば、かえって問題は起こりにくくなります。
指導しにくいタイプ
まれに、権威的スタイルで指導すると異常に反発する新人さんがいるかもしれません。かたくなに自分の意見を通そうとする、教え方が悪いといって不満を露にする・・・こういうタイプの新人さんに当たることもあるでしょう。

前職で同業種の経験がある人なども、指導を受け入れにくい面があるでしょう。すると、また「指導力が云々」という話になりがちです。

もちろん、ある程度、すでに指導という業務に熟達している人なら、そういうタイプの人でもうまく配慮して指導することも可能かもしれませんが、最初からそれを求めるのは無理があります。

しかし、実はそれはそれでいいのだと私は思います。というのは、それは

「早い段階で新人さんの傾向が露呈する」

ことになるからです。そのほうが判断しやすいからです。判断というのは、指導スタイルを変更する、担当者を変える、といったことだけではなく、期待する業務内容や役割そのものを変更する場合、または、研修を中断して雇用を取り消す、ということも含みます。

ごく単純に考えて、

うま~く指導すると、きちんと仕事できるようになる人

は、逆に言うと、

常にうま~く指導し続けないと、仕事に支障が出る人

とも言えます。前に言ったとおり「本来雇うべきでなかった人を、はじく」というのは、冷たいようですが、お店を運営する上で必要なことだと思います。事実上、お店の側で雇用について判断できるのは仮採用期間までなのです。そこを通過してしまえば、事実上、本人が望む限り雇用は継続する、と考えたほうが妥当です。

また、働く人の立場で考えても、問題を抱えたまま時間が経過するのはマイナスです。長く勤務した挙句にトラブルが発生して、辞めざるを得なくなる・・・とすれば、禍根を残しますし、本人もかなり感情的になります。試用期間中にきっぱり判断されるほうが、その時点では不満でも、お互いのためという気がします。
権威的といっても
権威的スタイルだからといって、本当を言えば、お店としても別に唯一のやり方を押し付けたりしたいわけではありません。それは、ふつう教えられている立場の人も理解できるはずです。後になったら例外的な場面も当然出てくるし、教えられてない状況にも遭遇することになります。

が、人によっては、一度強い口調で言われたり、断定的に説明されたりすると、典型的な手順をいつまでも守らなければならない、例外的な場面では常に上司の判断を仰がなければならない、とか、おかしな思い込みをずっと持ち続けてしまうことがあります。

当然と言えば当然ですが、権威的、というのは、今OJTを行う限りにおいては権威的ですが、その作業の習得が終われば、もちろん、意見も聞きますし、本人なりに工夫してもいいのです。権威的な指導スタイルでOJTを受けたからと言って、それは、「命令」ではないのです。あくまで指導です。

たとえば、営業職などの一般的なOJTのスタイルに、「同行観察」といったものがあるでしょう。上司などが実際に営業や顧客訪問している場面にくっ付いて回って見学させるものです。

このときに、見学している本人が

「常に、絶対その通りにやらないといけない」

ものとして理解しているとしたら、それは感覚がおかしいでしょう。そばで見ていて、個別的に上司が

「ああ言った、こう言った」
「これをやって、次にはこうした」

からといって、すべての場合にまったく同じ手順、方法をとるとは限らない。それを、

「言われたとおりにやってます・・・でも契約取れません」

で済むわけがないでしょう。ところが、お店の仕事ではなぜかそういう理屈がまかり通ってしまう場合が少なくありません。

「言われたとおりにやっています。何がいけないんですか?」

と平気で言い出します。

指導している側からすれば、実践を見せつつ、いいところ、悪いところを自分なりに消化して、早く自分で考えてできるようになってほしいと思っていることでしょう。ただし、初めから全部自分で考えてやれ、というのも非効率なわけです。だからこそ、わざわざ見学させるわけです。そもそもOJTは、ルールでも命令でもありません。
3つの指導スタイル
先に述べた「権威的指導スタイル」というのは、原則的には、いわば指導する側が一方向的に習得すべき内容を提示し、指導される側はそれをそのまま受け入れる、というようなやり方でした。

すると、それ以外に考えられるのは、まず「共有的指導スタイル」でしょう。共有的というのは、指導される側の考えや、問題意識なども取り入れながら、また、その意味や目的についても双方向的に話し合い、意見を出し合いながら業務を習得させてゆくような方法と言えるでしょう。全体の内容などについてはある程度規定されているとしても、教えられる側の立場としては、まずこのスタイルは気分がいいですね。

それと、もうひとつ考えられるスタイルがあって、それは「放任的指導スタイル」と呼ぶことができるでしょう。もちろん文字通り「ほったらかし」という意味ではありません。つまり、ここでは放任といっても、自然の成り行きで「ほったらかし」になるとかいうのではなく、いわば

指導されている側が、「ほったらかされている」と感じるように仕向ける

という指導方法があり得るわけです。これはむしろ、ある程度の計算が伴っていなければできないことでしょう。教えるともなく教える、という感じですね。

つまり、指導スタイルは大きく分けると

「権威的」「放任的」「共有的」

の3つがあります。
指導スタイルの使い分け
そこで、しばしば行われる議論は、これらのスタイルのうち、どれが最も有効か、といった話です。すると、当たり前ですがたいてい、放任的スタイルはダメ、権威的スタイルはモチベーションが下がる、だから結局、共有的指導スタイルが最もよい、というような話になりがちです。

ただ、本当はこれではあまり効果的とはいえません。

実は、最もよいのは、これらを適時使い分けることです。適時、というと捉えどころがないように思うかもしれません。たとえば、

「相手の性格や興味に合わせて」とか、
「教えられる側の立場や心理を踏まえて」

とか考え出すとけっこう難しいように思えてきます。しかし、最初はごく単純に考えてよいと思います。

つまりこれは、状況の問題ではなく、ある意味で単に順番の問題です。たとえば、一般的なスタッフさんが辿る心理の推移とか、お店で働いている間の成長段階といったものを考えてみれば、その各々の時点において、どういう指導スタイルが適当なのか、というように想定することはそれほど難しくないでしょう。

権威的指導スタイルにもそれなりのメリットがありますが、それが最も効果的な「段階」というのが想定できるわけです。前の話で言えば、たとえば、

ごく初期段階においては権威的スタイルが有効

というように想定できるわけです。
ほったらかしと放任的指導スタイル
あまり体系だった指導とか、手取り足取り面倒を見るとか、そういった処置をあえて施さずにおくような指導方法は「放任的指導スタイル」と言ってよいと思います。

もちろん、常にこれだけでは日々いろいろな場面で支障が出ることは想像に難くありません。仮にお店で行われる指導、育成が全般にわたって「放任的スタイル」である、ともし言うとすれば、それは事実上、

「このお店では指導らしい指導が受けられない」

と言っているのと同じです。しかし、

「では何から何まで手取り足取り教えるのがよいか?」

というと、そうとも思えないですね。日頃、人の面で苦労されている店長さんなどは同感してもらえるのではないでしょうか。つまり、たとえば、よく聞かれる話ですが

「指示しないと動かない」
「問題意識がない」
「自分の考えを持たない」


こういった点で不満を感じるとき、これを口でいくら説明したところで、なかなか行動を変えてはくれません。強く命令すれば表面的には従いますが、意欲は引き出せません。そうかと言って、分け隔てなく、やさしく接しようとするとわがままを言い出すスタッフが出てくる、とか。どうアプローチしていいか悩みます。

となると、すぐに

「やる気がないんだから仕方ない」
「本人が自覚しない限り、修正しようがない」

という話になりがちです。
放任的指導スタイルの効用
が、もちろん、ここで本当にほったらかしておいてはいけないのです。こういうとき、単にほうっておくのではなく、意識的に放任的指導スタイルを取ると有効な場合があります。

たとえば、本人に課題や問題だけを与えて、答えを示さずに考えさせたり、場合によっては課題そのものを自分で考えさせたり、といった手法が典型的です。

とっかかりだけ作って、後は相手に任せるのです。任せると言っても、

「後はお前次第だ。知らん」

というニュアンスだと、必ずしもうまくいきませんが。場合によりますが、たとえば

「後は、君ならできるんじゃないかな」
「君の力をぜひ貸してほしいんだ」

という雰囲気で投げかければ、期待にこたえてくれるかもしれません。もちろん、相手からリアクションが引き出せるようなストロークが必要です。ほったらかすのは簡単ですが、放任的指導スタイルは、むしろ比較的難しい方法と言えるかもしれません。いずれにしろ、

OJT=放任的指導スタイル

というのはダメですが、ある段階において

放任的指導スタイルを採るべきときもある

わけです。
目標管理
最近よく、成果主義を導入、という話を聞きますね。会社や部署ごとにノルマを設定して、その達成率を評価するような手法です。さらには、個人、個人に対して、自分で目標なり予算なりを申告させる場合もあります。こういうのを目標管理方式、とか言います。

自分で決めた目標だから、モチベーションも上がり、評価に対する不満も少ないだろう、というわけですが、実際にはなかなか有効に機能しない場合があります。その原因はいろいろ考えられますが、ここでの話に即して言えば、目標設定や成果主義はいいとして、じゃあ、その達成のために、会社なり上司なりが、

どういう指導を与えてくれるのか

という点がよく見えないままだと、うまくいきません。指導自体を放棄している職場は論外ですが、たいてい、いくら成果主義と入っても現場の上司は、

「何かあったらいつでも相談に来い」
「自分から、指導を仰ぎに来るくらいの姿勢がほしい」

などと思っているはずです。しかし、それが部下に伝わっていないことが多いのです。または、気持ちは分かるけど、当てにされてない・・・

成果主義とか、目標管理と言うと、たいてい同時に「自己責任」という言葉がついて回るように思います。すると、極端に言うと、他人に教えてもらったり、分からないことを聞いたりするのは「ルール違反」であるかのようなイメージを持ってしまう人もいます。

でも、そんなことはないのです。目標管理下にある人は、つまり放任的指導スタイル下にある、と考えてもよいわけで、

○ 質問してはいけない、のではなく
○ 質問でも何でも、自分からアクションしなければならない


というだけの話なのです。評価制度を変えたり、自己責任に付いて話したりする場合には、上司のほうも、部下のほうも、その意味を履き違えないよう、お互いの認識を確かめた上で導入すべきだと思います。
フォローと委譲
やり方はいちいち教えずに、指導しようとする相手を自分の業務の範囲に取り込んでゆく、または、自分の業務を途中で引き継がせてフォローさせる、という方法もあります。

そうすると、上司の仕事の一部を与え、結果を報告させ、その結果について自分で考えさせることができます。たとえば、もし上司が自らやった場合どうなったか、では、いったいどこがどう違うのかといった比較をさせることもできます。

また、当人が行った作業が、こちらの遂行している業務全体にどういう影響を与えるのか、与えてしまったのか、を示すことで本人の気がつかない点、範囲に視野を向けさせることもできます。

一歩進んで、ある限定された範囲の業務を本当に一任してしまう方法もあります。一定のゴールだけを示しておいて、やり方については本人に任せます。そして、質問なり相談なりがあればいつでもしなさい、しかし、自分で何かアクションしない限り相手にしない、といった雰囲気を作ることによって行動を促します。

このような意味での指導は、「放任」とはいっても立派な指導であり、ほったらかしているのとはぜんぜん違うでしょう。

表面的に「これは指導だよ」ということを明示しないとしても、これら、業務フォローや業務の委譲は、やり方によってはまさに指導になるわけです。

お店のスタッフさんに、

「もっと自分の考えを出してほしい」
「自立的に仕事を進めてほしい」

と願う店長さんは多くいます。その一方で、細かいところまでいちいち指示通りにでないと気に食わない、と考えて、業務を任せきれないのです。そういう方は、放任的指導スタイルを意識的に取り入れてみたらどうでしょう。
部下の自立のために
ただし、最初から放任していては無理なのです。

放任的指導スタイルをとることで「自立型」のスタッフを作る・・・とは言っても、まず、権限・判断・責任範囲が明確であればこそ自立型になれます。それが枠として認識できないと自立型になりようがありません。たとえば、全部丸投げして全部こなせるのだったら、そもそも指導なんていらないのです。

次に、先に「持ち駒」を与えてあげること。それが先決で、本人は自分に与えられている材料を使ってしか自立的に考えられないのです。

「もう、これは完全に自分でできる」

という作業なり、特定の業務なりを作ってあげないといけないのです。そういう持ち駒をもって初めて、スタッフさんは自分の手駒で何ができるのか、何を考えられるのか、といったことを、まさに「学び始める」わけです。

こういった段階に至るためには、原則としては、むしろ権威的、あるいは、共有的スタイルでの指導が先に一定量必要となるわけで、その前提的な条件をクリアすること自体を「放任的指導スタイル」で行おうとするところに無理があるわけです。

もちろん、採用されてからある程度の期間のうちに、根本的な信頼関係やコミュニケーションが保証されているという認識を持たせる必要もあります。また、放任的指導スタイルを採る場合には、むしろ相手についての豊富な情報を得ておく必要もありますし、タイミングなども考えなければなりません。

その上でないと、本当に、単に

「ほったらかしにされている」

としか認識できませんので、指導も何も受け入れてはくれません。本当にほったらかしにしていると、自立的どころかまったく逆の傾向が現れます。つまり

○ 自分で考えなくなる
○ 指示しないと動かないようになる
○ 余計なことはしなくなる

というふうになります。ほったらかし、と、放任的指導スタイル、とは、似ているどころか正反対の効果が生じます。
何でも「共有」では済まない
さて、最後に残った「共有的スタイル」についてです。これは私の経験からくる考えかもしれませんが、共有的指導スタイルは、原則として、すでにある程度実務を覚えた、一人前に近いスタッフさんの場合こそ有効だということになります。

ところが、一般にありがちな考えはこうです。分け隔てなく、いつも全スタッフさんの意見を尊重して、みんなで考えて、みんなでお店を作る、というようなイメージ。したがって、指導内容も力の入れ具合も均等にしようとする・・・しかし、私はこのように、常に誰に対しても同じような指導スタイルを取る、という考えには必ずしも賛成しません。

確かに、小さなお店で、スタッフさんの数もそれほど多くないなら、全員同じように共有的指導スタイルを採ることも可能かもしれません。しかし、その場合であっても、まず共有的指導スタイルを採るには、共有に見合うだけの共通認識があったほうがやりやすいでしょう。たとえば、まったく無の状態からいきなり方針とか、考え方について共有しようとしても難しいです。向こうもこちらも、まず情報量が必要です。

店長さんが言っていることの意味も、前提的な知識が欠けていれば不十分な理解になります。また、教える相手がもともと持っている性格とか、考えの傾向とかが分からないと、具体的問題について意見を交わしたとしてもごく一般論になり、また表面的になります。それで共有できていると思っているのは、雇っている店長さんの側だけかもしれません。

しかも、実際には早く仕事を覚えてもらわないといけませんから、特に初めのうちは、共有することそのものにあまり時間をかけていられないはずです。

新人さんは、たいてい、店長さんや仲間があえてお店に「慣れさせよう」としなくても、ふつうにやっていれば、ふつうに慣れていきます。むしろ、慣れるまでの状態のうちに、何を教えるべきか、のほうが問題です。心構えや方針を共有しようと、いろいろ気を使ったり、コミュニケーションを試みているうちに、この大切な時期が終わってしまうとすれば、本末転倒だと思うのです。
経験者への配慮
新たに採用されるスタッフさん、または、配属されてくる社員スタッフさん、これらの中には、すでに実務において遜色ないと見られる、いわゆる「経験者」がいる場合があります。そこで、通常の指導段階をすっ飛ばして、いきなり管理的な業務とか、リーダー的な役割を与えようとすることも多いように思います。しかし、これは原則、非常にまずいのです。

それで、そういう相手だと、たいてい「共有的指導スタイル」が採られる可能性が高いのですが、これがさまざまな問題を引き起こします。たとえば、意見が食い違ったり、勝手に周囲のスタッフさんに管理者の思惑と異なる指示や命令を平気でしたり・・・こういう場合、よかれと思って共有的指導スタイルを選択したことが「アダ」になります。

私の実感では、

経験者を特別扱いするとロクなことはない

です。特に、もう作業レベルのOJTや、実務的な指導など必要ないだろう、などと勝手に判断していろいろ期待すると、後々

「なんだ、ぜんぜんダメじゃないか」
「コイツ、ぜんぜん分かってない・・・」

ということが起こりえます。本人が、だいじょうぶですよ、とかいって、そういう指導を拒否する場合もあります。それでも、いや、むしろそういう時こそ

「一応決まってることなんで、みんなと同じOJTを受けてください」

とか言って、あえて形式どおりの研修、指導を受けさせたほうがいいです。

経験やキャリアのある人を新人扱いしては失礼ではないか、と気を回してしまうかもしれませんが、実は、もし、その人が本当にお店での仕事とか、組織のあり方といったものに深い理解をすでにもっているような、本当に経験者と呼ぶにふさわしい経験者であれば、

OJTは、作業のやり方を習得するもの

といった表面的な理解しか持っていない、などということは原則ありえないからです。

「オレにはこんな指導は必要ない、失礼な!」

などと、短絡的なことはまず思わないはずなのです。たとえばそういう独りよがりな態度がどういう問題を引き起こすか、よって、今自分はどうふるまうべきか、今自分が置かれた立場に従って周囲との関係を作っていくことそのものが、運営、管理上どのような意味があるのか、ということまで想像できるからです。

もし、前提的な研修などをいい加減に、おろそかに受けている態度が見えたら、むしろ、そんな程度の経験者は、

経験のうちにも入らない表面的な経験しか持っていない

と考えてまず間違いありません。管理者がここを見逃して、すぐに共有的指導スタイルを取ろうとすることが危険なのです。
管理スタイルと指導スタイルは違う
もちろん私も、お店としての正式な意思決定の方法が全員に公開されていることとか、単にお店の雰囲気や店長さんの人柄が開放的で何でも話しやすいとか、情報共有に積極的であるとか、そういう面であれば賛成です。しかし、これは管理、運営のスタイルあるいは店長さんの人柄のことであって、イコール指導方法ではありません。こと「指導の手法」という話になると、「仲良く、みんなで、公平に」とはいかないと思うのです。

OJTは原則として、各個人、個人に対して施されると思います。その場合、そのスタッフさんが置かれている状況、期待される役割、その達成度合いや成長過程というのはばらばらです。指導スタイルはそれに応じて選択されるべきだと思います。

これに対して、たとえば、そのお店の店長さんの運営スタイル、店舗管理のスタイルが当然あると思います。管理者の店舗管理スタイルにも、たとえば「専制的」「放任的」「民主的」といった典型的な傾向分類が可能ですが、どういうタイプであるかに関わらず、「管理」「運営」といった場合にはある統一されたスタイルが存在します。

従業員への指導と、運営管理はもちろん密接な関係があるのです。が、たとえば、運営スタイルが全体として「民主的」であるからといって、OJTにおいて指導スタイルが常に「共有的」である、というふうには限らないことになります。指導スタイルと管理スタイルは、イコールではありません。両者は別のことです。
共有的指導スタイルは、最後にとっておく
もちろん、共有的な関係の中で指導を受けられる状態というのは、それだけで働くスタッフさんにとって大変嬉しいことであるはずです。自分が聞きたいことを聞くことができる、いつでも意見交換できるし、良ければ取り入れてくれる、また、他のスタッフさんと比較してもごく優先的に、親身に教えてくれる・・・こういった心理的な満足感は、それだけで名誉でもあり、自己尊重欲求を満たしてくれる、ということなのです。

スタッフさんは、たとえば時給が少し上がったとかいう以上にこういった面を気にします。

私の考えでは、このメリットを単に公平に振りまくのではなく、できるだけスタッフさんのロイヤリティやモチベーション維持に利用したいわけです。そこで、たとえばそのスタッフさんが今いる段階とか、与えられている役割などによって指導スタイルも使い分けるように勧めているのです。

ある意味で「やり過ぎ」くらいに指導スタイルやそれに伴うコミュニケーションの方法などを変えて見せることがもしできれば、それは、そのまま、そのスタッフさんが「今どのレベルにいるか」を表す指標ともなります。

そして、本人だけでなく、それが全員に知れていることが重要です。それによって初めて、たとえば今、放任的指導段階にいる人は、単に放置されているのではなく、共有的スタイルに移行することを求められている、期待されている、というようなことがメッセージとして理解できるようになるわけですから。
先が見える安心感
いくら入ったばかりの新人さんだって、いかに効率的であるとはいえ、ずっと権威的指導スタイルに接していれば、どこかの時点で不安や不満を持つようになる可能性が高いでしょう。

初めのうちは素直に従っているでしょうが、ふつう、効率優先とばかり、業務の説明ばかりで「早く覚えろ」という感じで、面白い雑談も何もしてくれない、と思ったら、

「こんな指導がずっと続くのだろうか」
「なんてつまらない職場だろう」

と、だんだん嫌気が差してくるかもしれません。

だから、最初はある程度のコミュニケーションや、相手の興味なども考慮して・・・と考えることが多いと思いますが、それはむしろ逆なのです。

当然ですが、何のために指導するのか、という自明のことをうやむやにしてはいけません。

この段階で考えるべきことは、楽しくするとか、理解を深めるとか、そんなことではなく、できるだけ内容を圧縮してあげる、期間を短縮してあげることです。ですから、まず初期研修というのは、むしろスピードが必要で、そのためには準備も必要だし、権威的でよいから、相手があれこれ考える以前にどんどん進めてしまう、というような感覚も大切になってくる。

と同時に、指導スタイルが変化してゆく、ということ自体を、できるだけ早い段階で明示してあげることが必要になります。

「今は、自分が新人なので、こういうスタイルでOJTが行われているんだ」

ということが自然に読み取れるようにしてあげるのです。他の既存のスタッフさんが、常に「権威的指導スタイル」による指導を受け続けているのではない、ということが分かっていれば、それはむしろ

「早く仕事を覚えて、本当の仲間になってほしい」

というような強いメッセージと受け取ることもできます。初期研修を早く終わらせようという意識を持つようになりますし、

「早くみんなの仲間と認めてもらおう」

というような欲求も芽生えやすいのです。それなのに、変に気を使って、初期指導がたとえば本人にとって非常に楽しいものであったとしましょう。すると、

「なるべく今の状態を維持しよう」

という心理に傾いても不思議ではありません。また、後々振り返っても

「入った頃はよかったなあ・・・」

と感じてしまう。つまり、本人にとっては、仕事を覚えれば覚えれるほど損で、ずっと新人扱いされているほうがメリットがあった、ということになってしまうのです。
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