店長力 > 2006年07月
いらっしゃいませ(^^)
店長の仕事を考える、コンビニ店長の店舗運営マニュアルブログです。
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通常業務との分離
他店舗の観察にしろ、競合店に対する戦略の策定にしろ、現実を考えたときに常に大きな壁となるのが、通常業務との分離の問題です。要するに、

「この忙しいのに、悠長に競合店対策など考えていられない」とか
「適任者がいないから、特殊な業務は不可能だ」

とか考えてしまうことです。また、余計な仕事が増えてしまうようで気が乗らないということもあるでしょう。

「そんなヒマがあったら人件費を削減した方がいい」

などと考えるかもしれません。もちろん、コストは余計にかかるのは確かです。しかし、現状において効率を追求することが、唯一最良の手段でしょうか。それは、自ら縮小均衡をまねく運営手法ではないでしょうか。また、それは今まで通りのやり方で気楽にやっていたい、という気持ちの表れではないでしょうか。

現状行っているルーチンとか、各作業における効率を追求するのは必要ですが、それは、「新たな取り組みにコストを割り振るために」必要なのであって、単に今コストを削減できたら、その分利益に転換できる、といった考えは、長期的に見て店長さん自身の首を絞める考え方だと私は思います。

一方、店長さん自身は、たとえば、時折、時間があいて手持ち無沙汰になったりすると、

「他のお店でも見てこようかな」

などと思うことはあるでしょう。また、スタッフさんがヒマそうにしていると、遊ばせておくのももったいないから、と考えて、

「周りのお店、お客さん入ってるか見てきてよ」

なんて、見回りに行かせたりする。もちろん、それでは効果らしい効果はありません。こういったやり方は、効率的と言えるでしょうか。私には、そんなことをしても今現実に発生している無駄なコストが解消できるとは思いません。それは、ストレスを回避する気休めにしか見えません。

確かに、競合店対策というのは、ある意味で非常に面倒くさい業務です。本心では、そんなことわざわざやりたくない、と感じている店長さんはたくさんいるはずです。だから、

常に通常業務を優先して考えている限り、競合店対策なんて取り組めるはずがないのです。
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プロジェクト型の手法
順番としては、こうです。

まず、今まで述べたストアコンパリゾンの実行、戦略の策定と課題設定、そして具体的な改善といった一連の必要事項を、お店全体を上げて行うひとつのプロジェクトとして認識すべきです。

そうしたら、それを行うための人や時間といった目に見えるコストを見積もります。手が空いた時間に各自が進める、なんていう指示を出したところで、うやむやになるだけです。先にトータルのコストを考えます。

それを捻出するにはどうしたら良いかを考えます。考えるというのは、何もどこかから金策して来いというのではありません。

今、現状レベルでお店を回すコストを、如何にしてストアコンパリゾンの方に振り替えるか

という観点で、人員配置、作業スケジュール、分担やシフトなどを見直すのです。もちろん、今までと同じように仕事を進めていたら、何も変わりません。

○やらなくても、たいした影響のない作業を惰性で続けていないか
○1人でできることを、2人でやっていないか
○特定の人だけに仕事が集中しすぎていないか
○指導とかミーティングとか称して、休憩してないか


といった点を振り返り、見渡して、思い切ってそれらのムダを切ります。ところで、こういう話はたいていの場合、現場のスタッフさんには受けが悪いです。きっと、

「いや、これはこれで大切な仕事なのですよ。なぜなら・・・」
「いやあ、これ1人でやるのは無理ですよ。他の人もいるんだから、一緒にやった方が早く終わるし・・・」
「この作業は、いろいろ気を配らないといけないので、誰でもできるわけでは・・・」
「こういうコミュニケーションもしておかないとですね・・・」

ってことになるでしょう。でも、物は言い様、たとえばこれを単に

「今経営も厳しい時代だから、協力してよ」とか
「やろうと思えばできるだろ。給料払ってんだから」

というふうに言えば、それは反発します。反発する理由は、つまり

つまらないんです。

ですから、たとえばこのように言います。

「これから、お店をあげて競合店対策に取り組む。みんなぜひ力を貸してくれ。これは、お店の総力戦だ。持てる力をすべて集中したい・・・」

とか、少し大げさでもいいです。今お店はプロジェクトを優先する必要性があって、いわば「臨戦態勢」に入るから、みんな全面的に協力してくれ、と言うのです。

火事場が好きなのは何も江戸っ子ばかりじゃありません。お店で働いているスタッフさんたちは、たいてい日常業務に退屈しています。大きなイベントのつもりで盛り上がれば

「そういうことなら、一肌脱ごうじゃねえか!」

ということになりやすいです。また、そういうムードを作らなければならないのです。実際、ストアコンパリゾン、そして、競合店戦略というのは事実お店にとって一大プロジェクトなのですから。言い方は悪いですが、お店の中で何かが変わろうとしている、何かが始まろうとしている、という「きな臭さ」が重要なのです。
給与に反映する
プロジェクトとして競合店対策を包括的に行う。これは、当然お店のサービス改善、そして収益の向上に結びつくはずです。

しかし、ここまでは、はっきり言って、協力してくれたスタッフさんたちの直接的なメリットとは言えません。もちろん、精神論としては、自分が働いているお店が良くなるのだから、協力するのが当たり前だろう、とも言えます。ただ、それを受け入れてくれるかどうかはスタッフさんたち次第です。

多くの場合、社内改善、店舗改善が計画倒れになるのはなぜでしょう。

それは、やっている本人たちが、自分には直接関係ない、と感じながら進めているからではないでしょうか。仕事として指示されれば嫌とは言いませんが、まあ、仕事だからやっとくか、という程度の感覚でやります。

日常の繰り返し業務なら、それでも特に目立った問題にはならずに済みますが、競合対策や店舗の大幅なオペレーション変更、課題解決というような、追加的な特殊業務を遂行させるには、それなりの気構えが必要です。それには、本人に直接影響するインセンティブが必要です。

ですから、このプロジェクトには、働くスタッフさんたちの待遇改善も含まれていなければならないと私は思います。ここは一つ、実績を反映するような正式な待遇条件を提示しましょう。たとえば、

「この競合対策プロジェクトを行った後、売上前年比100%を超えた場合、その分のパーセンテージを、3ヶ月間みんなの給料に上乗せする」

とか。もちろん、この条件が正確にプロジェクトのパフォーマンスを反映しているかは分かりません。他の条件でも売上は変わるとか、もともと前年比クリアしてたとか、言おうと思えば言えます。でも、問題はそういうことではありません。

これは、スタッフさんたちの信頼と、モチベーション維持のために必要な経費です。よく言われることですが、対価はモチベーションの積極的条件ではなく、最低限の必要条件でしかありません。スタッフさんは、むしろ、プロジェクトを遂行するのであれば、その結果が

「反映されて当たり前だろう」

と思っています。

「これで売上上がったら、時給とかも少し考えようかなー」

といった、経営者にありがちな口約束では、いまどき誰も本気にしません。
競合店の動向を追う
もう一つ、言うまでもないことかもしれませんが、課題設定をして、店舗の内部改善に着手する段階では、どうしてもストアコンパリゾンの継続が難しくなります。つまり、意識がまたお店の内部のことに集中しやすいのです。

外部環境は常に変化しますので、当初の計画の検証と、軌道修正が必要な場合があります。

特に、何よりも注意しなければならないのは、こちらが大幅な改善計画を遂行することによって、想定している競合店も何らかの対応をするかもしれないということです。

相手が何らかの対応を考えることは、本来はもともとの計画に盛り込まれていれば一番良いのですが、すべて予想通りというわけにもいきません。

よほど無頓着な相手か、または、相手がこちらをまったく競合と感じていないか、といった場合でない限り、こちらがある戦略を持って店舗オペレーションを変更すれば、当然それは相手にも分かります。小売業は、やっている内容がそのまま表れてしまいやすい商売です。

ただし、たとえば、相手がある売り場のレイアウトをちょっと変えた、とか、新しい商材を扱い始めた、とか、それに対していちいち敏感に「対処しなければならない」と思うのは間違いです。継続して動向を追うのは、あくまでも

当初の仮説や計画に、大きな前提の間違いがなかったかどうか

を確かめるためです。



まとめ:競合対策の計画策定と実施

手順:

1 方針の決定
独占型・敵対型・共存型・追随型ストラテジー
※競合との関係、自店の役割

2 改善計画の策定
※課題の特定
※PDCA
※プロジェクト化する

3 検証と継続
※前提を確認する
※マクロ最適化
ストアコンパリゾン 概要

ストアコンパリゾン=店舗比較



要旨:
競合店観察・調査の方法論と実践での注意点

目的:
自店の客観視→改善事項の特定→外部与件への対応→差別化・競合対策


ゼロ・ベース・ストアコンパリゾン

対象:
調査者自身が継続して利用している店舗、同業種、業態である必要はない
調査方法:
定期的利用。顧客ベースの視点

方法:
1 調査者自身による利用
2 利用者からの意見収集:家族などが望ましい。従業員に依頼するのは不向き
3 具体的な点に着目する:経験主義の排除

注意:
最も一般的な手法で、継続すれば役に立つが、守備的な面が大きく、体系的でない。

※ 競合店観察時のポイント

1 調査内容のフォーマット化
ポイント:
□ 自店の状況をベースに調査項目を特定する
□ 現場では「事実」だけを見、背景や内部事情等はあとで考える
□ 同一フォーマットによって繰り返し観察する

2 現場での注意点
ポイント:
□ 顧客の行動の特徴
□ 関係者にありがちな行動


マクロ・ストアコンパリゾン

対象:
既存の超優良店(メディアに露出している店舗、または、自社チェーン内の一番店でもよい)

調査方法:
商圏調査(該当店舗を取り囲む環境、立地の特色などの外部与件を特定)
公開調査(あらかじめ調査、取材の申し入れを行うことが望ましい)


手順:
1 商圏から見た、店舗の役割、存在理由、理想的な特徴などを前もって挙げる
2 1との比較において観察し、内容を具体化する。絶対評価による
3 それを実現できる背景を考察する。資金、物件、人員、情報伝達など
4 自店との比較検討


ミクロ・ストアコンパリゾン

対象:
自店と現在直接競合する特定店舗

調査方法:
現地調査
非公開調査(調査している事実を知られたくない)


手順:
1 自店を取り巻く与件の把握(マクロ・ストアコンパリゾンとの比較で考える)
※外的与件:立地、商圏(特に変化を重視する)
※内的与件:人、モノ、金、情報。特に法人の場合、自店の社内的な位置付け)

2 自店の長所、短所を特定する
※客観評価:実数および計数的把握、PPM的分析(プロダクト・ポートフォリオ)
※主観評価:店長による自店評価

3 実地調査
※継続調査:時間帯別調査、同時間帯継続調査
※目的調査:ゼロ・サム・コンパリゾン


自店の改善計画策定

手順:
1 方針の決定:独占型・敵対型・共存型・追随型ストラテジー
2 改善与件:PDCA
3 根本問題の特定
4 パスとタスクの決定

(終)
仕事のルールの混乱
お店で働く上で、「やってはいけないこと」が存在する。

と言えば、誰でも常識的に考えて、そりゃそうだろう、と頷くに違いない。しかし、それについて実際には混乱している人が少なくない。また、それが明快に提示されているお店は、もっと少ない。

だから、お店ではいつも、誰かがルールを守らないとか、人によって言うことが違うとか、逆にルールの方がおかしいとか、マニュアルがおかしいとか、特定の作業のやり方について、こうやった方がいい、いや、こちらの方がいい、というような話が飛び交っているのだ。時には、スタッフさんどうしのちょっとした言い争いや、軋轢の原因になることもある。

本当はこういった、ちょっとしたグチや言い合いの中に、お店にとって非常に有用な情報が隠れていることが多い。もっと言えば、どの程度生かされるか分からないが、お店の改善とか規準の向上というのは、ほとんどの場合、大もとを正せばこういったちょっとした不満や、気付きから生まれる。むしろ、システム内部から改善の必要性を自覚する方法はそれしかない。

ところが、こういった情報の多くは生かされないままになっている。店長さんなど、管理者の耳に届かないものも多い。なぜだろうか。

そこで私が思うのは「やってはいけいないこと」というその意味のことだ。つまり、

○「やってはいけいないこと」の内容、の前に
○「やってはいけいないこと」という言葉の意味


である。それ自体があまりに混沌としていて、あいまいすぎる。

実は、「やってはいけないこと」と一口に言っても、それは意味的にいくつかのレベルというか、階層がある。もちろん、これはあなたのお店の仕事の規準や、店長さんの方針によって、内容はまちまちである。しかし、その意味するところは、次の3つに分けられると思う。

1 規則
2 通念
3 禁止動作


である。呼び方は違ってもよいのだが、とにかくまず「やってはいけいないこと」を意味的に分類する必要がある。

具体的に、お店でよく言い争いになる、そういった議論はたいてい内容的にも何種類かに分類できるだろう。ただし、今それは別として、どういう問題について話し合うにしろ、

今話している事柄は、上の3つのうち、どのレベルの話なのか

という点をまず確認すべきだと思う。そうしないと、話がややこしくなる。結果、

「まあ、しょうがないよね」
「ウチらの知ったこっちゃないけどね」

ということになる。その場のグチやゴシップ話で終わってしまうことになる。
規則・通念・禁止動作
1 規則

まず、「規則」である。これは、たとえば「就業規則」で謳われているものとか、雇用契約書に書いてあること、などが典型的だ。つまり、これは、明らかなルールであり、絶対事項である。たいてい、あなたがそこで働く以前からすでに決められている事柄であり、個人的にどう思おうが無関係に、契約上決められていることである。

もちろん、正式な手続きを踏めば変更は可能だけれども、一個人の考えや、現場の都合でたやすく変えられるような代物ではない。

たいてい、はっきりした文書で示されている。ただし、たとえば連絡のような形で文書化されていることも多いし、場合によっては、壁に貼ってあったり、ノートにちょっとメモされたりしている。

規則は、明らかな強制力を持っている。基本的に勝手な逸脱は許されない。

ただし、規則は抽象的であることも多い。だから、細かい点で解釈の仕方が微妙に異なる可能性があるし、この点を利用して恣意的に曲解することもできてしまう。



2 通念

次は、私の言い方だと「通念」である。もっと一般的に言えば、方針であったり、考え方であったり、マナーだったりする。会社で言えば「社是」である。

文書化される場合もあるが、それは規則としてではなく、お知らせとか付加的な情報として緩い力で示される。また、おそらく、形がないけど、何だかみんなが知っている、いわゆる暗黙の了解事項が多い。

これには、ごく大まかで抽象的なものから、日常的で些細な取り決めまである。

通念をコントロールする責任は、第一に管理者にある。ただし、通念は、その形成過程が必ずしもはっきりしていない。たとえば、店長さんなどが一存で決めて、みんなに発表される場合もあるし、誰かが言い出したものが、みんなに受け入れられて全体に適用されることもあり得る。誰が決めたのかも分からないが、いつの間にかごく自然に従っている出先不明の通念もあり得る。



3 禁止動作

特定の作業オペレーションに付随している「やってはいけないこと」がある。これが「禁止動作」である。

これは、上の規則とか、通念といったものとは性質がかなり違う。確かにやってはいけないのだが、それは、ルールだからやってはいけない、というよりもむしろ、その作業やオペレーションを実行するときに不適切だったり、非効率だったり、ミスを誘発しやすかったり、という理由から設定されているものだ。

もちろん、規則や通念との関連性はある。しかし、分類して考えた方がよい。

禁止動作は、マニュアルの一部に盛り込まれている場合もあるが、たとえば、現場でOJTによって伝えられたり、店長さんが指示、指導する中で伝えられたりすることも多い。

また、禁止動作は実際の作業や接遇場面に依存しているので、ある場合には例外的に適用できないことがある。つまりこれは常に従うべきものであるというよりは、原則として知っておく必要があるもの、と言った方が近い。
規則は仕事の前提
本来的に言えば、

規則を知らずして仕事を始めるべきではない

ということになる。つまり、規則というのは雇用されるにしろ、実際に勤務するにしろ「前提」であって、仕事に慣れるにしたがってだんだん覚えていけばいい、というような性質のものではない。

しかし、実際の面接・採用場面では、こんなことを言っても非現実的だということも十分理解できる。

お店だけの話ではないが、通常、雇用されるまでの段階で、就業規則はもちろん、ごく基本的な雇用条件や実際の勤務内容、待遇、評価の方法などについてさえ、明確に提示される事はむしろ少ないと思う。

技術的にそれが達成されていない場合もあるかもしれないが、そもそもその背景には

明確なことを提示しないほうが、採用しやすい

というような雇用者側の思惑もあるものと推測される。つまり、採用する側は、

「なるべくなら、余計なことは言わない方がいい」

と思っている。そして、働くほうも

「いろいろ詮索すると不採用になる」

という心配がある。また、お店などでは特に、雇用についての一般的な知識も、経験もあまり持たない若い人や、学生が主な被雇用者だから、余計にその傾向が強くなる。

そこで、実際的なアドバイスをするとしたら、

雇われたら、まずごく早い段階でそのお店の「規則」を知ること

を優先することしかない。まず、雇用契約書は熟読、就業規則が設置されていれば、すぐに読む。そして、大切なことは、机上の契約や規則が、現実にどの程度遵守されているか、おろそかになっているかを把握することだ。

できれば、これは試用期間中に行いたい。その段階で疑問を感じたら、雇用契約を取り消すことはたやすいからだ。逆に、それをしないまま一定期間勤務して、しかる後、何か具体的な問題があってから初めてそういう話を持ち出すとしたら、雇われている側にも怠慢があると言わざるを得ない。すると、たいていこじれる。
規則は、働く人を保護する
規則というのは、厳格で冷淡で、時に自由な行動を制限する厄介なものとも思うが、それは一面的な見方だ。実は、規則というものは、

そこで働いている人を守る

という役割も持っている。たとえば、一生けんめい仕事をしようとする人に、それなりの評価をきちんと与えるためには、形になった評価の規則が明示されている必要がある。そうでないと、同じ仕事をしているのに評価が違っても、(不平不満は言えるが)公平性を保つ根拠がない。

また、個人ごとの判断や、議論の手間を省くことも可能になる。仕事に集中したいのに、直接業務に関わりのない事柄について、その都度話し合って決めていたら、いくら時間があっても足りない。

たとえ個人的に不服な点や、部分的に自分の主義に合わないところがあったとしても、規則があることによるメリットは多いのだ。ある特定の部分では自分は賛同しないとしても、みんなが規則を規則として認めるところに秩序が生まれ、それは、チームのすべての人を保護する。

だから、特定の各論的な提案や改善は必要だし積極的に行なってよいのだが、それを超えて、規則そのものがないがしろになっているような環境は、働く場所としては最悪である。

その前提で考えた場合、しばしば聞かれる

「そんなの、どうでも良くない」とか、
「誰も守ってないから、別にいいんじゃない」

というような態度は、自分で自分の首を絞めているばかりでなく、お店というシステムを崩壊させようとするのと同じ意味だとさえ言える。内部にそういう人員を抱えているチームは、それだけで大きなハンディキャップを背負っていることになる。
通念の扱い
ある事柄が、規則なのか、通念なのかを区別することはけっこう難しい。難しいと言うか、はっきり考えてないことが多い。まず、規則として確定できるものは、保留せずさっさと規則に「格上げ」する。つまり、

「・・・のほうが好ましい」
「・・・すべきだと思う」

という形で置くべき事項か、

「強制事項」

として明示するかを選択する必要がある。

逆に、全体に適用することが困難なもの、あまり役に立たないものは、さっさと却下する。もちろん、却下すると言っても、「全体への適用を却下する」という意味であって、誰かの個人的な意見を、取るに足らないものとして否定するという意味ではない。この区別も難しい。

お店では、日常的にそういった点がおろそかなままになっていることがある。もう通念として成立しているものでも、全体との関連性や、合理性などからではなく、一部の人の都合や、勤務上の利便性だけで取り込まれている場合もある。いったんそうなってしまうと、それが便利で、楽だと感じているスタッフさんたちは、なるべくならそれを守ろうとする方向に考えるようになる。その段階で通念を大幅に改定するのは難しい。

加えて、今後通念として全体に適用される予定のもの、または、一部の人が言い出しているだけで、通念として確定していないもの、もあるはずで、それも中途半端なまま放置しているのは良くない。

多くの場合、現場のスタッフさんは

○ 確定事項
○ 提案事項
○ 単なる一意見


の区別を厳格に行なわない。

「この間、○○さんがこう言ってたよ」

という話が、いつの間にか

「ウチでは、こうやることになっている」

という話に摩り替わってゆく。
通念は一意見ではない
また逆に、通念といったものを理解してくれないスタッフさんは、

「いや、でも私はこう思うんで・・・」

ということを安易に言い出す。これも実は困る。

「私はこう思うんで、検討していただけますか?

というなら分かる。通念の修正に関する提案なのだから。しかし、

「私はこう思うんで、みんなが違うやり方をしても、私は私で勝手に自分のやり方を通します

という人は、通念を理解していないと私は思う。

ここで言っている通念とは、一般常識とか、ふつうに言われる「社会通念」というのとは違う。そういったものであれば、必ずしも全員がそれを意識して生活しなければならないとは言えない。

しかし、そのお店ならお店、組織なら組織にとっての通念は、それに従うかどうかを個々人が選択する、というような性質のものではなく、ある意味で排他性があるものだと私は思う。そこに属している限りは、従わないと全体の方針や方向性の合致が実現できない。つまり、全体としての「人格」のようなものである。だから、修正するならするで、全員が一致して修正しなければならないだろう。

通念といった観念がない人は、組織はシステムだというような認識が乏しく、単に個々人が寄せ集まったもの、としか認識していない。だから、自分の意見や主張を通すために、単に自分の納得だけをもって足りるとか思っている。こういう感覚の人は、たとえば、

「そんな法律でもあるのか。ヒトの勝手だろう」

とか、平気で言うし、そう思っている。つまり、「やってはいけないこと」イコール唯一「規則」のみだと思っている。

これは、甚だしい誤解だと私は思う。
禁止動作を知る
ある作業手順を一通り覚えることはそれほど難しくないが、それはごく典型的なパターンを知ったというだけだ。一般に「応用がきかない」と言われるように、少し違ったシチュエーションになると迷ったり、どんな場合にでも唯一の方法を当てはめようとして、お客様に叱られたり、というのはしばしば起こることだ。

そこで、何か新しいことを覚えるときにまず、典型的な手順とともに

○禁止動作

をセットにして覚えることが非常に役立つ。たいてい、典型的な手順と同じように、典型的なミスや誤解にも一定のパターンがある。

ふつうは、それを経験と試行錯誤によって、人それぞれが覚えてゆくことになるのだが、それは非効率である。

特に接客・接遇という面では、一方で「個々の対応」の必要性が強調されるし、例外的な場合がほとんど無限に考えられる、というのも間違いではない。しかし、たとえそうだとしても、やはりお店で起こるミスやトラブルは、多くの場合限られたいくつかの点に集中して繰り返し起こる。ここでも「80対20の法則」は当てはまると私は思う。

むしろ、無限の例外的な例があるとすれば、早くそれを経験できる段階に進んで、そこで時間を使った方がよい。
禁止動作の扱い
実際にOJTなどで「それは、そうやっちゃダメ!」などと指導されるのは禁止動作にあたる。

そこで、先の規則とか通念といったものと、この禁止動作といったものは、混然としているとさまざまな誤解を招くから、内容的には似通っていても、きっちり区別することを徹底した方がよいと思う。

禁止動作の一番の特徴は、

ルールとしての強制力がない

という点だ。

いや、実際には、指導する人の言葉は命令のように聞こえるし、結果的にそれを守った、守らないということがその人の仕事の評価に結びつく面もあるので、本当はまったく強制力がないわけではないのだが、それでも、理屈としては明確に区別できる。

その代わりと言っては何だが、禁止動作には、必ずはっきりした「理由」があるはずだ。たとえば、

「それをやると、作業が遅くなる(ことが多い)」
「そういうやり方をすると、お客様が~と思う(確率が高い)」

といったものだ。つまり、規則や通念が、ある種の権力関係や契約によって保証された正当性を与えられているのに対し、禁止動作は、いわば「統計的な正当性」を持つ。

少し理屈っぽくなってしまったが、この区別がないと、

「店長さんがそう言ったから」
「マニュアルに書いてあったから」

という話が横行してしまう。これは厳密に言うと、禁止動作に関する正当性の根拠のすり替えとも言える。だから混乱するのだ。

また、統計的な正当性が根拠にあるものだからこそ、ある場合には主体的な、積極的な「逸脱」も許されることになるのである。そうでなければ、

マニュアルはただその通りにやればいい、というものではない
自分の頭で考えて動くことも必要


という言い方にも正当性がなくなってしまう。多くのスタッフさんが、この点について明確な区別をしていない。それで、店長さんの日々の具体的な指示や指導を聞いたときに

「前と言ってることが違う」とか、
「矛盾している。結局ご都合主義だ」

というふうに捉えてしまう。せっかく一生懸命教えようとしても、こういう反発や違和感を持つと逆効果になってしまう。
あいまいな契約
前で言った、規則、通念、禁止動作という区別を踏まえて、そもそもその上位というか、おおもとには「契約」というものがある。契約というと小難しいが、つまりそれは「お互いの約束」のことである。

一番やってはいけないこと、それは、

約束を破ること

だろう。当たり前だ。

その、「約束」の中に、規則も、通念も含まれている。そして、禁止動作は少し性質が違って、それは、逆に与えられていると考えられる。つまり、それは本来業務を行う本人のスキルとして備わっているべきなのだが、そうもいかないので一定の形として教えてもらえることになっている。そこが少し違う。

いずれにしろ、これらを守りながら業務を行うことは、そもそも契約によって規定されいることである。

スタッフさんの中には、

「自分は、そんな約束をした覚えなんかない」

などと思う人もいるかもしれない。しかし、それは誤解というか、はっきり言えば、無知というか、無思慮であろうと思う。つまり、よく分からないで契約している。

それで、さまざまないさかいや、言い訳が起こる。また、お店のほうも、そういった前提的な説明を与えないままに、日々起こる具体的な問題や、議論に対して対応しようとしてしまう。

たとえば、

「契約とは何か」
「あなたは雇用契約によって、今何を約束しようとしているのか」

そして、

「お店側はあなたに何を約束するのか」

といった点があいまいにされている。場合によっては、店長さんのほうもよく自覚していないままスタッフさんを雇い入れている。

まず、お互いの約束をもとに、お店に散在している「やってはいけないこと」を整理する必要がある。
後から取り返せない
前に言ったように、販売という仕事は、後からフォローするということが原則できない。だから、お店で働いているそれぞれのスタッフが、それぞれの役割を「今その場で」果たさなければならない。これは、販売という仕事の大きな特徴だと私は思う。(ただし、たとえば大型SCを運営する会社の社員とかの話ではない。販売員として現場に立つ人のことを言っている)

だから、

遅刻・欠勤は非常に問題

なのだ。あえて対照的に言えば、他の業種、たとえば会社で主に事務処理をするような仕事や、前に言った「提出型」に近い業務であれば、納期さえ守れば途中の時間をどう使おうがそれほど問題ではない。しかし、たとえばお店では、勤務する予定だった「たった一人」が欠けてしまうだけでも、その時間に発生する販売取引に即支障が出る。そして、それを後で取り返すことはほとんどの場合不可能なのだ。

たとえば、5分遅刻した。ふつうの会社なら、その分少し急げば業務の遅れは取り返せるかもしれない。風邪で一日休んだ。そうしたら、次の日曜日、休日出勤すれば取り返せるかもしれない。しかし、お店での仕事というのは、そういったものとは

仕事の種類が違う

のである。実際、あなたが急に休むと言ったり、遅刻したりした間に発生するすべての業務は、

誰かが負担を被っている

その人は、本来自分が果たすべき業務を引き受けた上に、さらにあなたの業務を追加されることになる。そして、あなたがその負担を後から「返す」ことはできない。

さらに悪いことに、他の人だって、あなたの分の役割をすべて負担できないかもしれない。その分は直接お客様への影響として表れる。つまり、どこかで不本意なチャンスロスが発生する。現在時点でのチャンスロスだけでなく、それがお客様への心象に影響を及ぼすと、それは将来にわたって波及してしまう。もちろん、これを取り返すこともまったく不可能だ。
プロチームは定数精鋭
だから、はっきり言うと、お店で働くには

(1)風邪とか体調不良で急に休むような人は向いてない
(2)自分の都合を優先してスケジュールを変える人は向いてない
(3)遅刻や欠勤は、「許される」と心で思っている人は向いてない


サッカーなどで、選手が退場のためひとり欠けた状態で戦わなければならない時がある。お店で働く時、「来る」と言っておいて「来ない」のは、どういう理由であろうと、それと同じような状況を自ら作ったということに他ならない。

サッカーなら11人が10人になるが、たとえば、コンビニであれば同時に勤務するのは2~4人くらいがふつうだ。その中で「ひとり」が欠けてよかろうはずがない。

もちろん、お店は、ひとりで運営しているわけではない。スタッフさんはチームであり、それぞれに業務を分担している。それで、

「一人くらい欠けても、別にそれほど影響ないだろう」

と考える人もいるかもしれない。また、

「それを補い合うのがチームなんじゃないかな」

と思ったかもしれない。しかし、チームという言葉に甘えてはいけない。

実は、一人欠けてもだいじょうぶだったら、初めから一人不要だということである。つまり、たとえばあなたが欠勤しても影響がないのなら、あなたはその日その時、そもそもチームに不要だったということになる。

もちろん、現在多くのお店では「余剰人員を抱えておく」ようなコストの使い方ができない。実際、ぎりぎりで、または、そもそも必要な人員が確保できない状態で運営せざるを得ない場合がある。

しかし、それ以上に、実はお店の運営レベルを向上するためには、「余剰人員」はマイナスに作用する、というのが私の考えだ。よりレベルの高いサービスを提供できる環境を作り、プロ意識を持ったプロの販売チームを構築するには、人員が足りないのも問題だが、多くても問題なのである。「定数精鋭」が原則だ。
極端な人
さて、今の話しを読んでどう思っただろう。おそらく反応は2つに分かれる。

1 そんなの、当たり前。むしろ、それってお店の仕事に限らないよね
2 そんなの、理屈で言えばそうだけど・・・でも


のどちらかに分かれる。で、結論を言うと、2に近いタイプの人は、正直言って販売の仕事は向いていない

ところで、こういう話をすると(まあ、あまりこんな話はしませんが・・・)たまに、こういうことを言う人もいる。

「そんなこと言っても、誰だって休むことはあります!」
「じゃあ、他の人は絶対休まないんですか!」

まあ、それも理屈かな・・・

・・・と思ってはならない。たとえば、誰だって事故に遭ったり、交通機関が止まったり、家族に不幸があったりする。人間、何が起こるかわからない。そんなの当たり前。だからと言って、

(1)風邪とか体調不良で急に休んでも問題ない
(2)自分の都合を優先してスケジュールを変えても問題ない
(3)遅刻や欠勤は、「許される」と心で思っていていても問題ない

ということにはぜんぜんならない。すると、

「じゃあ、どんな高熱があっても休んじゃいけないのか!」

とか言い出す。こうなるともう子供の言い合いと変わらない。では、

○事故にあった場合
○交通機関が止まった場合
○家族に不幸があった場合
○すごい高熱がある場合

のみ、遅刻と欠勤を許します、という規則を作ったとする。それで満足するかといえば、もちろんそんなことはない。

「じゃ、こういう場合は?」
「じゃ、これは?」

となる。つまり、極論する人の言ってることは、一種の稚拙なレトリックであって、そもそも、そんな極論を持ち出してくるその人は、結局何が言いたいのだろうと考えると、その真意はすぐに分かる。

理屈だけを論じても埒が明かない。要するにその人の言っている意図は何かを考えれば答えはすぐに出る。

というわけで、結局のところ、そういう人はやはり販売の仕事は向いていない。
休む理由なんて、どうでもいい
ところで、私は、「どんな場合でも絶対に休んではいけない」などというつもりはない。それもまた極端に過ぎる。要するに、自分の業務や役割に「穴を開けてはいけない」と自覚していれば良い。つまり、穴が開かない形で休むのであれば、別に問題はない。

問題は、「穴を開ける」というその意味であると思う。たとえば、スケジュールが変わったので、誰かに自分のシフトを変わってもらうとする。すると、シフト上は「穴は空かない」。しかし、その日、自分しかできない業務があるとする。すると、シフト上の人数だけを揃えたところで、業務的な「穴は空く」。

業務には、その場でその時行なう必要があるもの(販売業ではこれが多いのは確か)もあるが、常にそればかりではない。特に、自分しかできないような業務は、たいてい管理的な業務であって、その業務自体を遅延したら「取り返しがつかない」というようなものは少ないはずだ。

穴が空くかどうかは、つまりこういうことで事実上決まる。こういう点で、自分の果たすべき役割や責任をきちんとコントロールできているかどうか、が第一義的に問題なわけだ。

さて、多くのスタッフさんは、「休む理由」が重要だと思っている。つまり、休むとすれば、何か重大な、正当な、誰が聞いても

「それは休んでも仕方がないなあ」

と納得できる理由が必要だと思っている。また、周囲もそれを気にすることが多いかもしれない。

しかし、心象は別としてごく本来的に言えば、あなたが、どういう理由で遅刻したのか、なぜ欠勤するのか、というのは、お店にとって何ら影響がないことであり、問題でもなんでもない。ごく重大な理由であっても、そうではなくて、たとえば、ごくプライベートな理由

「急にデートに誘われた」

という場合でも、それが業務に与える影響は同じなのである。

多くのスタッフさんが考えることは、

「さて、どうやって言い訳して休もうか?」

ということである。しかし、そもそもその思考回路が間違っているわけだ。自分の業務や、果たすべき役割が理解できているなら、そんなことではなく、

「さて、どうやって、『穴を開けずに』休もうか・・・?」

と考えるのが正しい。
上手な仕事の休み方
実際には、自分の確定していた出勤日を変更するときにはいくつかの注意点がある。言ったように、なるべく「穴を開けない配慮」をするということになる。

まず、もちろん店長や周囲の了解を得なければならず、その心象にも配慮しなければならないが、それは、いざ休みを取る、という段階になってからすることではなく、大部分は普段からあなた自身が一定の信頼を得ているかどうかによる。いつでも自分の都合優先で動く人、と思われているか、この人が予定を変更するんだから、きっとそれなりに妥当性があるのだろう、と協力的に見てくれるかは日頃の態度やものの言い方による。

その上で、当日自分が行なうべき業務のうち、保留できるものとできないものを区別しなければならない。たいてい、

「あー、休みが取れないよー」

と嘆いている人は、これが明確になっていないから常に休めない。

そして、必要な代理の人員を確保する。この時ふだんから「何かあったら協力してくれる仲間」が多くいたほうが有利なのは当然だ。

そして、これはつい忘れがちだが単に代理の人員を確保しただけではいけない。その後、その代理の人が当日行なうべき作業について、しっかり指示しておく必要がある。そうでないと、あなたの代理とは言えなくなる。

「穴を開けない」というのは、つまり、なるべくあなた自身が勤務した場合と同じ結果になるように配慮する、ということで、その努力を示した上で、「休んでもいいですか?」が出てくるのが本筋であり、親切なのだ。

アルバイトさんなどは、この辺の手続きそのものを管理者に丸投げすることが多い。

「私は休む。後は知らん」

ということになる。そういう無理を通そうとするからこそ、休むたびに重大な理由を探さなければならなくなるわけだ。

それは、被雇用者の権利と言えばそう言えないこともないが、本来ある意味で業務放棄だと思う。むしろ、私が思うに、休みを取るということはいけないことどころか、上手く休みを取ることは必要でもあり、重要なスキルでもある。
遅刻・欠勤に関するルール
以上は、ごく本来的なことを述べたもので、実際にはお店で働くすべての人が、こういう点について理解して、自ら「穴を開けないように」うまく行動するわけではない。

だから、お店では、実は不本意ながらルールを作らざるを得ない。たとえば、勤務予定の決定はこうする。休む時はこうする。そして遅刻を何回したらどう、とか、欠勤が何回あったらこう、というように。

そして、そのルールがあるにもかかわらず、お店ではその手の議論が絶えず行なわれている。あの人は考え方がおかしい、とか、常識がない、とか。

そこで、先に言った「やってはいけないこと」の3つのレベルを思い出してみよう。まず、

1 規則

遅刻・欠勤については規則として決めてしまえば、それはもう動かしがたいもので、例外はなく、ペナルティも余儀なくされる。もし、規則として定めるのであれば、前に例を出したような「極端な事例」についても言及が必要になる。結果的に、かなり細かい点まで配慮して決めなければならない。

それも1つの方法だろう。しかし、これだけに頼ると、日常具体的な事例について事実上その都度議論し直すような事態が起こる。また、例外なく厳正に適用しなければ趣旨に反するから、人によって勘案したり、温情をかけたりできなくなる。規則として決めておくべき部分は、最も重要な部分、つまり、解雇事由にあたる場合とか、法的対処を伴うような事例に限るべきかと思う。

2 通念

通念として明示する部分があってもよいと思う。それは、お店の方針として示してもよいし、評価に反映してもよい。

ところで、現実にしっかり徹底しておくべきなのは、たとえば

遅刻をなくそう
欠勤は何日前までに連絡しよう


というような点だけではなく、実際に遅刻や欠勤をしてしまったとき

どういう手続きで報告するか
どういう態度を示すべきか


という点だと私は思う。たいてい、実際に人の感情を逆なでし、周囲の批判を浴びるのは「事後の対応のまずさ」なのである。

3 禁止動作

禁止動作にあたる部分も実はけっこう重要だ。たとえば、遅刻の連絡をするときには「メール」でしてはいけない、とか、お店のピーク中に電話してきてはいけない、といった点は、規則というよりは具体的な報告・連絡に関する動作として望ましくないわけだ。

これらも、たとえば重大な事故に巻き込まれている場合とか、極端な場合を考えれば「絶対に悪い」とは言えなくなる。通常の場合において、しばしば見られる「やってはいけないこと」の典型例だと考えるほうが妥当だから、禁止動作として提示するのがよいと思う。

このように、内容としては同じように見えても、どのレベルで規定するべき事柄かは分けて考える。これをスタッフさんに理解してもらえば、何年もお店を運営していながら、いつまでたっても遅刻・欠勤、それに付随して起こる不毛な議論や言い争いが減らない、といった事態はなくなるように思う。、また、管理側に届かない不平不満や悩みごとを発見する糸口にもなる。

いつもお店で話し合っている事柄は、どう区別したらよいか考えてみよう。
※管理者の方へ
(性善説を疑う)

「遅刻が多い」
「態度が悪く、注意しても直らない」
「指示・命令にいちいち反発する」

など、日常業務の妨害とも思える著しい問題を持つスタッフが稀に現われる。

「そんな非常識な人はいない」
「面接時点で分かるはず」

などと考えていると、いざ直面した時対応のしようがない。


(解雇事由、条件の明記)

懲戒・減給・解雇などは、雇用者から見ると、労働法によって過剰なほどに手厚く制限されているようにも感じられるだろう。しかし、あらかじめ就業規則などに明記しておけば案外厳格な措置が可能である。不明点は労働基準監督署などに相談する。逆に、運営側に引け目があると相談すらできない。そして、たいてい、労働紛議や訴訟に持ち込まれたとき問題になるのは、個別の事実関係というよりも「規則や手続きの不備」のほうである。その点で十分な準備があれば不安はない。


(求めすぎない)

あまりに完全で潔癖な規則でがんじがらめにして従わせようというスタンスは本末転倒である。規則や通念を規定するときは、少なくとも「自分自身は余裕で遵守できる程度」がひとつの目安だと考えるべきだと思う。自分自身が守れないような規則を他人が遵守できるはずがない。また、あまりに厳格な規則の場合、定めたとしても法的手続きによって覆される。常に意識していないとつい違反してしまう、というような規則はすぐに形骸化する。
仕事の目的を思い出そう
目的を忘れた仕事は自己満足しか生まない。最初、正しく仕事の目的を理解できていたとしても、現実のさまざまな人間関係や事情によっていつの間にか形だけのものになってしまうことが少なくない。そして、「職場の人間関係」や「お店内部の事情」だけが一人歩きし始める。

目的とはなんだっただろう。あらためて言うと、目的とは、第一に

(1)規準

として表現されるものだった。それを実現することで、あなた自身の目的、つまり

(2)動機

もまた実現される。規準を満たすことなく、あなたの動機だけを満たそうとするのは歪んでいる。お店全体としても、お客様に提供するべき最初の規準が、いつの間にか形式的になって、お店内部の動機が優先されるようになると危険である。

仕事の目的、日常行なっている業務の規準、そこから導き出される作業の具体的な方法や禁止動作に至るまで、ある程度一貫性のある筋道が説明できるようにしよう。そして、それらと、「自分自身が働いている理由」「こんなふうに働きたい」という願い、それがどのように仕事とつながっているのかを考える。

そして、私は、こんなイメージを持っている。仕事の規準と働く動機は、最初明確に区別してするように言ったけれども、本当はそれらはどこか上の方でつながっている概念であって、それを模索してゆくこと自体が仕事のやりがいでもあり、面白さにもなってゆくと。

だから、今、必ずしも理想的な一貫性が見られないとしても、少しずつそれらがきちんと整理されて、自信を持って語れるようにしていこう。これが仕事の「インテグリティ」というものだ。

毎日を、ただ言われたとおりに、変化なく同じようにやり過ごしているだけだと、いつまでたっても目的は達せられない。というか、達せられているのかどうかも分からない。これでは、望ましい規準を満たすこともできないし、規準を向上することもできないし、自分の動機や願望を実現することも結局できない。

きっと、初めてお店で働き始めたときには見えなかったことが、今ならたくさん見えていると思う。仕事というのは、続けていると、それなりに目的が見えてくる。それと同時に、

「自分が、本当は仕事に何を求めていたのか」

ということも見えてくる。それは、別に高尚な、立派なものでなくてもよい。ただし、自分にとって納得できるものであることは必要で、建前とか、人に言われたからというだけで、仕方なく仕事を繰り返していても到底辿りつかない。
流されるな
すべての業務・作業は「規準」を満たすように進める。お店では、ごく些細な行動・動作まで、提供しようとする規準との関連性を考えなければならない。なぜなら、お店での仕事は「見せる仕事」であるからだ。

ところで、最初、お店で働き始める時点で、期待される規準を満たすように努力することは、実は案外簡単なことである。実際にできるかどうかは別として、そのように努力しようという気持ちは最初が一番強い、という意味である。

むしろ、初めは誰でもそういう理想を多少なりとも持って働き始める場合のほうが多いだろう。ただ、実際にお店で働いているうちに、そういう視点は失われていき、代わりに

「売っている側に都合のいい考え方」
「自分に都合がいい考え方」

を身に付けてしまう。これは、いわば本能的なことなので、誰も逃れることはできない。だから、自分がそうだからと言って別に心配しなくていい。人と比べて、自分が劣っているなどと悲観する必要もない。しかし、人間はまったく無力なわけではない。それをどのようにコントロールできるか、どの程度客観的に見られるかはその人それぞれの考え方や、態度による。

実際に働いているうちに、多くは周囲の環境によって、その、当初の単純な望みが満たされず、ストレスが生じる。それも誰でも同じである。しかし、通常それは決して抵抗できないような大きさではなく、意識していれば回避したり、克服したりできる。

それなのに、そこで変に環境に迎合したり、変な考えに陥ってそれとは反対の方向に自分を導いてしまう。そうすると、もはや、最初の段階に戻ることすら非常に難しくなる。変なクセがついてしまうと修正するのに余計な労力がかかってしまう。

人間、自分を高める方向に努力するにもそれなりの(しかし決して不可能ではない程度の)パワーがいる。逆に、安易な方向に流れるのはいともたやすい。そして、流れてしまったものを反対に戻そうとすれば、途方もないパワーが必要になる。

自分が、ある目標に向かって努力しようとする時のことを考えればわかると思うが、最終的なゴール地点までは、なるべく直線的に進んだ方が有利だということは明らかだ。自分の行動の方向性を急に転換することは非常に困難だ。

だから、最初からこういった面でよく考えて、何が求められているのかを正しく把握し、ある程度のバイアスやストレスに抵抗し続けながら自分を高めてゆくなら、必要なパワーは「長く、少なく」で済む。

そうでない人がある時突然に方向転換しようとすれば、多大なパワーを瞬間的に必要とする。それに、そんな方法では、最初うまくいったとしても、最初から続けている人に追いつくには、さらに大きなパワーを費やし続けなければならない。これは非常に難しい。
環境は自分で作るもの
ところで、自分自身がしっかりとしたスタンスを保つことはもちろん一番重要だが、同時に、自分を高めるには周囲の環境がプラスに働いたほうがより有利であることは間違いない。

実際には、環境というものには自分自身も含まれている。また、現実に起こる個別の事情や、内部の人間関係といったものも、程度の差はあるが自分の行動や考え方によって変化する。

お店で起こるすべてのことについて、

「そうなってしまったから、しょうがない」

という見方ではいけない。お店という環境自体、それぞれの役割の中で、また、チーム全体としても、よりよい方向へとコントロールすべきものである。

仕事の本質的な目的や規準をはっきり分かっているのであれば、それと現実の諸事情のどちらが優先されるべきかは言うまでもなく明白だ。その明白な事実から目を背けてしまえば、お店の存在理由はほとんどなくなってしまう。そうすれば、後は惰性で続けるだけだ。そういうお店には、惰性で通ってくれるお客様しか来なくなる。

閉鎖的店舗になり、縮小均衡になる。働いている人たちも、日々惰性で同じ作業を繰り返す。お店内部の、向上心のない甘えた仲間意識の裏側で、不平と批判ばかりが渦巻いている環境の中で暮らすことになる。

万が一、あなたがそれでも別によいと考え、また、一生そういったスタンスで生きていく、という覚悟(?)がすでにあるならそれも仕方がない。別に誰もそれを責めることはできないし、親兄弟でもない他人が心配する問題ではない。

しかし、もしそうでないなら、決してこういう思考の流れに陥ってはならないと私は思う。能力にしろ、経済的なものにしろ、なぜ、人はそれぞれ、これほどまでに差が大きく開いてしまうものなのだろう。それは、自分が置かれている環境に対して、いかに働きかけるかによるのではないだろうか。

少なくとも私のお店では、自分の環境に配慮しないスタッフさんはできれば雇いたくない。なぜなら、そんなスタッフさんがいたら、私自身の人生にも影響を及ぼすことになるからだ。同じ環境にいると、「私は私、あなたはあなた」では済まないこともある。環境を選ぶのも、作り出すのも自分自身だ、というくらいの気構えを持って欲しいと思う。
最初が最高のもの
働いていると、作業のやり方や、お店でどう行動すれば良いのか、といった「技術」は日々向上してゆく。ただし、その反面、「意識」や「姿勢」といった面は、放っておけば日々劣化してゆくと考えるべきだ。

私は、入ったばかりの、新人のスタッフさんには必ずこのように説明する。

「あなたは今、お店での仕事について何も知らない。それはまったく問題ではない。ただ、あなたの意欲、お客様に対する姿勢といったものは、初めてお店で勤務する時、つまり、『今日の時点が最高』なんだ」と。

たとえば、スタッフさんは、お店で働くときには必ず「お声かけ」を練習する。すると、最初は、

○ 大きく
○ 明るく
○ お客様の顔を見て

きちんと声を出すことができる(できなければ雇用されない)。

しかし、たいていは働いているうちに、多かれ少なかれお声かけのやり方は「悪くなってゆく」のがふつうだ。時々注意されたり、他のことでほめられたりして気分が良いと、思い出したように良くなることもあるが、そうは言っても

最初よりもっと良くなる

ということは原則ないのだ。もちろん、仕事に対する捉え方の変化が起きたり、自分の業務に自身がついたりすることによって、接客がより丁寧で、優しくなったり、溌剌さが増したりすることはある。しかし、本人の「声の出し方」そのものが仕事を通して自然に向上する、ということは原則ない。

「声を出す」というような行為は、そもそも知識や技術を要するものではなく、本人の心構えや気持ちが如実に現われる。誰だって崖から落ちそうになって助けを呼ぶときには大きな声を出そうとする。

たとえばこのように、特に意識や姿勢といったものは、慣れれば向上するとか、経験が増えると勝手にスキルが蓄積されてゆくといったものではない。

日々向上してゆくものと、最初が最高であり、ほうっておけば衰退してゆくものがある。両方を意識しなければならない。
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