店長力 > 2006年09月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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機会の平等とはいっても
現在、平等とは少なくとも、

「機会の平等」

という意味だ、と考えられている。

たとえば、お店で言えば、もっといろいろな業務に挑戦したいと思っているのに、正当な理由なくさせてもらえない、という場合には、「機会の平等」は保たれていない。

しかし、ここで言う「正当な理由」というのがけっこう曲者で、自分では正当だと思っていても、それが客観的に見て本当に正当と言えるどうかは疑問の余地がある。

たとえば、すでにその役割を担っている人がいるとする。それと同じ仕事をあなたがしたいと思ったとする。すると、あなたがそれを得るには、相手をその役割から外さなければならない。機会の均等というのは、「機会の無限提供」ではない。だから、

「あの人と、同じ程度に私もできる」

と言うだけでは、「あ、そう・・・」という話である。せいぜい、

「じゃ、万が一、あの人がいなくなったら、その時は頼むね」

ということにしかならない。正当な理由とは、その役割を担うのが

「あの人ではなく、あなた」

であるべき理由のことだ。そして、それが全体の向上にも寄与することを証明し、周囲に納得させることができるだろうか。

同じ職場なりお店で働いているとして、誰かと同程度にある業務ができるというのは、すでにその人がやっていたことを見て、参考にしている可能性が大きい。その場合少なくとも、あなたは、その人がやっていることをできる「2人目」にすぎない。条件としてそもそも易しい。その上で、自分が担当した場合のメリットを挙げられなければ、交代する必然性がない。

「なぜ私にもやらせてくれないんですか。おかしいじゃないですか」
「なんで、あの人なんかにやらせてるのかしらね~」

などと言っていて、自分の望む役割を得られると思うほうがおかしい。


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被害者意識
ところで、このように少しきびしい視点で話をすると、今度は、

「じゃあ、別にいいです。今のままでいいです」

などと開き直ろうとする人も出てくる。これもはなはだ迷惑な人になってしまう。不用意な発言をしなければ今のままだったかもしれないのに・・・そういう人は、

「今のままでいいです」

と言っても、すでに今のままでいることが保障されている、というような呑気な感覚を持っていること自体が心得違いだということに気が付かなければいけない。

他人を批判したり、「~であるべきだ」などと主張するとき、私たちはともすると、他人に、より完全な仕事を求めている。一方で、その立場が覆されて、自分がヤバい立場に立ったと感じたとたんに、

「じゃあ、もういいです」

とはどういう神経か。あなたは

権利を主張するためにお店に来ているのではない

他人のすることには完全を求め、自分の立場や既得権が少しでも脅かされそうになると、あわてて守ろうとする。そして、それが当然の権利であるように思っている。

自分が何を提供できるのか、という観点がまったく欠けているといわざるを得ない。こういうまったくの心得違いは避けたい。
評価は業務である
ところで、たとえば、

「店長の評価はおかしい!」

と文句を言う。面と向かって言わなくても、どこかでグチをこぼす。腑に落ちないと思う場面はいくらもあるだろう。まあ、ストレスを発散するのもいいが、そういう時、あなたは

自分がどんな立場に立ってその発言をしているのか

を考えなければならないのではないだろうか。

たとえば、たいてい「評価がおかしい」と言う人は、評価の低い人である。自分の評価が高すぎる、という不満を訴える人があまりいないのはなぜだろう。

または、たいてい「評価がおかしい」と強く主張する人が、お店で日々行われている他の業務、たとえば「仕入れ」とか「接客」とか「調理」とか・・・について、同じように強く訴えないのはなぜだろう。

忘れてはならないと思うのは、「評価」というのもひとつの業務であって、評価者は、お店に存在する多くの業務の中の一つとしてそれを行っているということである。

あなたが、お店の一員として発言している場合、評価について不満を言うというのは、第一義的には

評価という業務の遂行方法がおかしい

という話でなければならない。

仮に、他の多くの業務に関しては、「まあ、別にどうでもいいけどね・・・」というように他人事のように構えているのに、こと自分に直接関係のあることになるとムキになって強く訴えるというのは、違和感を感じないだろうか。

つまり、おそらく評価についてグチをこぼすときというのはたいてい「意見」でも「提案」でもなく、単に自分のための「苦情」になってしまう。そうなると、それはすでに「お店の一員である」という立場を放棄したものの言い方である。それなら、そのつもりで言わなければならないし、相手もそのつもりで対応することになるから、どっちつかずに話すと自分の首を絞めることになると私は思う。
あなたは評価を上げたいのか、批判したいのか
本来的に考えて、経営者なり店長なりが「評価」という業務を担当するのは、別に偉いからとか、自分の思うようにお店を運営するというためばかりではない。ひとつの業務として捉えた場合、それを担当すべき人、また、担当できる人は誰なのか、という視点で考えてみる。

たとえばの話だが、もし、管理者が「評価」という業務をうまくできないのであれば、他に誰か、より良く評価を行うスキルを持った者はいるのか、または、より正当な評価制度を提案できるのか、といった問題になる。

「評価がおかしい」

と言うときは、まず、あなたは相手が行っている業務に対して意見しているのだという感覚を持って発言するのだ。そして、すべての他の業務がそうであるように、他人の業務方法の問題点を指摘するなら

「現在行われている評価方法について、改善の提案があります」とか、
「私は、評価制度についてスキルがあるので、しばらく私にお任せください」

とか言うのが正しい。それなら、聞く耳も持とうというものだ。それなら、それこそ評価も上がるというものだ。

もちろん、実際には力関係があるので、言いたくても言えないということになるだろう。それでも自分の正当性を立証したいという気持ちも分かる。実際に、有無を言わさず従え、というような管理者もいると思うが、だったら別にそんなお店で働き続けることもないはず。いっしょにお店を作ろうという共通認識が持てないまま、なぜ、そこにとどまっているのかが、むしろ不思議である。

このように考えると、自分の立場と視野だけで評価の不当性を訴えるという行為は、ハタから見ると、すでに自分の立場をお店の外に置いた発言と取られても仕方がない。

「その組織の内部にいる」

という自覚がない。

つまり、一方では、まさに自分の業務上の評価を上げたいと思いながら、他方で業務という前提を放棄して話してしまっている。そんな態度でいながら、高い評価を受けるわけがない、というパラドックスである。
自分の立場をどこに置くか
大切なことは、今そのお店で働いている以上

あなたは、チームの内部にいる

ということだ。発言するとき、行動するときには、単に自分を守るためではなく、チームをよりよくするために、自分にできることをする、という意識を持っているかどうか確認するべきだ。

「お店のことだから、私は知らない」
「店長が決めることだ、私には関係ない」

という気持ちでは、チームに対して何ら貢献するつもりがないということになる。もし、問題点があるならば、苦情を訴える被害者としてではなく、チームの一員として問題に取り組むべきなのだ。どこかに歪みがあるとすれば、それは

誰のせいなのか
誰が修正するべきか

ではなく、チームとして、どのようにその歪みを是正するべきかを問うようにすることのほうがよほど重要なのである。

少し余談になるが、個人的な評価の問題にとどまらず、もっと一般的な労働問題、たとえばセクハラとか、パワーハラスメント、サービス残業、または、雇用機会均等に関する問題などに直面したときにも、こうした「発言する自分の立場をどこにおくか」という問題は考えておきたい。

もちろん、初めから「悪を正す」とか「自分が受けた被害を賠償させる」いう気持ちなら、それはそれでよい。しかし、そう決断したということは、すでにチームとして行動することを放棄したということに他ならない。

別に、不本意な状況を我慢しろ、といっている訳ではない。ただ、私の見る限り、自分が求めていたものと違う、あらぬ方向へと自ら議論を誘導してしまう、という人が少なからず存在する気がする。

(1)業務上の内部問題・提案事項として論じるのか
(2)一般的な雇用問題・社会問題として扱うのか


というように、少なくとも、自分の立っている位置を確認してから発言した方がいいと思う。自分がその組織の一員として内部で改善するのか、その組織自体の不当性を外部から改善するのか、というのは選択できることであるが、後から変更しにくいことでもある。

その点があいまいだと、主張は通ったのだが、結局のところ不本意な結果に落ち着いてしまう、ということになりかねない。
仕事の評価者のスキル
ところで、私は別に「評価する立場の人」を弁護するつもりは毛頭ない。そういうふうに聞こえたかもしれないが、逆に言って、もし、あなたを評価する立場の人が、お客様の利益に無関係な、他の事柄を評価に持ち込むタイプの人だとしたら、あなたは、単純にお客様にばかり奉仕していられなくなるだろう。実はこれは、ある意味きわめて自然な話で、別段責められることではないとも言える。

よくある話、

「お客様からいただいたお金が、あなたたちの給料になる」
「だから、お客様を大切にしなければならない」

という説教を聞くことがあると思う。確かに一理あるが、これはまさに形式論である。言い方は悪いが、そのお店で必ずしも評価されないのに、勝手にお客様のことばかり考えて行動している人はむしろおかしい、とさえ考えられる。単純にいえば、そうなる。

多くの人が、「お客様を大切にする」と口では言いながら、発言どおりに行動できないのは、つまり

評価者の「評価スキル」を信頼していない

という理由による。必ずしもそう理解しているわけではないが、実質的にはそうなる。むしろ、あえてストレートに表現すれば、お店に限らず、雇われて働いている人にとって、

真のお客様は「雇っている人」である

と言ったらどうだろう。たぶん、このように言った方が、共感する人が多いかもしれない。極論すると、

○雇っている人に気に入られ、有利な待遇を引き出す
○最低の労力で、有効な評価を引き出すためのパフォーマンスを心がける

これが、雇われている人にとって「仕事」そのものであり、一番大事なことである。お店に来るお客様のことなど、これに比べたら自分にとって全然問題ではない。

だから、お店で働いている人は、結局のところ

「店長に怒られない程度に」
「クビにならない程度に」

仕事をしようとする。それが、本人にとっての事実上の規準になってしまっているのである。
お客様の評価との一致
前の考えを踏襲すれば、結局、働いている人を評価し、待遇を決定する立場にある人が、

「お客様を大切にすることを、唯一高く評価する」

タイプの人だったら、結果的に、お客様を大切にすることが、すなわち評価を高める唯一の方法だということになる。これは一番本来的な姿であり、同時に最も分かりやすい。

これに賛同する人は、評価を上げるために率直にお客様志向になるし、これを快く思わない人は排除される圧力がかかることになる。

ところが、多くのお店で、この基本的な整合性が少なからず歪んでいるところに直接的な問題がある。たとえば、

○ぜんぜん仕事に対して意欲的でないことが明らかなのに、退職もせず、解雇もされない
○明らかに接客や、パフォーマンス性に差があるのに、評価に反映されず、みんな同じような扱いになっている
○どうしたら評価や待遇が上がるのか、下がるのか、という規定がはっきり知らされていない

といった状況にあると、スタッフさんたちは

この歪んだ状態に慣れていってしまう

これは、もちろん管理者に直接的な責任がある。述べたとおり、評価の合理性、整合性を保つのは管理者の責任である。
自分に対する評価
しかし、一方で、あなた自身が働く時に、自分がその状態に慣れていってしまうことに危機感を持たないとすれば、自分にとって損であるし、それ自体は自分の問題として考えなければならない。もし、

「ウチの店はダメだ」
「ウチの店長は仕事ができない」

とか文句を言っているだけだとすれば、その環境に自ら甘んじているあなたも同罪である。

そもそも、働きやすさとか、待遇といった面では他者の評価が影響するとしても、

自分の、自分に対する評価

というものは、別に他人から一切影響を受けないで、自分で判断することができる。

前に言ったような、自己評価の難しさを十分踏まえた上で、それでも正しく自己評価を行うことは、別に禁じられているわけではない。

また、より正しく自分自身を評価できると言うことは、それ自体非常に重要なスキルとなる。むしろ、そういう目を持っているからこそ、他人のことも正しく評価できるようになる。

自己評価の尺度が大きくずれていて、さらに他人の評価の仕方に文句を言っているというのは、そもそもこういう角度で自分自身の仕事について、また、自分のスキルとか将来的な目標について考える目を持たないということである。それらを人任せにしている、ということである。
仕事で得られるリターン
別に、仕事によって得られるものは対価だけではない。そもそも最初に話したように、今あなた自身が明確な動機・条件というものを自覚しているのであれば、仕事によって得られるものとは、つまり

自分の動機・条件に対するリターン

である。仮に、自分が働く動機が100%「対価」にのみある、と思っているのであれば、得られるリターンもまた

100%、お金である

という理屈は成り立つ。しかし、考えてみると、完全にそう割り切れる人などほとんどいないだろうという想像は容易につく。私は、他の一切を省みず対価のみを純粋に追求するようなタイプの人に出会ったことはない。また、私の知っている限り、もしそうなら、それに適した職場はかなり限られている。少なくともそれは、コンビニなどではない。

もし、ここまで読み進めてくれたのなら、あなたも、お店での実務や、お店という環境で働くことの意味や特徴を多少なりとも意識して、感じたところもあると思う。その上で、もう一度、

自分は、何のために、何を求めて働いているのか
自分は、どういうふうに働きたいのか


考え直してみて欲しいと思う。そして、お店での実際の仕事によって、あなたがどんなリターンを得ているのか、何が期待できるのかを考えてほしいと思う。
より普遍的な価値を目指す
大きなリターンを得るには、より普遍的なものは何か、という観点が大切だと思う。

今、企業などでも、社内的にしか通用しない知識やスキルだけでは評価されないという話を聞く。本当のスキルとは、どんな会社に入っても通用するものだと。つまり、より普遍的な、汎用的なスキルの重要性が強調されているわけだ。

たとえば、今いる環境に迎合したり、より評価されるために店長さんの意向を鵜呑みにしたり、内心では間違っていると感じながら評価者の意向に合わせた行動をしたりすることは多々あるだろう。しかし、そういった経験は、今度自分が求めていた環境に巡り合ったときには、むしろ弊害になる。

これからも、お店にしろ会社にしろ、あらゆる職場において、あなたを評価する人というのは、状況が変わると一転してまったく違ったものを求めるかもしれない。しかし、今当面の問題をやり過ごすことさえできればいい、というような気持ちでは、実力と呼べるような実力はまったく付かない。

ところで、お店で言えば、普遍的なものとは、たとえば「お客様」に照準を合わせたオペレーションであり、お客様に対して効果の高いスキルを得ることである。それは、どんなお店に行ったとしても必須であり、最も重視されるスキルであることに変わりはないからである。

顧客志向ほど汎用性の高いスキルは他にない

と思う。さらに、お店だけではなく、顧客対応・顧客心理といった面でのスキルが強く影響する業種は多い。お客様というものが登場しないビジネスの方がイメージしづらいだろう。

もちろん、お客様の需要や嗜好は日々変化する。しかし、その根底に流れる基本的な接遇スキルや、お客様が求めるサービスのあり方といったものはコロッと変わるものではないし、コミュニケーション能力は追求すればするだけ成熟するし、何より、こういった知識や技術は途中で使わなくなる、ということがない。

お客様というのは、この点では裏切らない。

こういう考え方は、あなたの「動機」とも切り離しては語れない。もし、あなたが、ただ単に今の職場で少しでも有利な立場を得ることだけに大きな価値を置くのであれば、今言ったことはあまり当てはまらない。

しかし、たとえば、「自らの将来」とか、または、「自分のお店を持つ」というような具体的な目標があるとすれば、今時点での上司の評価に合わせて自分のスキルを歪めるよりも、お客様の評価に照準を合わせて行動した方が、長期的に見れば明らかに有利だというのは明白である。
評価できる自分になろう
今まで言ったようなことを踏まえたうえで、結局のところ、

今の自分の姿を自分で評価できると思うかどうか

というのが非常に大切なことだと思う。そして、それが正しい目で見た自己評価であるかどうか。

そもそも、初めに述べたように、あなたはもともとの働く動機を持って、今のお店にやってきた。一期一会という言葉もあるが、初めのあなた自身の意欲や、気持ちというのがどのくらい確かなものだったかは分からない。ただし、それでも、あなたは幸か不幸か今もそこにいる。

その、今そこにいる自分自身を評価するのは、最終的にはあなた自身である。

確かにお客様、店長さんや先輩、そして、同僚や、新しく入ってきた新人さん、みんなあなたを見て、さまざまに評価し、あるときには指摘するだろうと思う。もちろん、批判もするだろう。

しかし、あなたにとって一番大切なのはあなた自身である。現実は様々だが、究極的に言えば、あなた自身がいつも不満を抱きながら、お客様に『本当の』満足など提供できない。

いくらテクニックや、表面的なスキルを弄しても、一番深いところでお客様は感じ取る。あなたが楽しくなければ、お客様は真に楽しめない。あなたが納得して、満足して仕事していなければ、お客様は絶対に心からお店に満足などしてくれない。

そして、よく自分の心を確かめてみれば、当然あなた自身だって感じ取れるはずだ。いや、いつも考えないようにしているだけで、本当は最初から感じていたのかもしれない。

期待とは何か?
満足とは何か?


そして、あなたにとって、今やっている仕事の

規準とは何か?

多くのお店では、これらのことは

「自然に分かるもの」
「自分で悟るもの」
「やっていれば身に付くもの」

として扱われている。そして、たまたま期待通りに仕事ができるようになった人間は、

「指導が良かった」
「環境が良かった」

ということになり、期待に沿って動けないと判断されたものは

「資質がない」
「やる気がない」

と一蹴される。これは何も、お店に限ったことではなく、社会の至るところで見られるありふれた光景だ。しかし、私は、こういった周囲の声に過剰に流される必要はないと思うし、そもそもこれほどおかしなことはない、といつも思っている。

正しく自己評価できる自分になる。そして、自己評価に適う自分になる

そうすれば、他人の思惑や環境に惑わされず、あなたは最高のサービスを提供できる。そして、お店という場所で働いている自分が好きになるに違いない。

STEP1 「お店の仕事 8つの心構え」 (終)



・・・本論では、お店で働く際ぜひ知っておいてほしいこと、考えてほしいことを8つのテーマに分けて述べてきました。所々分かりにくい部分や、失礼な言い方もあったと思いますが、お店で働くスタッフさん一人ひとりに直接お話しするつもりで書いたので、大目に見てほしいと思います。また、このテーマに関しては、お店で働く人だけでなく、さまざまな業種の方から多くのメール、コメントを頂き、大変参考になりました。ここまで読んでくださった皆さんに感謝します。ありがとうございました。

※次は STEP2 「OJTは難しくない」
バックヤードは楽屋
このように、陳列の仕方というのは、ある意味で、売り場できちんと完結している必要があります。考え方としては、売り場にある商品と、バックヤードで待機している商品は役割が違うわけですね。

いわば、裏の楽屋がいかにバタバタしていても、舞台の演劇はビシッと完結している、というようなメリハリが必要なのだと思います。

ただし、今の時点で在庫として裏で待機している商品も、いずれ売り場という表舞台に立つ時がくることになります。ですから、一つひとつの商品を個別に見たときには、その辿る道筋はこうなります。

まず、納品され、在庫として待機します。出番がやってきて売り場に姿を現し、前進陳列であればだんだんと最前列の方に移動していって、ついに陳列面に出てフェイスアップされ、初めてお客様の手にとっていただき、お店を出てゆく、ということになります。

そして、バックヤードは空間的には別の場所なのですが、意識としては、売り場とつながっている、売り場~お客様に至る道と考えることができます。

この、

一つひとつの商品が辿る道筋

をよくイメージしてください。特に、その在庫が売り場に出る瞬間、つまり「出番」とは、タイミングとしていつが最も適切なのか、と考えてみてください。
商品補充、2つの方法
ところで、前に言ったフェイスアップという作業は、前の方の商品が売れたときに後ろの商品を前に出す、という作業です。そのときに、意識として「そこに並んでいる一番奥の商品」のすぐ後ろには、「次に出番を待っている在庫がある」ということになります。そう考えると、たとえば、売り場にある商品が残り少なくなってきたら、当然待機している商品の出番が近いということです。つまり補充する必要があるということです。

ところが、通常お店で行なわれる補充といえば、特定のカテゴリーの全商品の在庫をチェックして、出せるだけ売り場に出して、整理する、というような方法でしょう。これも必要な作業であって、多くのお店ではルーチン化されていると思います。これは、区別して「完全補充」と呼ぶことにします。

これと区別して、今言っているのは、その売り場全体を補充する時間が来た、というのと違い、特定の、その商品の在庫が売り場に出てくる「出番が来た」というタイミングがあるということです。ピンポイントです。単品です。このタイミングを知るチャンスはいつでしょう。と考えると、それはフェイスアップしている時しかありません。

ですから、実際にはフェイスアップの作業と同時に、タイミングよく必要と思われる商品だけを適時補充するのです。このやり方を、「ポイント補充」と呼ぶことにします。

で、一般に、完全補充はできても、適時ポイント補充を行なう、という習慣がないお店が多いのです。

なぜなら、決まった時間に、決まったとおりの順番で作業を行うことは比較的たやすいのに対して、「適時」というのは本人の判断を必要としますので個人差が出やすいからです。要するに、もうすぐ売り場になくなりそうだな、とか、もう陳列としての商品数が不足しているな、ということにすぐ気がついて、その商品だけを、ポイント的に在庫から持ってきて補充する、というやり方をスタッフさんに徹底するのは難しいわけです。

しかし、常に売り場を一定の陳列レベルに保ち続けるには、フェイスアップと同時にうまくポイント補充もできることが大事です。前に言ったように、このためにはフェイスアップの徹底度や、その優先性、重要性を理解していることが求められます。

実は、ポイント補充は、フェイスアップ作業の一部なのです。それには、在庫の商品と売り場の商品は役割がつながっている、という感覚が必要だと思うのです。
ベターな多フェイス展開
多フェイス展開の話に戻ります。在庫にすると作業が増えるから、とか、どうせ場所が空いてるからたくさん並べて置こう、というのは、自己都合による多フェイス展開とでもいうべきもので、実際によく発生しますが、少なくとも考え方としてよくありません。

次に、よくあるのが、

「フェイスが少ないと、すぐ補充しなければならないから、もっとフェイスを増やしてたくさん売り場においておこう」

という考えで販売数を基準にフェイスを広げることです。これは、売れると予測される商品について、あらかじめ売り場欠品によるチャンスロスを防ぐ、という意味では有効です。もちろん、補充するタイミングが悪くて、売り場がすっからかんになってしまう、というのは最悪なので、それと比較すればベターです。陳列の基本3原則の一つである「多量優先法」も、重要度が高いアイテムの陳列数を増やすという効果を期待する面があります。

ただし、それはあくまでもオペレーション上の問題であって、本当は売り場の陳列最適数とは関係ない次元の問題です。

当然無尽蔵に展開するスペースがあるわけではありません。前に言ったように、陳列面の総面積を各アイテムにどう振り分けるかが問題なわけですから、たとえば、5フェイスというのが最も効果的な陳列フェイス数だとして、それを、6フェイス、7フェイスとさらに増やしたからといって、比例して効果も大きくなる、というわけではありません。むしろ、他のアイテムにしわ寄せが生じたりする弊害の方が考えられます。

売り場は商品の舞台です。お芝居でもそうですが、不必要に登場人物が多いと主役が誰だか分かりにくくなり、引き立ちませんし、かといって、いくら主役でも「目立ちすぎ」はよくないといえます。

陳列する商品も必要十分がよいのであって、余剰の商品は楽屋で待機してもらわないといけません。出番でもないのに舞台にたくさんの役者さんがうろうろしたら、見ているほうは気が散ります。

必要十分というのは、つまり「陳列の意図」がお客様に分かりやすい、ということでもあります。

作業場の都合とか、スペース上の問題とかは、二次的な問題なのです。置けようが置けまいが、在庫にする商品というのは、その必要があって在庫にすべきだから在庫にするわけですし、ポイント補充と完全補充を使い分けることができれば、売れている商品が補充されないままチャンスロス発生、というのは起こりにくくなります。
ベストな多フェイス展開
本来的に言えば、多フェイス展開する意味は、以下のようなものが考えられます。

○ 売りたい商品に注目を誘うために多フェイス化する

そもそも、原則的には、お客様に「この商品はぜひとも見てください」という意味で多フェイス化するのです。お客様は、特定の商品に注目し、興味を持たないことには買う気持ちは起こりません。多フェイス化の最も重要な意味は、強制的に注目させることです。この原則がいつの間にか作業者やお店側の都合で曲げられてしまうのがまず問題なのです。

○ お客様に商品に対する自信を伝える
 
多フェイス化するためには、その陳列に耐えられる数が納品されなければなりません。ということは、たとえば5フェイスとか6フェイスとかいう展開をするには、前もってそれを予定して大量に仕入れなければ、できるはずがありません。

裏を返せば、発注担当者はそれだけの数を一気に仕入れても販売できると考えているということです。つまりその「商品に特に自信がある」ことを表明していると考えることができます。お客様は、その自信に期待して買ってみよう、ということになります。

○ 提案するために多フェイス化する

注目もそうですが、その後お客様に興味を持って見ていただき、他のものとも比較した上で、それを選んで買っていただくための情報を提供しなければなりません。

その方法の1つとして、多フェイス化によって、そこに販促物を取り付けたり、商品の全面が見えるように工夫したりするスペースを作り出します。しばしば、フェイスが足りないために、どれがどの商品の販促物か分からないような陳列を見かけます。単に商品を置くという観点だけでなく、その商品の十分なアピールや情報提示を狙って、空間を使うことも必要なわけです。

○ 売り場にメリハリ・変化をつける

現在メインと思われるアイテムを重点的に扱うことで、変化をつけ、楽しさや選びやすさをも演出します。ずっと、同じ商品ばかり売っている売り場は飽きてしまいます。また、実際には商品の改廃が行なわれていても、陳列の仕方が変わり映えしないと面白くありません。お客様は品揃えが変わっていることに気が付かないこともあります。

また、どれもこれも変化がない単調な陳列は、実は選びにくく、特定の商品を選びにくいのです。いわば、選ぶのが「お客様まかせ」過ぎるのです。いくら自由に選べるといっても、一から自分で全部チェックして正しく選ぶのは、けっこう疲れるのです。
慢性多フェイス化
さて、多フェイス展開には、有意義な意図があり、またそれは実際有効な方法なのですが、長くお店で働いていると、多フェイス展開すること自体が当たり前になってきて、パターン化してくることもあります。極端に言うと、

「とにかく、新商品を真ん中で多フェイス展開すればいいんでしょう?」

という感じになってしまうのです。変化をつける目的でやっているのに、それが慢性化してしまう。そういう危惧があります。

こういったマンネリ化を防ぐには、たまには逆を行ってみるとか、あえてすべての販促物を一回撤去して、全部を同一フェイス数にリセットしてみるとかいう方法も考えられます。しかし、これらは、結局のところ一時しのぎの対症療法に過ぎません。そして、気が付くとそれ自体がまた慢性化してきます。

つまるところ、テクニックだけを考えている限り、長く繰り返していればマンネリに陥るのは必然だとも言えるでしょう。

そこで、これを避ける1つの方法は、

○ 特定の商品を自分でよく調べてみる
○ 自分が、惚れられる商品を探してみる

ということです。私が思っている陳列の真髄は3つあります。陳列の真髄その1は、これは!という「特定の商品に惚れ込むこと」です。
POPの使い方
いわゆる販促物、というとポスターとかPOP、また、キャンペーンの応募はがきや、展示用の見本品、試供品、といろいろあります。これらは、メーカーから提供されることもありますし、チェーン店なら本部から支給されるものも多くあります。

まず、考え方として

○ 販促物は、商品そのものに優先しない

ということです。大まかな考え方として、まず販促物なしの状態で理想的な陳列を作ります。で、その上で、さらに効果的だと思えば、そこで初めて販促物を追加する。この順番を間違えるとたいていおかしなことになります。

逆に、最初から特定の単品にどうしても販促物を使いたい場合は、それに見合った商品展開をあらかじめ設定しておくしかありません。大きな販促物を掲示するためには、初回の発注量を実売数以上に増やし、多フェイス展開しなければならない場合もあります。

ただし、こういう状況では、どっちみち陳列数が減少してゆくにつれ販促物がじゃまになってきます。早期に撤去することになります。ということは、そもそもその販促物は必要だったのか、有効だったのか疑問です。

これに限らず、現場的には不要と思われる販促物が、やたらにお店に納品されてくる、と感じることは多々あります。しかし、大きな声では言えませんが、使えないと判断したものは、どんどん捨てるのが正解です。

反面、

「これこそ販促物がほしいだろう」

と思う商品に限って、提供されない場合も多々あります。そういう時は、まあ、作ってしまえばいいのですが。ただし、それにしても、やはり

先に陳列ありき、商品ありき

であることに変わりはありません。販促物を1つ手作りしている間に、他のことをしたほうがいいと判断できる場合もあるでしょう。とにかく、販促物はあくまで脇役です。
POP(ポップ)
お店でPOPと言っているのはpoint of purchase advertisingの略で、直訳すれば購買時点広告ということです。つまり、実際にお店に行って、その商品を買うときに見ることになる商品情報のことを指します。

だから本来、販促物全般を指すことになりますが、たいてい、その商品が並べられている棚の前面にチョコッとくっついているアイキャッチ用のシールや、ポヨンポヨンとかわいく動くような飛び出し型のものなど、ごく小型の販促物のことを特に「ポップ」と呼ぶことが多いです。

POPをつける主な目的は「その商品の存在を強調する」ということですが、商品特性やアピールポイントを伝えたるために詳しい情報が盛り込まれている場合もあります。

不思議なもので、たとえば、そのPOP自体に何ら意味ある情報が含まれていないとしても(仮にその商品と何ら無関係な、たとえばお花の絵が描いてあるだけでも)POPが付いているというだけでもお客様は他の商品よりもそちらを購買する確率が高くなる傾向があります。
値段の表示
販促物、と言えば販促物の一種かもしれませんが、これと安易に混同してはならないのが「値段の表示」です。

最近は、商品のパッケージにソースマーキング(もともと印刷してあること)されている「定価」がほとんど意味をなさなくなっています。また、以前は「値付け」という作業が独立してあり、商品1個1個にラベラーでガチャッ、ガチャッとシールを貼り付けるのが主流でしたが、最近は値段表示用の什器やプライスカードを使ってアイテムごとに前面に表示することが多くなりました。

それで、お店のスタッフさんは、「値段の表示」「販促物の掲示」の意味的な区別が案外あいまいで、しかも同時に行うことが多いため、両方とも同じような作業だと思っている場合があります。

しかし、あえて言えば、POPというのはプラスアルファであって、付いてないといけないというようなものではないのです。しかし、「値段の表示」は、すべての商品に必要不可欠なものです。2つはぜんぜん違う作業なのです。

当たり前の話ですが、値段が不明だと、お客様が商品を購買する確率は激減します。これは、フェイスアップされていなくて商品自体が見えないのと同等レベルで「最悪」な事態です。

ところが、実際にお店では、

値段の分からない商品

がいつも発生するのです。お客様からすると「ありえない」ように思うかもしれませんが、事実です。

これはもちろん、第一に、先ほど言ったような日頃のオペレーションの問題が大きいと思います。値付けを徹底するのは、最重要の管理であるにもかかわらず、いい加減にされていることが少なくないのです。特に、コンビニ等だと値段の決定は本部が行う、という暗黙の規則(契約上は違うのですが)があるため、店舗にいる人は、値段について意識が薄い傾向があります。店長さん自身でさえ「あらかじめ売価は決まっているもの」という意識があります。

もう1つ、たとえば、いくら徹底しようとしても、頑張ってもどうしても値段不明商品が発生してしまう、というお店の場合、私の経験から推測すると、

扱っている総アイテム数が過剰

ということが考えられます。つまり、無理に詰め込んでいる商品が多すぎるか、または、商品改廃についていけてないとか、死に筋の商品をいつまでも撤去しないとか、そういう理由から陳列が乱雑になり、結果値付けが不徹底になったり、一度値付けをしたはずの商品なのに、いつの間にか値札が紛失したり、または、POSレジではじかれる(登録が抹消されてバーコードがスキャンできなくなる)場合が多くなったり。

要するにスペース的にもオペレーション的にも、そのお店のキャパを超えているのが一番の問題なので、管理全体についてもう一度検討してみる必要があるかもしれません。
POSレジ
POSとは、point-of-saleのことで、訳せば「販売時点情報管理方式」と言います。レジでお会計したときに、購買情報が瞬時にデータとして蓄積できるということです。今では特別なことではなくなりましたが、これが実現したことは、実は販売業にとって革命ともいえるほどの非常に画期的なことでした。

現在、特に商品知識がなくても、ごく経験の浅いスタッフさんでも売り場管理や発注業務を担当することができるのは、このPOSというデータ管理技術があるからこそです。また、コンビニなどで極小倍数の小分け納品が可能なのもPOSのおかげです。

余談ですが、NHKのプロジェクトXで、日本のセブンイレブンの黎明期の苦労話を見て、私は泣きました・・・とともに、コンビニの社会的地位をもっと向上すべきだ!と決意した記憶があります。若かったなーあの頃は・・・(^^)
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